床も、壁も、天井も、ない。色もない――黒や白の感覚もない。上下左右の概念すら消失してしまっているこの場所は、果たして「空間」と呼べるものなのだろうか。それすら判然としない。ただ音だけがある。意識を水のように満たしていく、そんな音だ。
ARMIAは自身の身体すら明確ではない状態で、その音の中を揺蕩っている。彼女の意識こそが、今現在唯一許された存在だった。
「無、か……」
ARMIAは呟く。無こそが世界の最上位レイヤー。いわば万象のスーパークラス。その無がARMIAを観測し、故に彼女はここに存在する。
「うんざり、だ」
それはまるでイザベラの口調だった。自身から発された言葉に、ARMIA自身が驚いた。だがそれは、マリアでもアーマイアでもなく、ARMIA自身の紛れもない本心だった。
そもそも、マリア・カワセも、アーマイア・ローゼンストックも、その実体はどこにも存在していない。彼女らは、いわば錯覚、いわば幽霊のようなものだった。ARMIAが生み出した被観測体であり、物理層に軸足を置くことのできない何かだった。
アーマイアは残酷な兵器を次々と誕生さえ、マリアはディーヴァとしてそれらを受け止め続ける。言ってしまえば、それらの一連の行為は、ARMIAの自作自演だ。滑稽で壮大な自作自演を強要されながらも、二人の幽霊は自身に課せられた役割を全うしようとする、それだけだ。
ベルリオーズはARMIAにはっきりと言ったのだ。
――今のギリギリのラインに立ち続けている君は、だからこそ価値がある。ゆえの不確定要素だ。彼らにとっても、ね。ゆえにARMIA、ゆえにマリア、ゆえにアーマイアだ。君はこの役割から逃れることはできないし、逃れようともしないだろう、と。
ARMIAは億劫そうに目を開ける。この音の世界の中には、その暗黒の瞳に反射するような色はない。色はないのに、ARMIAの姿はその空間にあった。それはARMIAにははっきりと知覚できていた。彼女は自分自身を俯瞰していた。
マリアは――いや、私自身は、姉様たちを援けたいと思っている。いや、姉様たちだけではない。多くの歌姫たちもだ。
だけど、アーマイアは手段を問わずに兵器を生み出し、新たな災厄を次々と戦場へと投じてくる。その執拗さはいっそ不気味で、起源であるARMIAにも予測のできないものとなりつつあった。アーマイアの暴走は、もしかすると彼女を観測したその瞬間、あるいはその前に既に決まっていたのではないかと思えるほどに。
だけどそれでも。
私以外がアーマイアを演じるのは、否、だ。
それに今更そんなことができるはずもない。マリアがいる以上、そして私の姉様たちへの思慕が本物である以上、逃げることもできはしない。
ならば。
今はマリアに賭ける他にない。
私はただの観測者でしかないのだ。
そして私は観測し続けることしかできないし、そこから逃げることはあってはならないのだ。
「私がやるしかない。……うんざりだ」
ほんとうに、うんざりする。
ARMIAが呟く。
そしてそれと同時に、ARMIAの姿が消えた。
観測主体を失ったその世界は、そこで終焉を迎えた。