その夜、カティはあまり眠れなかった。ようやく睡魔がやってきたのはほとんど日の出の頃――漁師たちが家を出る時分だった。
「あれ?」
なんか階下が騒がしい。カティは思わず肩を抱く。大きな震えが身体を貫いていく。
「なんだろう」
カティは迷いなく着替え、急いで階下へ降りた。そこでは父と母、年の離れた兄と姉が張り詰めた表情で何事か話し合っていた。
「ど、どうしたの?」
カティが声をかけると、父が厳しい表情を向けてきた。
「アーシュオンの兵士が見つかったんだ」
「えっ……?」
「あなた、やっぱり電話がつながらないわ。ネットも切れてる」
母が携帯端末を操作しながら言う。ネットが切れるなんて、あり得るのかとカティは目を丸くする。
「とにかく外と連絡がつかない。集会所に行こう」
「あ、あの、お父さん。そんなに怖い事が起きるの?」
カティの至極もっともな問いに、父は曖昧に頷く。
「そもそも通信が遮断されていることが非常事態なんだよ、カティ。そこにアーシュオンの兵士。おまけに警官の誰一人として連絡がつかない」
そこまで言われて、カティはようやく事態を理解する。湿った手のひらを衣服で拭くが、汗は次から次から湧いてくる。そんなカティの肩を叩いたのは、すぐ上の兄だ。
「ヴァシリーかな……」
「うん、たぶん……」
カティは震える声で肯定する。まさかという思いはある。が、昨夜のあのどうにも説明のできない恐怖が、カティにこの事件の犯人が誰であるかを明確に説明していた。
カティたちはそのまま、朝焼けの中を集会所に急ぐ。他の人たちも同じ考え方だったようで、村のメインストリートは多くの人で溢れていた。村祭りの時以外に、こんなに人が出てきたことはないんじゃないか――と、カティは思った。
集会所の前の広場に、アーシュオンの兵士――ヴァシリーが座らされていた。両手を炭素繊維の縄で拘束されている。その両サイドにはカティの顔見知りでもある屈強な漁師が立っていて、鋭い視線でヴァシリーを見下ろしていた。
ヴァシリーは無表情に周囲を見回していた。カティと目があった時に一瞬だけ動きを止めたが、表情は変わらなかった。
「名前は? アーシュオンの兵士だな?」
村の評議員の一人が訊いた。が、ヴァシリーは首を振る。
「その質問に何の意味が?」
「村の警官が四人とも昨夜から消息を絶っている。心当たりは?」
「さぁねぇ。闇に食われたんじゃないか。昨日の闇は濃かったことだし」
ヴァシリーはカティを見ながら言った。太陽が昇り始め、早くもジリジリと広場の人たちを焼き始める。
「なにを寝ぼけたことを言っている」
「お前たちに何を話そうが、それは俺の自己満足だからな。なぜなら――」
ヴァシリーが言うと同時に、空が暗くなった。文字通りに、照りつけていた太陽が分厚い黒雲の後ろに姿を消していた。村人たちの間に動揺が広がる。ざわつく広場の中心で、ヴァシリーはゆっくりと立ち上がる。両サイドの男が押さえつけようとして――叶わなかった。彼らの両手の肘から先が消えていた。鉄砲水のように血液が吹き出した。男たちは一瞬で干乾びた。
ヴァシリーの拘束はいつの間にか解けていた。村人たちは蜘蛛の子を散らすように広場から逃げようとした。だが、彼らの足は止まる。村のあちこちで同時に爆発が起きた。広場から見える家の多くが、粉微塵に消し飛んだ。それはまるで連鎖するように村の外側へと広がっていく。なおも逃げ出す人々もいたが、まるで地雷でも仕掛けられていたかのように地面ごと吹き飛んで四散した。カティの目の前にも手や頭が飛んでくる。
「……お、お兄ちゃん……」
「見るな、カティ。だいじょうぶだ」
カティの兄はカティを背中にかばう。
カティの見知った顔が次々と砕けていく。銃撃音だ。いつの間にか黒い戦闘用重甲冑を着た兵士が何人も姿を現していた。
遊びのように村人が惨殺されていく。
カティは立ち竦む。身動きができなかった。そんな中にあってもなお、カティは叫んだ。
「やめて!」
しかし――。
兄の首が落ちる。
カティの記憶は闇に落ちる。
死んだ、と思う暇すらなく。