二〇九八年、十一月も間もなく終わる頃――。ヤーグベルテ統合首都の秋は足早に過ぎ去り、間もなく初雪が観測されるだろうとの予報が出ていた。例年通りだった。すでにコートなしでの外出は厳しい。
その日、オリオン座が雲一つ無い南天に輝いていた。
イザベラは、レオノール以外のV級歌姫たちを、密かにレベッカの邸宅に集めていた。つまり、エディタ、クララ、テレサ、ハンナ、ロラ、パトリシアである。そのリビングにはレベッカとマリアの姿もあった。
「わたしは」
イザベラはソファで身を寄せ合っている六名の歌姫たちを睥睨するように立ち、口を開く。
「わたしは、これから一つの重大な宣言をする」
エディタたちの表情が一様に固くなる。集められてから十数分が経過していたが、目の前のジュースには誰も手を伸ばしていない。
「これを聞いてしまったら、きみたちは四択を迫られる。従うか、従わないか。そしてわたしを逮捕するか、あるいは、殺すか。そのくらい重大な事案だ」
腰に手を当てて、イザベラは言う。その表情は仮面に隠れて見ることができない。マリアとレベッカはリビングのドアのところに並んで立っていた。それがまた、六人の歌姫たちを萎縮させる。
「まぁ、というわけだから、きみたちは今すぐここを辞する権利がある」
「ネーミア提督」
エディタは右手を挙げた。
「その宣言というのは、ヤーグベルテを利するものではない。そういうことでしょうか」
「一時的にはそうだ」
「一時的には?」
エディタは眉根を寄せた。イザベラは口角を上げる。
「長期的な視野に立てば、今からの私の行為その全ては、必ずヤーグベルテのためになる」
その言葉に、六名は一様に表情を曇らせた。イザベラが何を言わんとしているのか、それぞれがうっすらと悟ったからだ。エディタはまた手を挙げ、レベッカに顔を向けた。
「アーメリング提督も本件を」
「承知しています」
レベッカの即答に、エディタは頷いた。
「ならば、私も聞きます」
「僕もそうする」
クララがすぐにそれに倣った。
「提督が熟慮したことであるなら、どんなものであっても僕たちには意味がある。だから聞く必要があると僕は思う」
「同意」
テレサも頷いた。第一期のV級三名は、早々に残ることを決めた。次に手を上げたのは第三期のロラだった。
「あたしも聞きますよ。そうしなければきっと後悔するから」
「私も同意します」
ロラの親友であるパトリシアもすぐにそう言った。最後の一人、第二期のハンナは未だ迷っている様子だった。隣のエディタがハンナの肘に軽く触れた。
「どうするんだ、ハンナ」
「不安は、あります。正直に言って」
ハンナは目を伏せながら、訥々と言った。ハンナはもとより慎重な性格で、時として臆病という評価をされることすらあった。だが、その頭脳は明晰で、極めて論理的だった。それ故の慎重さである。
ハンナはイザベラに視線を移す。その視線には普段のハンナからは想像もできないほどの強さがあり、それをまともに受け取ったイザベラは思わず口元を緩めた。
ハンナは言う。
「歴史上、提督のそのような考え方がなかったわけではありません。その判断が、その行為が、正しいのかそうではないのか……。それを決めるのは歴史です。そして歴史とは往々にして勝者が創るものです。ゆえに、残された者は立会人となり、正しい歴史が創られるのか否かを見届けなくてはならないと思っています。しかし――」
目を伏せ、ハンナは膝の上で拳を握る。
「私がその立会人になり得るのか。それが不安です」
「きみの言うことはもっともだ」
イザベラはソファに座り、腕と足を組んだ。
「それで、どうするハンナ。今きみが立ち去ったとしても、誰もきみを責めたりはしないだろう」
「私は臆病です」
ハンナはまた視線を上げた。
「しかし、それでも矜持はあるのです」
「なるほど、よかろう」
イザベラは両手をぱちんと打ち合わせた。エディタたちは姿勢を正す。
「きみたちの無謀さに感謝する」
そう言って咳払いをし、イザベラはゆっくりと立ち上がった。
「端的に言おうか。どうせきみたちも悟っていることだし」
言葉の間に落ちる沈黙が痛い――エディタは唾を飲み込んだ。イザベラは腕を組み、顎を上げた。
「わたしは、反乱する」
主語と動詞を一つずつ。たったのそれだけで、室内の空気が凍りついた。エディタたちの顔がたちまちの内に青ざめる。
「わたしに付くも自由。ベッキーの付くのも自由。次の出撃で、わたしと共に行く者が反乱者となる」
「ちょ、ちょっと待ってください」
エディタがよろめきながら立ち上がった。
「それって、ネーミア提督とアーメリング提督、いずれかを択べ、そういうことですか!?」
「その通りだ」
「我々に殺し合えと――」
「その通りだ」
さも当然のように言い放たれたその答えに、エディタは絶句する。変わりに、クララが立ち上がって尋ねた。
「ネーミア提督。あなたは、死ぬつもりなのですか」
「それは、どうかな?」
「歌姫たちを、僕たちを道連れに、死ぬつもりなんですかと聞いています」
「それはきみたちの選択如何だな。わたし独りだけになるかもしれないだろう?」
「それは」
クララはそれきり口を閉ざす。エディタはふらりとソファに戻る。クララもテレサに手を引っ張られて、再び座った。
その様子を悠然と見届けてから、イザベラはテーブルの上のブランデー入りのグラスを手に取った。
「わたしが反乱したならば、ベッキーの艦隊が討伐隊として差し向けられることになるだろう。無論、ヤーグベルテにはそれしか手がないからだ」
「そ、それなら」
エディタが震える声で言った。
「私たち全員で反旗を翻すという手段だってあるのでは!」
「わたしは国を滅ぼしたいわけじゃない」
イザベラは明快に言った。
「むしろ逆なんだよ、エディタ。わたしの反乱なんて、後の教科書にはせいぜい一行しか登場しないだろう。その程度で片付けられてしまう程度のものでしかないんだ。でもね、その一行を刻むために、わたしは反乱するんだ。これはヤーグベルテの全国民の目を覚まさせるために必要な儀式なんだ」
「しかし、それは……! 私たちには言葉があります、提督」
「ことば?」
イザベラはブランデーを一口飲んだ。
「残念ながら」
そして一気に呷る。グラスの中の液体が、一瞬でイザベラの胃の中に移動した。
「言葉による啓蒙の時期は、もう過ぎてしまったんだ。とっくに、ね」
イザベラは冷たすぎる声で、そう宣告したのだった。