エディタの呼びかけにより、残ったV級歌姫の全員がシミュレータルームに集っていた。エディタ、ハンナ、ロラ、パトリシア、そしてレオノールの五名である。
「すみませんが、ブルクハルト教官」
「うん、使っていいよ。スタンバイモードになってる」
「ありがとうございます」
エディタは目を丸くする。ここに訪れることについて、特にアポはとっていなかったのだ。にも関わらず、V級用筐体の必要数分、きっちりと用意されていた。
「先に乗っていてくれ」
エディタは四人にそう伝える。四人はそれぞれに自分の筐体に乗り込んでいく。
「教官、その」
「ここでの話は他言無用。弁えてるさ」
「ありがとうございます」
エディタは頭を下げると自分の専用筐体に向かって一歩踏み出した。
「ああ、そうだ、エディタ」
「は、はい。何でしょう、教官」
驚いて立ち止まったエディタが振り返ると、ブルクハルトは手元の端末から視線を上げた。理知的な視線がエディタをまっすぐに刺し貫く。
「あの二人のS級の件なら、心配は要らないと思うよ」
「教官がおっしゃる、その根拠は……?」
「不安はあるだろうさ」
ブルクハルトは回答を保留した。
「実戦経験がほとんどない、まして指揮経験なんて皆無。そんな指揮官が、君たちにとっていまいちパッとしないのはよくわかるつもりだ」
「それは――」
「誰もが最初は素人さ」
ブルクハルトは端末を作業台に置くと、腰に手を当てて、ずらりと並んだ黒い筐体を眺めやる。
「しかし、それゆえに必ず負け戦になるなんてことはない。逆もまた然りだしね。勝ち負けを決めるのは指揮官の能力のみってわけじゃない。だとしたら部下なんて木偶でも並べておけば良いってことになる。君たちはまさか人形なんかじゃないだろう?」
「も、もちろんです」
「なら、君たちが敗れるのであれば、それは君たちが負うべき要因がある。素人指揮官を支えようともせずにただ不安と不満を燻らせるというのなら、それは僕にはあまりにも非生産的で、単に逃げ道の確保に躍起になっているってくらいに見えてしまうけれど」
ブルクハルトらしからぬ辛辣な物言いに、エディタは唾を飲み込んだ。こめかみのあたりを冷たい汗が伝い落ちていく。
「まぁ、でも未知なる未来はすなわち恐怖だ。不安があるなら払拭のための議論を。不満があるならぶつかり合えば良い」
「……そのつもりです、教官」
なおも釈然としない風のエディタを見て、ブルクハルトは顎に手をやった。
「負けやしないよ、あの子たちの指揮下なら」
「しかし! 相手はあのイザベラ・ネーミアです。最強の歌姫なんですよ、教官!」
「ああ、そうだ。最強と言われている歌姫だ。だからといっていつまでも最強であり続けるものなんていない」
「き、教官はマリオンとアルマがそれを超えると……」
「あっちは一人。こっちは二人。戦争は個人戦ではないだろう?」
理路整然とした、そして穏やかな口調に、エディタは勢いを殺される。
「君たちが何をしようとしているかくらい、僕はお見通しだよ。そしてそれもまぁ、一つの手段としては良いかなとは思っている。ただ、それでもなお、君たちの決意が揺らぐなんてことがあれば、僕は君たちが艦を捨てることを勧告しなくちゃいけない」
その言葉にエディタは硬直する。先に筐体に乗り込んでいた四名も、何事かと顔を覗かせる。
ブルクハルトは天井を見上げて、そして居並ぶ美しい歌姫たちを見回した。
「僕にはいまさら偉そうに言う権利なんてないんだけどね、それでも僕はあの子たちのことを十七年以上も以前から知っているんだ。だからせめて、その生命を無駄にして欲しくないと思っている――心からね」
ブルクハルトの脳裏に、初めて出会った時のヴェーラとレベッカの姿が浮かび上がる。利発で可憐な少女たちだった。
「僕はあの子たちを、結果として終わりのない戦いに駆り出させてしまう、そんな大罪の片棒を担いだ。こうなってしまった原因は、少なからず僕にある。だけど、僕の力ではもう取り返しがつかない。あの子たちを救うことはできない」
ブルクハルトらしからぬ、苦々しい口調だった。エディタたち五名は、いつもと違う様子のブルクハルトを見て言葉を見失う。
ブルクハルトは一瞬だけ寂しげに笑うと、両手を軽く打ち合わせた。
「あとは君たちのターンだ。思う存分話し合えば良い」
「ありがとうございます、教官」
エディタはまた一礼し、今度こそ自分の筐体に乗り込んだ。
「僕だってこんな茶番劇にはうんざりしているんだ」
ブルクハルトは小さく呟く。
セイレネスは素晴らしいシステムだった。OSに完全に融和した、これ以上ないほどに美しい自律拡張コードで構成されており、ブルクハルトは初対面で完全に恋に落ちた。
未知なる深淵を手中に収めることができた――そんな気さえした。
このシステムによって兵器のみならず、世界そのものが変革するだろう。そんな確信すら持つことができた。
そしてそれから二十年近くもの期間、ブルクハルトは無我夢中でセイレネスに向かい合ってきた。だがしかし、その果てにあったものは、なんということのない愚かしい歴史の繰り返しと、挙げ句にはセイレネス同士の潰し合いという未来だった。
――結局のところ、僕はいったい何を目指したんだ。何をしたかったんだ。
ブルクハルトは溜息を天井に向けて吐き出した。
――僕はただの狂科学者なのかもしれない。
セイレネスこそ、この新たな概念の兵器こそ、今度こそ平和利用につながるに違いない。思えばその思いこそが誤りだったのだ。セイレネスは全地球規模で脳にダイレクトに影響を与えるシステムだ。人々に何らかの変化が起きて、その結果、こんな馬鹿げた戦争継続状態が終わる。ブルクハルトは確かにそんなことを夢見ていた。人々はようやく変われるのだと、世界はようやく変わるのだと、連綿たる悲劇の歴史はここで、このセイレネス・システムによって終焉を迎えるのだと、ブルクハルトは確信していたのだ。
だが、蓋を開けてみればどうだ。
それまでの究極的抑止力が、セイレネスに置き換わっただけの……ただの過去の繰り返しだった。
「僕はいったい、何をしたかったんだろうな……」
ブルクハルトはエディタたちが乗り込んでいる筐体を一瞥すると、モニタールームへと引き上げていった。