25-1-3:兵器たることの証左

歌姫は背明の海に

 海域は夜の静寂に沈んでいた。続いていた暴風雪も嘘のようにしずまり、月のない空は燦然さんぜんたる様相を呈していた。その星たちの輝きが水鏡のごとき海面に落ち、かすかに揺らぎながら瞬いていた。

 その美麗な風景の中に、レベッカは意識を浮かばせていた。イザベラとの決戦を前に居ても立ってもいられず、ニ時間も前からセイレネスにログオンしていた。そして間もなく交戦距離に入る。

 対峙している緊張感とも違う、名状しがたい居心地の悪さ。ゾクゾクするような不穏な予感。それはレベッカの覚悟とはまた違う路線の、何か「良くないもの」の気配による。

『提督』 
「マリー? 早いのね」

 すうっと寄り添ってくる気配があった。

『胸がザワザワして……。コア連結室が一番落ち着くんです』
「同じね、私と」

 レベッカはマリオンの気配を左隣に感じつつ、水平線の彼方に意識を送る。マリオンの意識がすぐ後ろにピタリとつけてくる。

 この子、もう自由自在にセイレネスを操ってる……。

 レベッカは驚嘆する。先日の初陣が嘘のように、マリオンの気配にはノイズがない。マリオンは完全にいた。

 二人はイザベラ率いる大艦隊の直前に移動した。第一艦隊を中心とした、芸術的な輪形陣。その陣形が守っているのは、数隻の大型の艦艇だった。その艦艇に意識を向けた瞬間、レベッカは強い目眩めまいを覚えた。

「マリー。私が考えていたよりも、これはもっと複雑な状況かもしれません」
『この艦艇群からは、セイレネスの強い気配を感じます』
「ええ。間違いなく。私たちは見られています」

 マリオンの感覚は本物だ――レベッカは思う。そしてこの確かな気配。それはセイレネスの能力の高さを如実に表している。このほんのわずかな期間で、マリオンは格段に成長していた。歌姫セイレーンの才能という点に関して言えば、マリオンの方が私よりも上に違いないと、レベッカは認めた。

「それにしても、これは……」

 セイレネスじゃない。と共存するかのような、不安定なのに強靭な意識をそこに感じる。ただ、一言で言えば凶々まがまがしい。

『やぁ、来たね』

 不意に聞こえてきたその声に、レベッカは思わず硬直した。恐らく物理実体からだの方は背中に汗をかいているだろう。

「イズー、説明をしてちょうだい。これはいったい、どういう状況なの」
『まずはね、こいつらをきみたちに見せたくて。というより、そのためだけに、わたしはこいつらを生かしておいたんだ』

 それは心臓が凍りつきそうなほどに冷めた声だった。

『こいつらをよくご覧よ。わたしたちが、所詮は兵器でしかないっていうことの証左みたいな存在さ』
「どういうこと……」

 レベッカは問いかけたが、イザベラはそれをまるで無視した。

『アーシュオンはわたしたちの力を研究し、こいつらを作り上げることに成功したんだ。全くもって奴ら、外道どもだよ』
「その艦には、いったい何が乗っているの」
『その目で見た方が早いよ』

 その言葉を受けて、レベッカは恐る恐るその艦に近付いた。バチッという電撃が意識の中に走ったが、レベッカはそれをうるさげに振り払った。予測さえできていればどうということのないトラップだ。

 気配を辿り、艦艇中央部分に備え付けられた小部屋に入る。その瞬間、キャビネットの奥に格納されたものが。無数のケーブルを生やしたが、そこに鎮座していた。狂気の笑みを浮かべた生首が。

「なんなの、これ!」
『そういう反応になるよね』

 イザベラの落ち着いた、そして温度の無い声が聞こえる。レベッカは激しい怒りを覚えていた。このを生み出したアーシュオンへの憎しみと嫌悪感だ。こんなものが存在していることそれ自体を、許せないと思った。

『この子たちはね、薬物によって常にトランス状態にあるんだ。自分が誰であるとか、なぜこんな所にいるのかとか、そんなことも知らない。理解することもできないようになっている』
「そんなッ!」
『アーシュオンはね、この五年でこんな歌姫セイレーンを量産する技術を獲得したのさ。しかもわたしたちなんかとは違う。圧倒的に安定し、圧倒的に従順。わたしのように反旗を翻すようなことはありえない』

 それって……。

『そう、そうさ、ベッキー。ヤーグベルテの情報部もこの技術をと躍起だ。歌姫強化計画の名のもとにね。だって、C級クワイア級の子だって、首を切られてケーブルに繋いで薬物を遠慮なく注入してやればこの通り。V級ヴォーカリストに並ぶか凌駕するレベルに跳ね上がる。生産コストは低いし、生命維持だって難しくない』
「でもそんなこと! こんな外道の所業、さすがに看過されるはずがないわ!」
『誰が、だい?』

 イザベラの声の温度は上がらない。

『こんな子たちでもは健在だ。むしろ、たちの断末魔なら良心も痛まないんじゃないの? 死ねて良かったねと、彼らは言うんじゃないの?』
「子どもたちの首を切り落とすその行為自体を忌避するって言っているの!」
『だから、誰が、だい。アーシュオンがこんなものをぽんぽん前線に送りつけてきたら、わたしたちはジリ貧だろう? そこにきてISMTインスマウスたち超兵器オーパーツに対しても、わたしたちはさほど有効な手段を持ち合わせていない。不利なんだ。負けているんだ。だから、国家危急存亡の時という錦の御旗をかかげ、一部の人間に犠牲を求めるのを是とし始めるだろう。かつて、自殺攻撃カミカゼが持てはやされた時代のように』

 確かに――マリオンがポツリと言った。

『私たちヤーグベルテは民主国家です……』
『その通りだ、マリー。外道だろうが非道だろうが、国民はんだ。自分たちが生き延びるためなら、許す。人間は政府やメディアの情報に簡単に騙されるし、エコーチェンバーの中で自分が全知だと錯覚する魯鈍ろどんな連中もうんざりする程いる』
『少数派である私たちは、彼らに簡単に……利用されると』
『そうだ。わたしたちがまだ強大な力を持っているうちはいい。だが、それが揺らいだら』
『だとしたら! こんなことはやめてください、イザベラ・ネーミア!』

 マリオンの声が響く。

『国民に歌姫セイレーンが危険だと思われたら、ますます!』
『違うな、マリー。危険だと思わせておくことが大事なんだ』
『でも! 私たちを従順にさせることが目的なら!』
「明日にでも首を狩りにくるかもしれない」

 レベッカが言った。レベッカは意識の中で唇を噛む。痛みはないが、そうしないではいられなかった。

「でも、違うわ、マリー。イズーのこの行為おこないが、抑止力になる。イズーに次いで、私まで反乱を起こしたら。あるいはあなたたちが反旗を翻したら。ヤーグベルテはアーシュオンから身を守るすべをほとんど失ってしまう。それは避けたいと思うはず。イズーが起こしたこの事件は、その危機感をこそあおるはず」
『そう願いたいね。少なくともこのゲテモノどもは、わたしの行動の動機を強烈に強化したっていうわけだ』

 イザベラの口調は軽かったが、そこに感情は感じられなかった。

『道すがら調べたんだけどね。この生首歌姫たちは、もともと誰にも探されない子たちなんだ。不法移民、戦災孤児、家出少女――不幸の積み重なった結果生まれてしまった子たち。アーシュオンは彼女らを積極的にしていった。その中で素質者ショゴスとみなされた子たちをこんな姿にしていった。まだ研究は途上で、そのほとんどは死んでしまったようだ。でも、素質者ショゴスではないとみなされた子たちのによって、生命維持システムの研究は飛躍的に進歩しているのだそうだよ』
「そんな実験まで……」
『基礎研究さ』

 イザベラは硬い声で応じる。

『生首歌姫量産化のための研究は着実に進んでいる。ヤーグベルテでは、いきなり手足を切られることはないにしても、アーシュオンが使っている薬物の投与くらいは現実的に考えられるさ。見た目のインパクトを与えない程度のね。歌姫セイレーンたちにはこう言うだろう。戦闘力を上げ、戦闘の恐怖感を薄れさせるための薬だ、とね。確実に一部の歌姫セイレーンは自発的に使うよ』

 イザベラの声には明らかな怒気が込められていた。マリオンがすくんだのがわかる。レベッカはマリオンを背中にかばうようにして、イザベラの気配の方を睨む。

 イザベラの気配がレベッカに近付く。レベッカは肩に触れられたような感覚を覚えた。

『わたしはヤーグベルテの歌姫特措とくそ法すら許せなかった。事ここに至るまでの政府、軍部……とどのつまりは国民どもにうんざりした。いい加減、うんざりした。だけどね――』

 アーシュオンのコイツらを見てしまった以上、わたしはもうになるしかないんだ。

 ――イザベラはそう呟いた。

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