図書室を出たヴェーラとレベッカは手をつなぎながら食堂の隣の売店に向かった。目的地にこれといった根拠はない。ヴェーラの「なんとなく」が発動しただけだ。
ヴェーラはぐいぐいとレベッカを引っ張って突き進んでいったのだが、目的地直前の曲がり角で派手に尻もちをついた。
「あったったたたた……!」
レベッカを下敷きにしたヴェーラはお尻をさすりながら立ち上がる。レベッカはぺたんと座り込みながら目を白黒させている。
「前を見て歩けって、習ったことがないのか?」
ずば抜けた長身の女子――カティが赤毛を掻き回しながら溜息をついている。ヘッドフォンを首にかけると、未だ動転しているレベッカを助け起こした。
「お前も大変だな」
「いえいえ、それほどでもぉ」
「なんであなたが答えてるのよ!」
レベッカは頬を膨らませて抗議するが、ヴェーラは今にも口笛を吹きそうな表情だ。
「ベッキーを助けてくれたお礼に、握手しようよ、カティ」
「……こいつ、何言ってるんだ?」
カティはレベッカを見たが、レベッカは肩をすくめて首を振った。カティは「うううう」と唸って額に右手を当てた。
「あ!」
ヴェーラはカティの胸元に顔を近づけて、「おおお」と声を上げる。
「A856! 実物見たの初めて!」
「よ、よくわかったな」
A856というのは、携帯型音楽プレイヤーの型番だ。少しレトロな外見と、見た目にそぐわぬ頑丈さがセールスポイントとなっている端末であり、マニアの間で非常に人気があった。発売から五年経っているが、未だに入手困難なアイテムだった。
「音楽に関してはマニアだからね、わたし! 大抵のカタログは頭の中に入ってるよ!」
「それはともかく、お前たち、痛いところは?」
「手をすりむいた!」
ヴェーラは元気よく左手の平を見せた。確かにほんのりすりむけている。
「お前は?」
「私は大丈夫です。ちょっとお尻が痛いですけど」
「それは見てやるわけにもいかないな」
「ぶふっ」
ヴェーラが吹き出す。レベッカはジト目でヴェーラを見た。ヴェーラは悪い微笑を見せながら言う。
「だいじょうぶ、ベッキーのお尻はあとでわたしが見とくから」
「みっ、見せないわよ!」
「大丈夫なんだな? 転校間もないのに、変な噂を立てられるのはごめんだ」
ぽつぽつと残っている士官候補生たちが、カティたちを見て何事かささやきあったり携帯端末に何事か打ち込んだりしている。カティはギリギリのところで舌打ちを回避する。
「こういうの、苦手なんだよ」
カティは二人の美少女をの手を引いて、手近なベンチに座らせた。カティは二人の前で腕を組んで仁王立ちになっているものだから、傍から見れば、転校間もない生意気な士官候補生が、人気者の二人の美少女に説教、あるいは恫喝しているようにも見えなくもない。が、カティには、そういう事を考える能力が足りていなかった。ひとえに人付き合いに慣れていないのだ。
「よし、大丈夫だな。それじゃ」
カティはそう言うとヘッドフォンを装着しながら回れ右をする。
「すとーっぷ、じゃすたもーめん!」
「……まだ何か?」
「わたし、ヴェーラ・グリエール!」
「さっき聞いた」
カティは首を振る。ヴェーラはレベッカの肩を抱いて言う。
「こっちのメガネはベッキーでいいよ」
「ちょっと! どうしていつも私の紹介適当なの!? ていうか、雑!」
「あのな、コントならほかでやってくれ」
狼狽するカティを見て、レベッカは眼鏡のフレームの位置を修正する。レンズがキラリと輝いた。
「私はレベッカ・アーメリングです。すみません、さっきからこの子が失礼ばっかりで」
「わたし、失礼してないよ!」
「あなたが言わないの!」
二人のやり取りを見て、カティはポリポリと頭を掻いた。どこからツッコミをいれれば良いのかわからないし、カティはそもそもツッコミ方を知らないのだ。
「わたしたちね、来年は海軍の上級高等部なんだ。カティは?」
「く、空軍だけど。お前たちは高等部なのか? それも同学年? いや、しかし、お前たちは」
「わたしたち特別待遇なんだ。なんだか知らないけどそういうことらしいよ」
「なんだか知らないって」
カティは腕を組み思わず眉根を寄せる。そこでレベッカがヴェーラを押しのける。
「知ってても言えないってことです、カティさん」
「なるほど」
軍事機密の類、ということか? こんな少女たちが? カティは難しい顔をして考え込む。
「よし、カティ!」
「お、おう?」
「わたしたちの友達になって!」
「ちょっとヴェーラ、いきなりそんな事言ったって、困っちゃうでしょ」
「だってさ、わたしの直感が唸りを上げてるんだよ。カティとはながーいお付き合いになるよって」
「今年限りだろ」
「いーや、ちがうね!」
ヴェーラは「ふふん」と胸を張る。
「それともカティはわたしみたいな友達ほしくない? お得物件だよ? 今ならベッキーもついてくる!」
「あのね、なんで私がオマケになってるのよ」
律儀にツッコミを入れているレベッカに、思わずカティの口角が上がった。
「あー、ほらぁ。笑ったよ、カティが笑った!」
「わ、笑ってない!」
笑ったことなんてない。もう十年前から一度も笑った記憶なんてない。カティは二度、三度と首を振る。そんなカティを見上げて、レベッカが目を細める。
「私もその表情、良いと思います」
「……もういい」
カティはヘッドフォンを装着しようとする。が、その瞬間にヴェーラがカティの胸元のA856をつまんでいた。
「え、へぇ、ふーん」
「ちょっ、やめろよ」
「こういうの聴くんだ!」
「ど、どうでもいいじゃないか、別に!」
カティは慌ててヴェーラからA856を奪い取り、眉を吊り上げた。A856は今時珍しいディスプレイ内蔵型の端末で、今のように覗き込まれると曲名が丸見えになってしまう。
「百年くらい前のラヴソングだよね」
「だ、だから、別にいいだろ!」
カティの白い頬が真っ赤に染まった。カティは明らかに狼狽えている。そんなカティを「にひひっ」と見上げて、ヴェーラは言う。
「わたし、そういうの好き。ラヴソングはいいよね。恋とかまだ全然わかんないけど、想いはすごく伝わってくるもん」
「お、おう……」
「人の想いはとっても強い。誰かを思う気持ちは何よりも強いんだ。わたしがベッキーを、誰よりも大事な人だって思ってるみたいにね」
ヴェーラは目を伏せる。長いまつげが少し揺れる。
「きっとね、カティもわたしの大切な人になると思う」
「会ったばかりじゃないか」
「うん。会ったばかり」
ヴェーラは肯く。
「変なこと言ってると思われてもしょうがないけど、わたし、わかるんだ。わたしとベッキーとカティ。わたしたちは絶対に特別な関係になるってこと」
「私もそう思います」
レベッカが言う。カティは何を言われているのか理解できていない。
「わたしたち、今はまだ言えないことだらけだけどね、そういうことなんだ」
「どういうことかさっぱりだし、それにアタシ、人付き合いとかできない」
カティは動かない膝に言うことを聞かせようと力を入れる。しかし、どうしても動けなかった。
「ねぇ、カティ。それならさ、わたしたちが最初の友達になるよ」
「だから何で、アタシに構うんだよ」
「好きだから」
その答えにカティは目を丸くする。そこで声を出したのはレベッカだ。
「一目惚れ、でしょ、ヴェーラ」
「うん。そういうこと!」
「一目惚れって、あのな、そういうのは――」
ますます狼狽するカティの両手を握りしめるヴェーラ。カティは引きつった表情を見せて逃げようとする……のだが、両腕が動かせなかった。
「無理にとは言わないよ。カティがわたしを嫌いだって言うなら、それはそれで諦める」
「嫌いとか、そういうのじゃないけど」
カティはもごもごと言う。ヴェーラの隣に並ぶレベッカはうつむいて眼鏡の位置を直している。レベッカは親友の話術に半ば恐怖していた。
「好きになるかどうかは、わからないぞ」
「見定めてよ、わたしたちのこと」
「……わかったけど、アタシを好きになっても良いことなんて無いぞ」
「それはわたしたちが決める」
ヴェーラは強い口調でそう言った。カティは完全に気圧されていた。
「……わかった。それじゃアタシもう行く。本を返さないといけない」
「わかった。じゃ、明日ね!」
ヴェーラはそう言って、小さく手を振った。カティはようやく身動きできるようになって、乱雑に左手を振って歩き去った。
カティの颯爽たる背中を見送って、レベッカは「ふぅ」と息を吐く。
「全く恐ろしい親友を持ったものだわ」
「なにがぁ?」
「あなた、どこであんな話術身につけたのよ」
レベッカはどちらかというと口下手だし、人付き合いも消極的な方だ。だからレベッカは、ヴェーラのこの社交性を常々羨ましく思っている。
「そうだなぁ」
ヴェーラは顎に手を当てて考え込む。
「恋愛小説、かな?」
「そうなの?」
意外な答えに目を丸くするレベッカ。ヴェーラはニヤッと笑う。
「アクション映画かもしれない」
「あなたね、適当言ってるでしょ……」
「わたしは嘘しか言わないしなぁ」
ヴェーラはそう言ってケラケラと笑い、レベッカは眉間に手を当てて唸るのだった――いつも通りに。