#07-01: This day…

本文-静心

 二〇九八年十一月二十五日。その日、ヤーグベルテの第十三・十四連合艦隊がアーシュオンによる奇襲攻撃を受けて全滅した。その日が、私たちにとっての運命の日となったことは間違いがない。

 その日は、第一艦隊にとっては、今年度初めての練習航海の日だった。出発前、アルマがずいぶんと緊張していたのを思い出す。レニーが子どもをあやすようにアルマを抱きしめ、そして手を繋いで出発していったっけ。

 私たちはセイレネス・シミュレータルームで調整作業を行っていたのだけれど、ブルクハルト中佐が突然作業を中断させた。ブルクハルト中佐はモニタールームの方からマイクを通じて言った。

『落ち着いて聞いて欲しい。まだ第一報だから、僕にも状況がよくわからない。練習航海中の第一艦隊が、通常艦隊の救援に向かった。そして――全艦、消息不明となった』

 私たちは第一艦隊からの支援の要請さえ受けていなかったから、そんな事件が起きているなんて知りようもなかった。半信半疑ではあったけど、誰も自分の携帯端末モバイルを確認しようとしなかった――怖かったからだ。私たちははこから出てくるなりザワザワと喋り始める。

「レオン、どういうことだろう」
「……消息不明って」

 さしものレオンも青い顔をしていた。その時、ドアが低い擦過音とともに開いた。入ってきたのは、カワセ大佐とレベッカだった。カワセ大佐はまったくの無表情で、レベッカの方は今にも倒れるのではないかという程、青白い顔をしていた。

 部屋の正面中央に立つと、カワセ大佐は平坦な声で宣言した。

「現時刻をもって、第一艦隊を反乱軍と呼称します」

 絶句する私たち。そんな私たちをよそに、カワセ大佐がガラスの向こうにいる教官に言った。

「ブルクハルト中佐、映像回してください」

 部屋の中央に半立体映像が浮かび上がる。そこにいるのは紛れもない、イザベラ・ネーミア提督だった。イザベラは督戦席と思しきところに座り、じっとカメラを見つめている。

 チャネルは国営放送のものだ。「第一艦隊反乱」というテロップが控えめに映し出されている。映像がパチリと切り替わる。おそらくセイレーンEMイーエム-AZエイズィ搭載カメラからのものに。

『ヤーグベルテの国民たちに告ぐ!』

 まぎれもないイザベラの声。鳥肌が立つほどの圧力が津波となってはるか遠くの海から襲ってくる。現地は……黄昏の頃だ。よく晴れたオレンジの空が見えていた。

『我々第一艦隊は、現時刻を以てヤーグベルテの支配を脱し、アーシュオンの艦隊とともに、統合首都を目指して進軍する!』

 何を……イザベラ?

 私たちは誰も喋らない。いや、喋れない。レベッカはじっとその映像を見つめ、カワセ大佐は相変わらず表情もなく立っていた。私はレオンの左手を求める。レオンの掌が私に触れる。

 次の瞬間、セイレーンEMイーエム-AZエイズィの主砲が一斉に火を吹いた。カメラが後方の艦のものに切り替わる。

「嘘……」

 燃えているのは……戦艦・ヒュペルノル……!?

「あれ、レニーの戦艦じゃぁ」

 レオンの声が、聞いたことがないくらいに上ずっている。私は思考が追いつかない。

 戦艦が燃えてるなぁ。

 艦橋ブリッジが消し飛んでいるなぁ。

 歌姫セイレーンは助からないなぁ。

「嘘だ……」

 私の思考がようやく映像の意味することを教えてくれた。

「嘘だ!」

 戦艦が沈んでいく。レニーが……消えてしまう。私の手をレオンが握っていた。握ってくれていた。

『わたしは、ヤーグベルテのあり方に、愚かにして傲慢なる国民たちに強く抗議する! 安穏たる日々を過ごすのは良い。我々軍人の役割は、お前たち国民に安寧をもたらすことだからだ。だから、それは良い。
 しかし! お前たちはわたしたち歌姫セイレーンに何をした! わたしたち歌姫セイレーンの命を何と考えた! わたしたちのに酔い、それを得るために戦争継続を是としたのは何者か!
 知っての通り、ヤーグベルテは民主国家。そして、戦争は政治の手段。すなわち、裁かれるべきは政府である。そして、彼らと結託した軍である!』

 クレシェンドとデクレシェンドの繰り返し。しかし、その声そのものにはわずかの揺らぎも感じられない。それは、イザベラの第一艦隊司令官就任の演説とまるで同じ温度感の演説だった。

『されど、国民よ。ヤーグベルテの国民よ!』

 私たちは唾を飲む。一言一句聞き逃すまいと、誰もが聞き耳を立てている。

『我らが国、ヤーグベルテは民主国家である! しかして現政権を選んだのは何者か。支持しているのは何者か。愚かな人よ、お前が誰にその票を投じたかは問題ではない。票を棄てたか否かも問題ではない。国家国民は総体として、今の政治のあり方を選んだ。その事実があるのみ! 繰り返すが、我が国は民主国家であり、ゆえに、多数マジョリティであることが正義にして総意である。ゆえに! お前たち、ひとりひとり、例外なく。その全てがわたしの敵である! 
 歌姫セイレーンを都合の良い娯楽の素材、を極めて都合の良い悦楽の素材として、我々の仲間の死ですら歓喜のもとにて受け容れた! さらには戦死者なき戦いには、有識者とやらからのすらあった――すなわち、程よく仲間を殺せと! そして多くの国民はそれに同調した。不遜ふそんなり! 不逞ふていなり! 不埒ふらちなり! ヴェーラとレベッカによる圧倒的勝利より、早十年。ヤーグベルテはを学んだか! ――否である!』

 戦艦ヒュペルノルが黄昏の海に完全に沈んだ。あまりにもあっけない幕切れだった。私は映像の中にパトロクロスを、アルマのふねを探す。必死に探す。だけど、見つからない。

『ヤーグベルテは何も学ばず、さらには、救いがたき享楽を覚えた! 我々の命が奏でるという享楽を! そして政府は、その供給を続けるべく、アーシュオンとの不毛なる戦争を続けた。そう、戦争は政治の手段なのだ。我々歌姫セイレーンという素質者をすりつぶし、その芥子けしの粉末を国民に供給し続け、国民を愚かたらしめ続ける、まさにその手段である!
 この現実に、この世界のありように、わたしは強く抗議する。わたしたちの生み出すものを受け取るだけ受け取り、騙し、おとしめ、奪う。血を流すことのみならず、我々に死ぬことすらも求め、自らは安全な場所から石を放り、考えもなしにはやしたて、そしていたまず、日々享楽に耽溺たんできし、与えられることを当然の権利と考え、信じて、疑えない暗愚卑陋あんぐひろうなる者たちに、わたしは本心より憤怒いかる。
 わたしたちは強い。たしかに、強い。されど、戦いのたびに恐怖し、後悔し、苦悩し、摩耗していくわたしたちに対し、いったい何人が思いをせただろうか! いったい何人が声をあげただろうか! わたしたちが敵の返り血に、そして仲間の死に、何の感情も抱かぬとでも思うのか!』

 艦隊の最後尾からの映像には、はっきりとアーシュオンの艦艇が映っていた。アーシュオンに寝返ったということ、なのだろうか。だが、アルマの艦パトロクロスがいない。

『戦争をゲームのように眺め、娯楽のようにたのしみ、好き勝手な御託ごたく解釈を並べ、を貪欲に求め、さらには我先にと飢えた豚の如くに奪い合う。その凄惨たる現状に、なんぴとも変わろうとしない現実に、わたしの忍耐は限界を超えた。わたしたち歌姫セイレーンがただ利用され続けることに対して、わたしはこうして立たねばならぬと考えた!』

 数秒の沈黙がある。誰も指一本動かさない。空気が凍っている。

 イザベラの静かな、限りなく温度の低い声が。

『ゆえに、わたしの持つありとあらゆる権能をもって、わたしはヤーグベルテを滅ぼそう!』

 ブツッと映像が消えた。テロップは出続けているから、イザベラが情報を遮断したのだと思う。

 その沈黙を静かに塗り潰したのは、カワセ大佐の小さな咳払いだった。

「発・大統領府および参謀部第六課、行・第二艦隊」

 カワセ大佐が自分の携帯端末モバイルに表示されている文書を抑揚なく読み上げた。

「主目的、反乱軍の殲滅。第二次目的、アーシュオン艦隊の殲滅。反乱軍の捕虜の要を認めず。第二艦隊は全戦力を投入し、反乱軍を殲滅。最優先目標、イザベラ・ネーミア座乗艦、戦艦・セイレーンEMイーエム-AZエイズィ

 カワセ大佐の黒い瞳は、まるで深淵の奈落。憤怒も悲哀も驚愕も、なにもない。本当になにもない。カワセ大佐をここまで恐ろしい人だと感じたことは、今までただの一度もなかった。

 その一方で、レベッカはぼんやりした表情をしながら、私たちのところへフラフラとやってくる。

「アルマは無事。パトロクロスはシステム不調で引き返している途中だったの。第七艦隊が曳航えいこう中という連絡が来ているから、だから、アルマは、大丈夫」

 レベッカはそういうと、私の肩を捕まえてそのまま崩れ落ちた。私とレオンが片膝をついてレベッカを支える。カワセ大佐は微動だにしない。

「ううっ……」

 レベッカの言葉は、意味を持てないまま消える。

 ――来てしまった。この日が、本当に来てしまった。

 でも、私には、伝わった。

「アーメリング提督」

 カワセ大佐が無表情に呼びかけた。レベッカは私とレオンを抱きしめると、涙を拭いて立ち上がる。そしてカワセ大佐の隣に立ち、振り返る。

「皆さん、言いたいことはたくさんあるでしょう。疑問もたくさんあるでしょう」

 私とレオンはゆっくり立ち上がった。衝撃の大きさに、誰も何も言えはしない。

「ですが、今、私はあなたたちに答えられる言葉を何も、何一つとして持ちません。……カワセ大佐、第二艦隊所属全員に通告を」
「四軍全てに対し、すでに総員戦闘態勢を発令しています」
「……にも関わらず、イズーと戦うのは私たち第二艦隊だけなのですね」
こうし得ません」

 その短い返答に、わかりましたとレベッカは頷いた。もうその顔に涙はない。そして、もはや感情すらもなかった。

「行きましょう」

 レベッカはそう言うと、カワセ大佐を伴って、マントを翻して出て行った。

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■本話のコメンタリー

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