レベッカの戦死から二週間ばかり。私たちは戦場にとんぼ返りしていた。イザベラが戦場を指定してきたからだ。今回はこちらも盤石の布陣で、私たち「歌姫艦隊」に加え、クロフォード提督率いる第七艦隊のバックアップがあった。さらにその後方には、あの空の女帝率いるエウロス飛行隊が控えていた。最強の通常艦隊、最強の航空部隊。そして、私たち。この戦力が敗れれば、すなわちヤーグベルテは亡国だ。
『歌姫の司令官さん、いるかい?』
二三○○時ごろ、艦橋のメインスクリーンに映し出されたのは、炎のような赤い髪の、真っ白な肌の女性だった。鋭く輝く紺色の瞳が、私たちを強烈に威圧してくる。身が竦むとはこのことだ。もちろん、この人物こそが空の女帝、カティ・メラルティン大佐だ。
『エウロスはもういつでも出られる』
「ありがとうございます、大佐」
緊張しながらそう応じると、メラルティン大佐は少し表情を崩した。少しだけ。
『引き際を誤るなよ、司令官さん。負けるより逃げるほうがマシだ』
「私たちは……」
『勝てるなら徹底的に勝て。さもなくば退け。そのためにアタシたちがいる。容赦なく使い捨てな』
「そんなこと――!」
『正義感は自分を焚くぞ、司令官さん。それにアタシたちを誰だと思っている。簡単に撃墜されるようなヘマはしないよ』
その目は少し悲しげだ。ヴェーラともレベッカとも親しかったメラルティン大佐の胸中はいかばかりだろう。
「大佐は……その」
『ヴェーラも、レベッカも、アタシの大事な友人だった』
「大佐は、何も言ってあげないんですか……?」
『声をあげたら叫んでしまうよ――か』
セルフィッシュ・スタンドからの引用だった。
『アタシからアイツに言えることはね、このバカ娘、って言葉だけさ』
「直接伝えてあげてください」
『チャンスがあればね、ビンタの一つくらい張ってやりたいさ』
そう言って、メラルティン大佐はヘルメットのバイザーを下ろし、通信を切った。私はコア連結室に向かおうと席を立つ。
「珍しいですな」
ダウェル艦長が言った。私の足が止まる。
「女帝があそこまで饒舌なのは、始めて見ました」
「そうなんだ」
饒舌にもなるだろう。伝えたいことだってもっといっぱいあるだろう。だけど、メラルティン大佐は全部押し隠している。その想いを自分一人で抱えようとしているんだ。
私はコア連結室に移動して、システムを起動する。
いや、でも、それは大佐の大切な思い出だからかもしれない。大事な記憶だからもしれない。誰にも触らせたくない、見て欲しくないものなのかもしれない。
私の意識が暗黒の空を飛ぶ。ずっと前方にアルマやレオンの気配がある。そして水平線の向こう側がほんのりと緑色に輝いている。その光輝は、星々の空に彩りを添えている。
『ははは! ヤーグベルテも本気を出してきたみたいだね』
イザベラの声が頭の中に直接響く。アルマやレオンも聞いたに違いない。
『なれば、いざ』
水平線の彼方が鮮烈に光る。無数の砲火が上がってきて、空中で光と化した。
『こちら第七艦隊。全艦、応射に参加する。全トリガー、レスコ中佐、ユー・ハヴ』
『エディタ・レスコより第七艦隊、アイ・ハヴ。協力に感謝する』
「来る!」
『エディタより、歌姫艦隊。全砲門開け。順次砲撃! ……マリオン、続きを任せる』
「マリオン、了解。アルマは、感覚を掴むだけでいい」
『アルマ了解』
アルマは未だセイレネスを使って実戦をしたことがない。私は流れてくる膨大なログを追い、アルマのリズムゲームもかくやと言わんばかりのスピードで、コマンドを弾いていく。身体が勝手に動く。
「セイレネス発動、盾を掲げよ!」
放たれた無数の実体弾の持つエネルギーを分解。変換して空中に展開する。そこに塔が倒れてくる。間違いない――タワー・オブ・バベルだ。
『うわっ!?』
「だいじょうぶ、アルマ。私が、絶対に、守る!」
盾が砕けていく。タワーも粉砕されていく。この攻防は互いを削り切るまで終わらない。
『エウロス、核を飛ばすよ』
今回の戦いに先立ってエウロス飛行隊に与えられた海上機動要塞アドラステイア。戦艦空母とも呼ばれるあの艦には核ミサイルすら積んでいたのか。
爆発の瞬間に変換してしまえば、その膨大なエネルギーだけを利用できるかもしれない。
『やってみせな、司令官さん』
「――わかりました」
盾と塔がぶつかり合うさなかに、一発の巨大な核搭載超音速ミサイルが飛んでいく。私は慎重に間合いを見計らって爆発させ、瞬時にそのエネルギーを論理観測方程式に変換した。そして、盾の中に組み込んでいく。
「押し返せえええええええっ!」
『甘いな』
イザベラの宣告。空が光る。
「うそっ!」
塔は相殺した。しかし、次の盾の用意が間に合わない!
星が降ってくる。艦船の速度では到底回避不可能な速度で、エネルギーの塊が落ちてくる。それが狙うのは、C級歌姫の乗る小型砲撃艦や小型雷撃艦といった艦船だった。
「なんでっ! どうしてっ!」
断末魔とともに消滅していく小型艦を見回して、私は叫んだ。イザベラにとっては脅威でもなんでもないC級歌姫を、なぜ狙う必要があった!?
『戦争には犠牲が必要だろう?』
「でも、こんなの――!」
『ならばきみの愛する人を殺そうか』
その低い声に、私の心臓が冷たくなった。そうだ、できるのだ。イザベラの一存で、誰を生かし、誰を殺すのかが決まる。レオンを狙い撃ちすることも可能で、私たちにはそれを防ぐ方法はない……。
『エディタよりマリオン。第二射、指揮せよ!』
「そ、そうだ。全艦、一斉射! モジュール・ゲイボルグ!」
第一射よりも減った攻撃。私はアルマとともにそれを光の槍へと変じさせる。
『効かん』
たったの一言で、槍は打ち消されてしまう。役者が違った。違いすぎた。
『第七艦隊情報索敵艦クレオパトラより歌姫艦隊。反乱軍より対艦ミサイルが多数接近。弾幕の要を認む!』
『エウロスが出る。発艦。エンプレス最優先、ナルキッソス、ジギタリス、バトコン最大! 後を追ってこい!』
振り返ると、メラルティン大佐の真紅の戦闘機が射出されていた。見たことのない形だ。F108Pではない。もっと大きい。
『第七艦隊情報索敵艦クレオパトラよりエウロス飛行隊。敵ミサイルの数が多すぎる、無茶だ。間に合わない!』
『メラルティンよりクレオパトラ。アタシのエキドナを侮るな!』
私も遊んでいたわけではない。その間、降り注ぎ続ける稲妻のようなエネルギー攻撃をひたすら防いでいた。だけど反撃に転じる余力なんて一つもない。
私たちの艦隊の前に出たエンプレス隊二十四機が、迫りくる何十ダースもの対艦ミサイルを蹴散らしていく。特にメラルティン大佐のエキドナは凄まじかった。機首付近に搭載された広角パルスレーザー砲と思しき武器が、次から次へとミサイルを撃墜していくのだ。
『アドラステイア、論理観測方程式を途切れさせるな!』
『大佐の無茶なエネルギーの使い方に追いつけるわけないです!』
エウロス間の通信も聞こえてくる。セイレネスの前には全ての通信は筒抜けだ。
『第七艦隊情報索敵艦クレオパトラより歌姫艦隊、対艦ミサイルの驚異は中程度に低下、各艦CIWSで対処されたし』
『エディタよりクレオパトラ。電探協力感謝する。引き続き戦域監視を頼みたい』
『第七艦隊情報索敵艦クレオパトラより、さらに悪い知らせだ。亜音速魚雷を十二、いや、十三、検知。誘導目標、制海掃討駆逐艦アキレウス!』
「なっ!」
間違いない。強烈なセイレネスの力の乗った何かが、海面を叩き割りながら迫ってきている。
『マリー!』
「アルマ、防御任せる!」
『ど、ど、どうやって!』
「システムが最適解を出してくれる。従って!」
『わかった……モジュール・トライデント、でいいのかな』
「時間がない! はやく!」
それは目視できるところまで迫ってきている。回避できる距離でも速度でもない。亜音速魚雷なんて食らったら、この最新鋭の艦だってひとたまりもない。
『パトロクロス、セイレネス再起動。モジュール・トライデント発動!』
海中に何本もの槍が突き刺さる。海面が渦を巻く。闇の海がオーロラグリーンの輝きを放ちながら、荒れ狂う。
亜音速魚雷がコースを乱されて明後日の方向へ流れていく。エディタの指示によって動いたレオンたちが魚雷を撃破していく。だが、私たちの防御が手薄になった瞬間に、C級歌姫の乗る駆逐艦が二隻沈んだ。
「くそっ!」
『マリー、防御しててもジリ貧だ!』
アルマのパトロクロスが前に出始める。私のアキレウスもダウェル艦長の指揮により前に出る。青と黒の制海掃討駆逐艦がイザベラの猛火を突き破っていく。
「マリオンより全艦。敵艦隊防衛ラインを強行突破する!」
『エディタより司令官。露払いは任せておけ』
双方の砲撃が水平線をまたいで続く。まだイザベラの艦隊は目視できない。V級の操る重巡洋艦から何十というミサイルが打ち上がり、彼方へと消えていく。
『第七艦隊ミサイル巡洋艦ハイペリオン、SRBM、発射! セイレネスにて捕獲されたし!』
後方から数本の光が打ち上がる。
「アルマ、SRBMを確保して!」
『これか、SRBM! 四基、マーク。終末段階にてエネルギー変換!』
「慣れてきたじゃん」
『慣れたくなんてない』
ぶっきらぼうなアルマの言葉に、まぁね、と私は頷く。
私たちの艦隊は前進を続ける。強烈な攻撃の前に脱落者は多数出た。C級歌姫の殆どが離脱を余儀なくされた。でも、撃沈されるよりはいい。
いよいよセイレーンEM-AZの輝きがうっすらと見えてきた頃になって、空が燦然と輝いた。アルマがSRBMのMIRVをエネルギーに変換したのだ。四千キロメートルもの高さから落下してくる飛翔体だ。そのエネルギーには凄まじいものがあるだろう。四つの弾頭がそれぞれ十に分裂し、イザベラの艦隊に降り注ぐ。
『エディタよりアルマ、半数はこちらでもらう。残りはセイレーンEM-AZを!』
『アルマよりエディタ、了解。半数マーク引き渡し。確認願います』
『エディタ、了解。マークアップ確認。軌道調整、V級にて、敵C級に弾幕!』
雨だ。
光の雨がC級歌姫たちの艦船に降り注いだ。駆逐艦、小型砲撃艦、小型雷撃艦が次々と沈んでいく。……もはや当初の三分の一も残っていない。
しかし、イザベラは強力だった。アルマによる全力攻撃を受けてでもなお、セイレーンEM-AZには傷一つ付けられていない。しかし、今のでイザベラの防御能力の限界が見えた。余力があったのなら、C級たちをも守ったに違いないからだ。
「ダウェル艦長、そのまま前進!」
『艦橋、了解』
しかし、進軍はすぐに阻まれる。四隻の駆逐艦――C級歌姫たちによって。
「どいてよ! 無駄死にするだけだ!」
『どかないわ』
一人がすぐにそう応えた。どう考えたって私の艦を止めることはできない。仮に体当りしてきたとしても、こちらは無傷に違いない。だが、そんな彼女らの背後には、白銀の超巨大戦艦が佇んでいる。
『私たちを殺しなさい。私たちを殺して、提督に挑みなさい』
「なんでそんな事をするの! 死にたいわけじゃないよね!?」
『あなたの手を私たちの血で染め上げられれば満足よ』
「なんで……」
理解が出来ない。
『私たちはあなたたちS級歌姫なんかとは役者が違う。百も、千も、承知しているわ。でもね、だからこそ、こうしているのよ』
「わかんないよ!」
私は叫ぶ。
『兵器のままでは死にたくない。だから、今、こうしているのよ!』
「でもそんなことしたって!」
『虐殺者になるがいいわ。私たちを殺すの。そうしたらあなたは殺人者。そうしたら私たちは人として死ねる!』
「撃てない!」
撃てるはずがない。無抵抗にも等しい、そのくらいの力の差のある同僚を、撃つことなんてできない。目の前にいる……仲間を撃つなんてできない。
彼我の距離は数百メートル。もうほとんどぶつかってしまう距離だ。次々撃ち込まれてくる砲弾を、私は機械的に弾き返している。
『私たちはね、言ってしまえば歌姫だなんて可愛らしい名前と立派な梱包を施されただけの、麻薬でできた人形みたいなものなのよ、眩むほどの芥子の香りのする人形なのよ!』
「自棄になっちゃだめだ!」
『自棄? そうね、そう聞こえるかもしれない。でもね、知ってしまったら戻れない。戻る気にもならない――!』
「知るって何を!」
その瞬間、私の意識が白転する。一人の人間の思い出が、私の中に詰め込まれてくる。セイレネスを通じて、私の中に突き込まれてくる。
ヴェーラの記憶……!?
――終わりにしたいという思いと共に、揺らぐ炎で終わる記憶。
その記憶が私の心を抉る。無理矢理に私の記憶野に埋め込まれていく。痛い。熱い。苦しい。
水が欲しい。喉がカラカラだ。頭が痛い。視界が揺れる。
「ヴェーラ……」
やめて、と言おうとした。だけど、言えなかった。セイレーンEM-AZの姿がもはや目前だった。
『現実というのはね、こんなものなのさ』
イザベラが言う。
『訴えた。言葉を、歌を、頼って訴え続けた。だけど、わたしの言葉は通じなかった。わたしの思いも、わたしの献身も軽んじられた。時代が変わる。主役も変わる。その時が迫ってきたと、わたしたちは知ってしまった。ゆえに、わたしたちは手にした剣を抜くことを決めた。次世代にこんな呪いを遺してはならないと。人々の思いを変える必要があると』
「でも! こんな力を使ってまで――」
『剣を持ち、ゆえなる自由の下にて平穏を求む。この行為の何が罪だというのかな?』
「でも、そんなことしたって!」
C級歌姫たちの駆逐艦が私に向かって真っ直ぐに突っ込んでくる。体当たりを仕掛けてくるつもりだろう。
「やっ、やめてよ!」
もう十分だ。もう殺したくない! 聞きたくない!
『エディタよりマリー、アルマ。迎撃せよ!』
「イザベラ! 私は、あなたを恨む!」
『それで結構』
『なるほどね……!』
割り込んできた声。誰?
『カティ!? なんで、セイレネスに……!?』
イザベラの動揺――こんな声、初めて聞いた。カティって、空の女帝の、だよね……?
瞬間、私に突っ込んできていた駆逐艦四隻が爆散した。何の攻撃が当たったのかはわからない。だけど、とにかく木っ端微塵に消し飛んでいた。
セイレーンEM-AZのすぐ上を、真紅の戦闘機が通り過ぎていく。戦艦からは、対空砲火は上がらない。メラルティン大佐から通信が入る。
『司令官さん。仕切り直せ。今のお前たちではイザベラに勝てない』
『アルマよりメラルティン大佐。イザベラの座乗艦は射程内。一撃仕掛ける!』
『エウロス隊長より、カワセ大佐。参謀部の見解を急げ』
『カワセです。参謀部第六課より通達、ただちに戦線を離脱せよ』
シナリオのように淡々と進む通信。私とアルマだけが置いていかれている。佇む巨大戦艦から、イザベラの声が届く。
『……だそうだよ、お二人さん』
「どうしてこんな時に――」
『全ては政治のお話さ。でもここはきみたちには、この脚本には従ってもらわないと困るんだ』
「どういうことですか」
『わたしの最後の歌劇を、どうぞごゆるりと』
「イ……ヴェーラ!」
私はその名前を呼ぶ。
『近々に再戦といこうじゃないか、マリー、アルマ』
『一緒に戻り――』
『甘いよ、アルマ。そんなんだから、カティが代わりに手を汚したりするんだ』
少し苛立ったような声とともに、セイレーンEM-AZが急速回頭をする。蹴立てられた海が咆哮し、私たちの艦が大波をかぶる。艦が大きく揺れたのがわかる。
「ダウェル艦長! 無事ですか!」
『なんとか。参謀部通達に従い、本艦も反転します』
「……わかりました」
私たちは一目散に戦場から逃げ出した。誰も追いかけては来なかった。