カティは純白の空間に立っていた。一面の白だ。それはセイレネスの生み出す論理空間の中だった。
「やぁ、カティ」
「ヴェーラ……?」
声が聞こえてきたと思ったら、カティの目の前にふわりとヴェーラが降り立った。そう、その姿は紛れもなくヴェーラ・グリエールだった。
「セイレネスでは嘘はつけない」
ヴェーラは寂しそうにそう言った。
「わたしは最期に、この姿をカティにも見て欲しい……それだけを思ってた」
「ヴェーラ……」
カティは恐る恐るヴェーラに手を伸ばし、頬に触れた。
「ヴェーラ……ッ!」
抱きしめる。折れそうなほど華奢なその身体を、カティは力いっぱい抱きしめた。ヴェーラは黙ってその身をカティに預け、その胸に顔を埋め、背中に腕を回した。
「いつかの約束、覚えていてくれたんだね」
「忘れるもんか」
「……ありがとう、カティ」
ヴェーラの囁くようなその声に、カティは胸が詰まる。
「でも約束は、果たせない、けどな」
カティは鼻を啜る。思考が停止しかけていた。頭が割れるように痛い。ヴェーラはカティの頭に触れ、頬を撫でた。
「来てくれただけで、本当に……嬉しいんだ」
ヴェーラは微笑んだ。
「最期に……最期には、絶対にカティに会いたいって、本当に強く願ってたんだ。神様とやらにも初めて祈ったよ。叶うものなんだねぇ、願いって」
「こんなになるまで助けなかった神様なんて、クソッたれだ!」
「そう言わないでよ。神様だってきっと忙しいんだ」
ヴェーラはカティを強く抱きしめる。カティもそれに応えるように腕に力を込める。離さない、逃がさない、逝かせない……カティの強い決意の現れだった。
カティは胸に震えを感じて、ヴェーラを見つめた。ヴェーラも視線を上げてカティを見て、微笑んだ。その目から、涙が零れ落ちていく。
「どうして、笑うんだ?」
「微笑うだけなら、お気に召すまま、だからだよ」
「本音は、声を上げて泣きたいってことか」
「うん。当たり前じゃん」
ヴェーラは肯いた。ぽろぽろと涙が頬を伝って落ちていく。カティはヴェーラの頬に触れ、冷たい涙を感じた。
「ならさ」
カティは掠れた声で言う。
「泣けよ。泣いてしまえよ、なぁ……?」
「うん」
ヴェーラはカティに縋りつく。カティはヴェーラの白金の髪を撫でる。それに応じるかのように、ヴェーラの泣き声は大きくなり、やがて慟哭となった。
カティは自分もまた泣いていることに気がついた。しっかりとヴェーラを焼き付けておきたいのに、涙のせいで歪んでしまう。焦点が定まらない。胸の奥の痛みが、頭の芯の痛みが、カティを動揺させる。言葉が何も浮かばず、どんな声も出すことができなかった。
「カティ」
ヴェーラが涙に濡れた顔を上げた。
「お別れ、だね」
その声を聞いた刹那、カティは咽び泣いた。堰を切ったかのように、カティは泣いた。なにか大切な糸が切れてしまったかのように、カティは声を上げて泣いた。
カティは力いっぱいヴェーラを抱きしめる。ヴェーラは滂沱の涙を流して、カティの体温を受け入れた。
「さよなら……さようなら、カティ」
「ヴェーラ……!」
カティの震える声に呼応するかのように、ヴェーラが光となっていく。
消えてしまう。行ってしまう。カティは貪るようにヴェーラを強く抱く。
なのに。
少しずつ軽く、少しずつ小さくなっていく。
「カティに会えて、嬉しかったよ」
初めて出会った時の姿に、ヴェーラは戻っていた。
「それじゃあ、ね、カティ」
「ヴェーラ! ヴェーラ!」
ふわり、と。
ヴェーラは消えてしまった。
アタシの腕の中から、この世界から、消えてしまった――。
カティは誰もいない白い空間に膝を付き、あまりにも巨大な喪失感と虚無感に打ちのめされた。
「ヴェーラ……! ベッキー……!」
嗚咽と共に、愛しい名前たちを呼ぶ。
しかし、応えはなかった。
白い空間が冷たく、カティを包みこんでいた。