31-1-1:飛び立つ女帝

歌姫は背明の海に

 敵艦隊を殲滅し、母艦リビュエに着艦するや否や、カティは艦橋ブリッジへと急いだ。

「状況は! 状況はどうなってる!」

 その怒声に、通信班長が即応する。

「第一艦隊と第二艦隊は、すでに交戦中です。ネーミア提督率いる第一艦隊が圧倒的劣勢にあり、第二艦隊による殲滅も時間の問題だという分析結果が参謀部第三課より来ております」
「三課……!」

 アダムス大佐――。

 カティの顔色を見て、通信班長が付け加える。

「第六課に問い合わせたところ、本件についてはアダムス大佐の見解に同意するとのこと」
「くそっ!」

 いや、第一艦隊が優勢であることを望んでいるわけではない。マリオンたちの敗北を望んでいるわけではないのだ。しかし――。

 カティは切れるほど唇を噛みしめると、艦橋ブリッジから飛び出した。

「おっ、隊長!」

 愛機エキドナへ向かう途上で、エリオット中佐と遭遇する。しかしカティは手を挙げる暇を惜しんで、その脇をすり抜けようとした。だが、エリオットはそんなカティの右肘をガッチリとホールドする。

「いそがしいんだ!」
「あいつらの所へ行こうってんじゃないでしょうね」
「そのつもりだ」
「そりゃだめだ」

 エリオットは全身の力でカティを制止しようとする。だが、カティはそれで大人しくなるような華奢な女性ではない。エリオットの手を振り払い、そのまま駆け出そうとしたが、再びエリオットに左の手首を掴まれる。

「離せ、中佐!」
「隊長の気概は認めるし、心情も理解できる。でもね、ダメだよ、隊長。いくらなんでも、あんだけの空戦ぶちかました後に千キロ以上彼方の戦場に向かうなんてのは無茶すぎる。アーシュオンだって潜んでるかもしれねぇんだ。それに第一、どんなバケモンでも連戦は無茶だ。集中力が持たねぇ」
「それでもだ! それでもアタシは行く!」

 エリオットを引きるようにして、愛機エキドナの目の前まで辿り着けはしたものの、エリオットはなおも手を放さない。

「手を離せ!」
「わかりっした」

 エリオットはパッと手を離した。不意をうたれてよろめいたカティを、エリオットは後ろから抱き締めた。

「なっ、何をする!」
「大事な隊長にこれ以上無茶をさせるわけにゃ、いかんのです」
「それでも! アタシには約束がある!」
「それでもっす。隊長の約束が何なのかだなんて野暮なこたぁ訊きやしませんけどね。俺はあんたみたいな人に、これ以上危険な真似はさせたかねぇんですわ」

 何とかエリオットの拘束から逃れようとするカティと、ますます強く抱きしめるエリオット。カティがいくら類稀な身体能力を有しているとはいえ、一戦してきた後ではやはり、エリオットの方にかなりのがあった。

「アタシを誰だと思ってる! アタシはっ、アタシはっ!」
「隊長はね、俺にとっての大事な人なんだよッ!」
「世迷い言を聞いてやるほど暇じゃない!」
「世迷い言なんかじゃねぇよ!」

 エリオットは怒鳴り、ようやくカティを解放した。

「俺は今、隊長をぶん殴ってでも止めなきゃならねぇ」
「帰ってからいくらでも殴られてやる! だから!」
「ダメなんすよ、後払い厳禁すわ」

 帰って来られる保証もねぇじゃねぇすか。エリオットは口の中で呟いた。無論、それは興奮しているカティには届かない。

 二人がはたと気付くと、周囲にはエウロスの戦闘機乗りパイロットたちや整備員が集まってきていた。

「何をしてるんだ、エリオット」

 人混みをかき分けて姿を見せる巨人、マクラレン中佐が訊いた。マクラレンは流れるような動作で二人の間に割って入る。

「隊長がどうしてもあいつらのところに行きたいって」
「行かせてやれば良いじゃないか」
「何言ってやがる、ジギ1」

 気色ばむエリオットに臆することなく、マクラレンはその隆々たる腕を組んだ。

「俺は隊長を信頼している。隊長は死なないさ。ましてやディーヴァと交戦だなんて馬鹿なことをするはずがない」
「アタシは、イザベラを倒しに行くんだ!」
「どうぞ」 

 マクラレンはしれっとした顔で頷いた。

「エリオットもドサクサに紛れて隊長を抱いたりしてるんじゃないぞ」
「でもよ、俺は」

 エリオットはあからさまに不機嫌な声を上げた。マクラレンはそんな親友の肩を叩く。そしてカティの方へ向き直った。

「俺だって心配は心配です、隊長。ですが、止めても無駄なことはよくわかっていますよ。したいようにしてください。ここで折れる隊長じゃないでしょう」
「マクラレン中佐……」
「今飛ばなければ、隊長は一生引きずり続けるでしょうよ。そういう根暗な性格なことくらい、年長者の我々にはお見通しですよ」

 図星を突かれ、カティは何も言えない。

「ということだから、エリオット、行かせてやれ」
「じゃぁ、せめて俺が護衛に」
「ダメだ。ですよね、隊長」

 マクラレンはまたエリオットの肩を叩いた。エリオットは無表情にカティを見る。

「ごめん、エリオット中佐。本当にごめん。でも、これは……これはアタシの、個人的な戦いセルフィッシュ・スタンドなんだ」

 カティはそう言って、エキドナに飛び乗った。そして眼下にいる二人の中佐に軽く敬礼をしてみせる。

「帰ってきたら殴られてやるよ、エリオット中佐」
「いいえ、一晩中くどくど説教してやります」
「いくらでも付き合う!」

 かくしてカティはリビュエから飛び立った。

 眼下には戦艦空母アドラステイアの威容が見えた。副隊長のカルロス・パウエル中佐にアドラステイアを任せたのは正解だった。もし彼がリビュエにいたなら、本当に力づくで止められていたに違いないからだ。

『隊長、何してるんですか!』

 さっそくカルロスからの緊急通信が入ってきた。

「アタシは約束を果たしに行くんだ。エリオットもマクラレンも知っている。決してついてくるな!」
『しかし隊長、それは!』
「個人的な思いでエキドナを動かした落とし前は後でキッチリつける。そしてアタシはちゃんと五体満足で帰って来る!」
『ですがっ!』
「命令だ! エウロス飛行隊副隊長として、留守を守れ!」

 カティはそう言い捨てると強引に通信を切った。静かなはずのコックピットを、名状し難いが満たしてくる。しかしその音はどちらかといえば心地よく、睡眠薬でも飲んだかのような耐え難い睡魔を呼び寄せてきた。カティは歯を食いしばって意識を覚醒させ、ひたすらに東へと飛んだ。

 燃料はギリギリだ。第七艦隊に拾ってもらう以外に、帰るすべはない。

『カティ、聞こえますか』

 マリアの声がを割って響いた。

「マリアか。帰還命令なら聞かないぞ」
『いいえ、このまま……。このまま、飛んでください』
「えっ……?」
『正確な座標を送ります。急いで……!』
「わ、わかった」 

 マリアによって送り込まれてきた座標を入力し、カティは急ぐ。

 途中に伏兵がいないとも限らず、自動操縦にするわけにもいかなかった。カティ一人のために一個潜水艦艦隊が差し向けられるなんてことがないとも限らないのだ。

『カティ。この通信はセイレネスを通じて行われています』
「……そう、か」

 セイレネス。歌姫セイレーン……。アタシが、ねぇ。

 しかし今はそんなことは些細な問題だった。

『姉様方の通信、お聞きになりますか』
「……できるのか?」
『私を媒体にすれば。つらい内容になるかもしれませんが』

 そう、だろうな――。

 カティは大きく息を吐き、きつく目を閉じた。

「聞かせてくれ」
 
 目を開け、カティは答えた。

「たとえそれがどんなものだったとしても、アタシはヴェーラを感じていたい」
『わかり、ました』

 覚悟をもって――。

 カティはヴェーラとマリオンたちの会話に、耳をそばだてた。
 

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