あれからもう四ヶ月、か。
カティは無表情のまま、日替わり定食を口に運ぶ。美味しいとか美味しくないとかいう感想は特にない。素材が変わっただけでいつもの味付け、代わり映えのない食事――それこそカティのニーズだった。朝食は豆パン、昼食は士官学校の食堂の定番である日替わり定食、夕食は寮の食堂に用意されているものを温めて食べる。それだけだ。
少し暑いなと、カティは襟に指を突っ込んでほんの僅かな空気の通り道を作る。まだ冬は終わらない。南国育ちのカティにとって、今の屋外は正に酷寒だった。しかし、室内は室内で暖房が頑張りすぎてしまっていてとても暑い。
「おまたせ、カティ!」
食堂の入り口から、いつものように声が届く。カティにはとても心地の良い声だ。カティは顔を上げて、スッと右手を上げる。いつもの二人が連れ立って歩いてくる。
「おまたせしました」
レベッカはそう言って微笑む。カティは「いつもどおりさ」と目を細めた。
ヴェーラは白いふわふわのセーターと、スキニーな水色のジーンズ、黒いレザーのショートブーツという出で立ちだった。対するレベッカは、白と紺のボーダーシャツの上に緑の前開きパーカーを羽織っていた。濃紺の膝丈のスカートとブラウンのロングブーツの隙間に覗く白い足が、カティには少し眩しかった。
二人は左手にファーのついた白いロングコートを持っていた。それがお揃いの品だということをカティは知っていた。
「私服も大変だな」
「そうだねぇ。ベッキーの分も決めなきゃならないし」
「えっ、ちょっ!? 私、自分の服は自分で決めてますけど!」
「ん? 今朝もスカートかジーンズかで悩んでたじゃん」
「そっ、それはちょっとアドバイスを求めただけでしょ!」
いつものように軽い口論が起きる。が、これもカティにとっては日常だった。二人は軽口をたたき合うのだが、しばしば本気の口喧嘩になる。だが、二人とも理路整然とお互いの論理の間隙をつくものだから、それはカティにしてみれば一種の娯楽だった。
「さてさて、あと七ヶ月半で上級高等部なわけだけど」
ヴェーラは椅子に腰を落ち着けて弁当箱を取り出した。レベッカもそれに倣う。ヴェーラは「じゃじゃーん」と言いながら蓋を開ける。肉そぼろご飯を中心にしたサラダメインの弁当だ。
「野菜ばかりだと大きくならないぞ?」
「カティは肉しか食べなかった?」
「いや、それは」
カティは頬を引っ掻く。なんだかんだと栄養は管理されてきたはずだ――が、今まで何を食べてきたのかを思い出すのは難しかった。唯一の好物、豆パン以外は。
「いただきます」
レベッカはそう言って弁当箱からサンドイッチを取り出して口に運ぶ。ヴェーラは「あ、スプーン忘れた!」と言って、食堂の食器棚に向かっていった。食堂の学生たちの視線を釘付けにしたのは言うまでもない。たとえスプーンをとってくるだけの所作でも、ヴェーラは実に絵になった。ヴェーラもレベッカも、やはりあまりにも美しかったのだ。
「スプーンゲットしてきた! いただきます!」
ヴェーラは恐ろしく規則的な動作で食事をし始める。ミリ秒単位で制御されてでもいるかのようだった。そうしている間にカティは日替わり定食――今更確認したところカキフライ定食だった。
「そういえばさ、特別カリキュラムって、忙しいのか?」
「うん」
ヴェーラが手を止めて頷いた。レベッカが不満げに言う。
「特別扱いなんてしないでほしいんですけどね」
「だよねー」
二人の仏頂面に、カティは自覚の無いままに表情を緩めている。
「っつったって、お前たちはどう見たって特別だろう?」
「カティに言われても全然イラっとしないんだけどさぁ。実際のところ特別扱い特別扱い特殊特殊特殊あんたはお姫様黙って言うこと聞いてりゃ良い! みたいな感じでげんなりうんざりだよ」
不満を間欠泉のように吹き上げるヴェーラを見て、カティは頭を掻いた。
「それで特別カリキュラムって何やってんだ?」
「ええとね、うーんと、ベッキー?」
「へっ!? 何でここで私にパスするの!?」
レベッカはサンドイッチを水とともに胃の中に流し込んでから抗議する。
「わたしには肉そぼろご飯を完食する義務がある!」
「私だってサンドイッチ……」
「いや、今すぐじゃなくていいから」
カティが額に手を当てて言うと、ヴェーラは「うむ」と鷹揚に頷いた。
「というわけでベッキー、頼んだよ」
「全然文脈不明!」
レベッカはそう言いながらもサンドイッチを食べ終わり、水を口にする。
「大変だな、お前も」
「全くですよ、カティ」
レベッカもこの頃には完全に「カティ」と呼ぶようになっていた。ヴェーラは聞いているのかいないのか、弁当のサラダをスプーンで攻略しようとしている。どう考えてもフォークが必要だろうと、カティとレベッカは思っている。
二人は溜息をついて顔を見合わせる。どちらも「やれやれ」と言いつつ、表情は柔らかい。
「ええとですね、私たちは今、ブルクハルト教官のところでシステム工学を叩き込まれていて、あと、参謀部の方々から戦術理論を学んでいます」
「システム工学?」
カティはブルクハルトの名前にも反応していた。天才技術者として名高い教官で、いまだ中尉であるにも関わらず、軍の内外を問わず引く手数多だとか。ヤーグベルテの多くの技術を支えている人間だという噂も聞いている。
レベッカは頷いて、説明しても問題のない範囲の解説――それは全体のほんの一部だったが――を行った。
「つまり、今は艦船についての工学的な勉強を?」
「まさかジェネレータの仕組みから勉強することになるなんて思ってませんでした」
「すごいな。それはその専門の技官に任せておけば良いんじゃ?」
「そうもいかないんですよ」
レベッカはヴェーラに視線を送る。ヴェーラはいつの間にかサラダを完食していて、頬杖をついて鼻歌を歌っていた。まるで話を聞いていないようだ――と見えて、ヴェーラはちゃんと聞いている。
「まだ詳しくはお話できないんですけど、私たちは艦船制御自体を完全にマスターしなくちゃならないんです」
「システム工学はいいんだよ、まだ。ブルクハルト教官面白いし」
ヴェーラが口を挟む。
「問題は参謀部! めっちゃつまんない。戦術理論っていうけど、参謀部の人たちがとっかえひっかえやってきては好きなことをしゃべるだけじゃん。ヤーグベルテの対アーシュオン戦線の状況が一向に好転しないのも納得だよ」
「ちょっとヴェーラ、言い過ぎよ」
レベッカが嗜めるも、その声には同意の色があった。
「あ、でも、ルフェーブル中佐の話だけは、さすがに面白かったな」
「ルフェーブル中佐? 第六課の逃がし屋?」
「そうそう、アンドレアルフスの指先とも呼ばれてる名参謀にして、第六課の統括だよ」
カティも逃がし屋のことは知っている。というより、ヤーグベルテの国民の大多数が知っている。撤退戦の天才の誉れ高い参謀だ。本分とする撤退戦の性質上、戦果を挙げられるものではないために世間的な評価は高くないが、前線勤務の軍人たちからの信頼は非常に厚いのだとドキュメンタリーで見た記憶があった。
「参謀部第六課っていうのは、私たちの管理組織でもあるんです」
「そうなのか」
レベッカの言葉にカティは目を見開く。まさか参謀部直轄だとは思っていなかったからだ。
「だから、ルフェーブル中佐が私たちの上司ということになります」
「中佐、めちゃくちゃおっかないんだよねー」
「こら」
レベッカが呆れ顔で注意する。ヴェーラは腕を組んで顔を顰める。
「でさ、中佐は言うわけ。お前たちは近々に艦隊司令官になる。そうなれば何千の命がお前たちの采配一つで失われる。その時になって私に泣きつくようなことはするな。参謀部に貸しを作るような指揮官にはなってはならない。ってね」
「艦隊司令官か」
カティは驚く。艦隊司令官といえば中将だ。それを近々に? 目が回るような話だった。レベッカはそんなカティをレンズ越しに見つめる。
「カティだってすぐ――」
「四風飛行隊! カティも四風飛行隊のどっかの隊長とかになるよ!」
四風飛行隊――ヤーグベルテの誇る最強の戦力だ。
「まさか。そんな才能はないさ」
「なんで分かるの? まだシミュレータにも乗ってないじゃん」
ヴェーラの語気鋭い指摘に、カティは唸る。
「暗黒空域の後継者とか、カティにピッタリじゃん」
「ないない」
カティは首を振った。エウロス飛行隊隊長である暗黒空域こと、カレヴィ・シベリウス大佐は、ヤーグベルテ防衛の要として君臨する。異次元の手と呼ばれるエイドゥル・イスランシオ大佐とともに、ヤーグベルテの守護神として国内外に広く知られている。
「わたしの目を疑うのかね、カティ」
「根拠がないだろ」
「カティにできないことはない」
ヴェーラの強い言葉に、カティは圧倒された。ヴェーラはしばらく真顔だったが、不意に破顔した。
「まー、わたしたちも艦隊しれーかんとやらを目指して頑張るからさ。そして力を手に入れたら、戦争の方法論からして全部ぶっこわして世界を平和にするんだ。こんな惰性で続いてるような争いごとで、誰かが死ぬ世界なんておかしいんだ」
「抑止力になるっていうのか?」
「抑止力――かもしれない。でももっと、もうみんなが『戦争なんてばかばかしい、やーめよ!』って。そういうふうになるようにしたいんだ、わたし」
その言葉には並々ならぬ決意が合った。カティはレベッカを見たが、レベッカもまた、ヴェーラと同じ表情をしていた。レベッカの右手がカティの左手に触れる。
「その時に、私たちに協力してくれる強い力が必要なんです、カティ。だから――」
「守って欲しいんだ」
ヴェーラが言う。カティは少し混乱する。
「難しい言葉は要らないんだ。難しい論理も要らないんだ。ただ、守ってほしい」
「守るって言っても、何を――」
「今までありがとう――最後にそう言える関係でいて欲しい」
何を言っているんだ、ヴェーラは。カティは思わず眉根を寄せる。ヴェーラの手もカティに触れた。
カティは二人の手をそれぞれの手で握り、頷いた。
「わかった。努力はする」
「カティらしい答えだね」
そう言って、ヴェーラは微笑う。
「だいじょうぶ、カティならできる」
ヴェーラの囁きは、カティの胸の中で緩やかに溶けていった。