生首の歌姫が口を開いた。響いたのは絶叫だ。
イザベラはそのあまりの音圧に圧倒される。至近距離で、しかも不意を打たれたからだ。
「黙れ!」
イザベラの強烈な一喝が、絶叫を止める。
「お前はそんな姿になってまで、なぜアーシュオンに与する! お前の身体を、自由を奪ったのは!」
『生きる意味……。アーシュオンは生きる意味をくれた』
「なんだって」
イザベラは絶句する。理解が追いつかない。
「生きる意味!? こんな姿になって、ただの兵器となって、それで生きる意味だって!?」
『あのまま生きて野垂れ死ぬより、よほど、よほどマシだった』
さっき見えた、この子の生きてきた道。それは確かに凄惨の一言に尽きた。しかし、それでも。
イザベラは唇を噛む。
生首の歌姫は目を見開き、口を半開きにしたまま、動かない。セイレネスを通じた言葉だけが届いてくる。つまり、この子の本心に嘘はない。
「マリア! こんなことが許されるとはわたしには思えない!」
『アーマイアの行為は……私にも諾々と首肯できるものではありません。しかし、彼女の行為は理解もできます』
「何を! こんな非人道的なことを理解できるだって!?」
『彼女の姿は、歌姫たちの未来の姿です。このまま事態が進めば、遠からずこうもなりましょう』
「何を言っている!」
『アーシュオンの国民は、これを是としたのです。ヤーグベルテは違うとは、誰が言えましょう』
マリアの声音には揺れがない。感情を殺しているのか、それともそもそもなんの感傷も感じていないのか。
「わたしは認めない。わたしはこんなことを赦すつもりはない!」
『現前為ったこの事象はもはや変えられない。生まれた科学技術は、どんな性質のものであれ、有用でありさえすれば社会に受け入れられる。社会そのものが変容することになったとしても。歌姫による戦争継続のメソッドが動き、人々がそれを享受している以上、その流れを加速させるのは必定』
「マリア! きみは、きみはどうなんだ!」
『私が今、ここで何を言ったところで姉様に通じますか』
マリアの冷静、いや、冷酷とも言える言葉が、イザベラの胸を突く。
『姉様が変えられる可能性があるのは未来』
「なるほど?」
イザベラはキャビネットの中の生首を眺めやりながら、腕を組んだ。生首歌姫の歌は続いていたが、もはやイザベラを傷つけることはできなかった。役者が違ったのだ。
「きみはそのために、か」
『……ごめんなさい』
マリアのぽつりとした謝罪に、イザベラは首を振った。
「きみの全ての行為は、わたしをこうさせるためのものだったということか」
『私の……私の姉様方への愛は、それだけは、本物です』
「それさえも仕組まれたものかもしれないけれど」
イザベラは暗い天井を見上げた。うっかりすると涙が溢れてしまいそうだった。
「でも、きみの献身は本物だったとわたしは思っているよ、マリア。ベッキーのことと言い、わたしはきみに感謝しても仕切れない」
『しかし、私は、姉様方を利用したのです』
「それでもいいんだ。誰もがきみの掌の上で踊っていた。それは事実だろうけれど、きみの心はわたしたちに寄り添っていた。セイレネスでは、嘘をつけない」
『……ヴェーラ姉様』
「いいさ」
イザベラは意識をセイレーンEM-AZのコア連結室に引き戻した。いつもの暗く静かな空間に、仄かな安心感を覚える。だが、その両手は強く握りしめられていた。
「ふぅ」
目を開け、右手を握り直す。
「……!」
後頭部に衝撃が走った気がした。レネの戦艦ヒュペルノルが急速にセイレーンEM-AZの前に出た。
『敵新型駆逐艦から魚雷多数! 亜音速魚雷!』
「待て、レニー、前に出るな!」
水中衝撃波を発生させながら十数本の魚雷が突進してくるのがわかる。クララとテレサの防衛ラインがあっさりと突破される。進路上にいたC級の駆逐艦が粉砕される。
セイレネスにより強化された魚雷だ。あの生首の歌姫どもが操っているに違いなかった――イザベラは奥歯を噛みしめる。
『提督、この魚雷普通じゃないです!』
『僕たちでは止められない』
テレサとクララが後続の魚雷も取り逃す。
「くそっ!」
『魚雷はヒュペルノルで引き受けます! 魚雷の狙いは提督のセイレーンEM-AZ!』
「無茶をするな! 奴らは!」
戦艦ヒュペルノルがセイレーンEM-AZの前に立ちはだかる。
魚雷が次々と水中爆発を起こしていくが、その数が多すぎた。イザベラはセイレネスを再起動して支援に回ろうとする。
「どうした、なぜだ!?」
セイレネスのモジュール発動キーがロックされていた。これではまともな攻防ができない。
その時イザベラは何人もの手が自分を拘束していることに気が付く。
「生首どもか!」
アーシュオンの歌姫たちがイザベラを絡め取っていた。
「小癪な!」
イザベラは精神を集中してその幻影を吹き飛ばす。D級であるイザベラにとっては、たとえ相手がS級であったとしても敵ではなかった。
「モジュール、トライデント発動!」
三本の魚雷をまとめて吹き飛ばす。だがまだ十数本が、まっすぐにレネのヒュペルノルに向けて飛んできていた。同時に、対艦ミサイルもうんざりするほど飛んできていた。
「クララ、テレサ、対艦ミサイルをなんとかしろ!」
『了解!』
軽巡ウェズン、そしてクー・シーがC級歌姫たちを率いて対空砲火を打ち上げ始める。敵の艦載機がいないのは救いだった。
「レニー、艦を退け!」
『魚雷解析結果出ました。これ、核魚雷です』
「ちっ、核か!」
『っ! あれは特殊弾頭! 三基! コーラス展開!』
まさか!
イザベラの体温が下がる。コーラスを発動する特殊弾頭。それはつまり人間弾頭ということだ。歌姫が載っている……。
「レニー、きみでは手に余る! わたしが!」
『艦隊中央で炸裂されたら全滅です。止めます!』
確かに位置関係的にはレネが止める以外にない。しかし。
イザベラは再度力を振るおうとした。しかし、また歌姫たちに纏わりつかれ、動きが一拍遅れる。
「邪魔だッ!」
『止めます!』
「きみを失うわけにはいかない!」
『セイレネス発動! モジュール・エ・ウ・ニル! コラプション!』
「やめろ、レニー! 後退しろ!」
『あとはお任せします』
レネの声はゾッとするほど平坦だった。ギリギリの覚悟を決めた時の人間の声だった。
「きみでは全ては止められない!」
『おまかせします、提督』
海域を薄緑色の光が覆った。ヒュペルノルから放たれたそれは、艦隊を守るように展開していく。それに覆いかぶさるようにして、赤い光が魚雷を中心に放たれる。そこには戦艦ヒュペルノルもいた。
「馬鹿な、自分の防御まで!」
『こうしなければ、海域を守れなかった……』
レネの弱々しい声が聞こえてくる。戦艦ヒュペルノルは激しく燃え上がっていた。核魚雷の直撃を受けた左舷側は装甲が溶け落ちている。
『アルマ……ごめん、ね』
「レニー! 死ぬな!」
イザベラの絶叫も虚しく、続いて到達した亜音速魚雷がヒュペルノルに立て続けに命中した。
「レニー!」
『アルマ……アルマ……!』
愛しい人を呼ぶその声の残響が、レネの最期だった。
戦艦ヒュペルノルは原型を止めぬほどに粉砕され、あっという間に沈んでしまった。
「おのれ!」
イザベラの髪が逆立っていた。その怒りは自分に向けられていた。レネは、こんなところで失って良い人材ではなかった。イザベラはレネの能力を過小評価していたのだ。あの生首歌姫の異変に、レネは気付いてしまったのだ。その危険性を理解してしまったのだ。
レネにも今回の、イザベラの計画を伝えておきさえすれば、あるいはこんな犠牲はなくて済んだかもしれない。
もし、もし、もし――。
イザベラの中で「if」が廻る。
『て、提督、さらなる魚雷が接近中!』
テレサが警告を発する。
「おのれ!」
イザベラはそれらの位置を正確に把握する。
「艦首PPC、雷霆展開!」
時間はない。間に合うか、間に合わないか。
「チェックシーケンス、スキップ。一発撃てれば良い!」
艦橋側が何やら言ってくるが、イザベラは無視した。
「目標、敵魚雷および敵先頭集団! 粒子反射鏡展開!」
セイレネスの意識の中で、敵の駆逐艦が次々とマークされていく。迫りくる魚雷も漏らさずロックオンすることができていた。
「雷霆、射撃開始!」
展開した艦首から張り出した巨大な三連装誘導砲身が光を放ち、展開した粒子反射用ドローンがそれらを幾重にも的確に反射させていく。
魚雷群は瞬く間に制圧され、敵艦隊先頭にいた駆逐艦たちを薙ぎ払った。
「新型は撃沈せなかったか」
さすがは歌姫搭載艦だというべきだった。通常艦船は蒸発したが、例の生首歌姫を搭載したと思しき艦艇はほとんど無傷だった。
「アーシュオンの艦隊へ告げる」
イザベラは言う。アーシュオンの物理回線はとっくに掌握済みだった。
「我々第一艦隊は、現時刻を以てアーシュオンに寝返ることとする。ヤーグベルテ統合首都へと我々と共に進め。お前たちに選択肢はない」
『私はアーシュオン連合艦隊司令官、ハブル大将だ。貴殿が何を言っているかわからんな』
「貴殿が理解できようができまいが、そんなことはわたしの与り知らぬこと。わたしはおまえたちの艦隊と共にヤーグベルテの統合首都に針路を向ける。貴艦隊はそれに随伴すればよい。できぬとあらば、今すぐもう一度雷霆を撃ち込む。おまえのいる最後方までも、わたしは射程に収めている。逃げられるとは思うな」
『我々は新兵器を――』
「かのゲテモノをそう呼ぶのなら勝手だが、もはや我々には通用しない」
イザベラは強い口調で言い切った。
「わたしはD級。おまえたちの連れてきた生首どもは不意打ちという手がなくなった以上、わたしには通用しない。それとも、試してみるか?」
イザベラはセイレーンEM-AZの主砲を一撃した。それはまっすぐに新型駆逐艦に直撃する。イザベラの全力を乗せられたその砲弾は、新型駆逐艦を文字通りに粉砕した。
「ふっ……」
息を吐くイザベラ。生首の歌姫が死んだ時、イザベラは確かに一種の解放感を得た。それが断末魔によるものだったのかは、判然としない。
『……良かろう。我々連合艦隊は貴艦隊と共にヤーグベルテ統合首都を目指す。第二艦隊が出てきた時には期待してよいのだろうな』
「おまえたちでD級を傷付けられるものか」
ベッキーを傷付けて良いのは、この世界でわたしただ一人だ。
『歌姫艦隊の造反とは、いったい何があったというのだ』
「おまえたちとて、他人事ではないのだがな」
理解はできぬか。
イザベラは首を振る。
「ただ、時が来たのだ」
その時が、来たということだ。
さぁ、始めようじゃないか。盛大な茶番劇を。
イザベラはセイレネスの闇の中で、厳かに宣言した。