02-3-5:ユア・マジェスティ

本文-ヴェーラ編1

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 空軍士官候補生たちにとって、目指すべき目的地は一つだ。即ち、四風飛行隊への配属である。その中でも花形である戦闘機パイロットとなると更に狭き門である。そもそも、空軍士官候補生の中でも戦闘機乗りパイロットとして戦える者は一割に満たない。その中でも更に実戦を幾度も生き抜き、戦果を上げ続けた者だけが、四風飛行隊入隊の資格を得られるのである。それ故に四風飛行隊はスーパーエリートとして君臨し続けることができていた。

 カティは食堂に備え付けテレビでの四風飛行隊特集映像を眺めながら、不機嫌そうに息を吐く。

 四風飛行隊への配属は、カティにとっても目標だった。国民からの風当たりの強い軍部ではあったが、四風飛行隊だけは例外だった。国民からは絶大な人気を誇る部隊なのだ。特に、カレヴィ・シベリウス大佐率いるエウロス飛行隊、エイドゥル・イスランシオ大佐率いるボレアス飛行隊は、その双璧だった。

「無敵の飛行隊、か」

 無敵。だが、戦死者が出ないというわけではない。大規模空戦があれば、何人かのKIA戦死は発生する。だが、ニュースも国民も、「戦死は一人だってよ」「大勝利だ」などと言う。そこにカティは強い違和感を覚えていたし、怒りすら湧いていた。彼ら四風飛行隊が出撃した戦闘は、そのほとんどがされる。それはどんなエンターテインメント番組よりも視聴率を叩き出していたし、多くの国民が彼らの空戦の映像を熱望していた。それゆえに、大した規模ではない戦闘でも四風飛行隊は出撃させられることが多く、国民もそれを望んでいた。場合によっては四風飛行隊が出撃しなかったことに対するクレームすら入るほどだったし、政治家によっては戦況に関わらず、四風飛行隊の出撃頻度を上げることすら公約する者もいた。

 カティは全身にのしかかる疲労感を追いやりながら、サラダをつつく。つい十数分前まで、カティは例のシミュレータで訓練を行っていた。ハルベルト・クライバーとの模擬戦闘では二十五連敗を喫したところだ。カティは同期の中では圧倒的に優れたパイロット候補生だったが、それでもハルベルトには全く及ばなかった。カティが十人いても、ハルベルトを撃墜することはできなかっただろう。

「あんなやつに勝てないようじゃ、四風飛行隊も遠いな!」

 イライラとした口調を向けた相手は、向かいに座っている青年だ。柔和な印象の金髪の青年である。その穏やかな表情とがっしりした体格は、不釣り合いなようでいて不思議な均衡を保っていた。理知的な灰緑色の瞳が、きらりとカティを見つめていた。カティ、エレナ、そしてこの青年――ヨーン・ラーセンが、現在のパイロット適性上位の三名である。ヨーンはエレナと同様、大学出組である。そしで、天体物理学の博士号を持っていた。

「まぁまぁ、落ち着こうよ。イライラしたって彼には勝てないよ」
「お前には対抗心ってものがないのか」
「あるよ」

 ヨーンは目を細める。全く悪意を感じられないその表情は、なぜかカティのささくれた心を落ち着かせる。

「もっとも、僕は君に嫉妬してるよ」
「……アタシに?」
「今の僕じゃ、どうやっても君に手が届かない」
「勝てないってことか?」
「まぁ、それは……あるね」

 意味深なヨーンの答えの意味は、カティには伝わらない。カティは眉間に皺を寄せて、パンをちぎって口に入れた。

「君はすごいよ。初回から度肝を抜かれたけど。君が鳥なら、僕らはせいぜいモグラさ。ハルベルトは月くらいかもしれないけどね。鳥だろうが月だろうが、僕らには手の届かない存在だよ」

 ヨーンはコーヒーを飲みながら、そんな事を言う。カティは不機嫌な表情を見せる。

「なんだよ」
「よく食べるねって」
「……大食いで悪かったな」
「よく食べる女性は魅力的だと思うよ」

 ヨーンはまた微笑んだ。カティは冷め始めたコーヒーを口にする。ヨーンはテレビに一瞥をくれてから、一呼吸置いて言った。

「君は自由だね」
「自由……?」
「そうさ。君がどうしてここにいるのか、その事情は知らないさ。だけど、君は君の意志を貫く強さがあるよね。僕とは違う」
「そうは思わないけど」

 アタシの意志? アタシの意志ってなんだ?

 カティはコーヒーの黒い水面を睨む。カティのシルエットが揺れ、天井灯の反射がきらめいている。

「誰にも媚びない。誰をも忖度しない。君は君の意志で動いてる」
「褒めてる?」
「もちろん」

 ヨーンはまた目を細めた。カティは左手で頬を引っ掻いた。ヨーンはしばらく言葉を探していたが、やがて言った。

「君はそう、まるでだよ」
「はぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げたカティに、食堂にいた士官候補生たちの視線が集中する。カティは「しまった!」と慌てて口を閉ざしたが、時すでに遅しだった。候補生たちの中には「あの人が誰かと喋ってる」などと言っている者もいた。それほどカティが誰かと一緒にいる現場の目撃例は少ないのだ。

「じょっ、女帝とか、なんの了見だよ」
「まぁまぁ」

 ヨーンは珍しく悪い微笑を見せながら、右手を振った。

「本物の空を飛んだら、みんな言うよ、きっと。が来たぞ! ってね。あののように、みんなに讃えられる人になるさ」
「買いかぶりすぎだぞ」

 カティはイライラした口調で言ったが、ヨーンは意にも介さない。

「君は間違いなくそのくらいの人になるさ。僕だけじゃない。誰もがそう思ってる」
「そんなはずないだろ」
「僕だって勉強してるんだ。君とジュバイルが規格外なことくらい、どうやったってわかる。先輩方のシミュレーションデータも見せてもらったけど、君やジュバイルほどの機動戦闘ができて
いる候補生は、過去五年のデータの中にはいなかった」
「調べたのか」
「好きだからね、そういうの」

 ヨーンは幾分胸を張る。しかしカティは面白くない。

「その時間使って努力したら、もっと上達できたんじゃないのか」
「どうかな」
「うん?」
「努力すれば。頑張れば。僕はこの十数年、ずっとそう言われ続けてきたんだよ。成功は努力してれば当然。失敗は努力が足りなかったからだ。もっと頑張れ。もっと頑張れ。そう言われてきた。僕もそんなもんだと思っていた。けどね、それは井の中のかわず理論さ」
「う、うん?」
「世界が狭い人間にしか、そんな戯言ざれごとは吐けないってこと」

 ヨーンの言葉に、カティは考え込んでしまう。

「頑張れば何でも実現できる。努力すれば目的は達せられる。そんなのは、ここみたいなエリートばっかりな環境に放り込まれた、一瞬で妄言もうげんだってことが理解できるものさ」
「努力は無駄ってことか?」
「そうじゃないよ」

 ヨーンは嫌味なく否定する。

「努力に意味はあると思うよ。僕も今までの努力を無駄だって思ったことなんてないし。だけど、努力が万能薬、頑張りこそが至上みたいな、そんな一種の享楽主義はおかしいって話」
「お前の話は難しいな」

 カティは冷めて苦くなったコーヒーに盛大にミルクを注いだ。もはやカフェオレだ。

「つまり、ヨーンは何をしたいんだ?」
「僕は君が成長するための土台になりたいのさ」
「は?」
「踏み台」
「いや、それは」

 カティは眉根を寄せる。ヨーンは喉の奥で笑う。

「だから、僕は君の踏み台に相応しいレベルまでは上がり続けなければならない。僕がする努力はトップに立つ努力じゃないよっていう話」
「それはあんまりじゃないか」
「なにが?」
「だって、それって、それじゃ」
「君がこの国のトップエースになってくれるなら、僕にとっては僥倖ぎょうこうっていうことだよ」
「お前はどうなる」
「僕の人生は僕の人生。君をそこまで持ち上げられたら、それはその時考えるよ」

 その回答に、カティは満足しない。

「お前の人生をアタシのために使うっていうことか?」
「違うよ、違う」

 ヨーンは穏やかに首を振る。

「僕が送るのは僕の人生だよ」
「依存に見えるけどなぁ」
「だとしても、ね」
「う、うーん……ごめん、わからない」

 カティはその紺色の瞳でヨーンを正視した。ヨーンは穏やかな目線で受け止める。

「そうだな、さしあたり僕と君と、あとジュバイルとで、ハルベルトを撃墜しようじゃないか」
「あ、あぁ、そうだな」
「僕は君をアシストする。ジュバイルと共にね。君は一人ではハルベルトを倒せないかも知れない。僕にも当然倒せない。だけど、僕らが揃えば、遠くない将来に一撃くらいはぶちかませるようになるんじゃないかな」

 その言葉でカティは合点がいった。

「そういうことか」
「そ。二番機には二番機の生き方。三番機には三番機の生き方があるってこと」

 面白いやつだな――カティは心の中で思う。

「わかったよ。ハルベルト・クライバーを絶対に撃墜する。アタシが、じゃなくて、アタシたちが、だ。いいな」
「喜んで。陛下ユア・マジェスティ

 間髪入れずにそのように応答されたカティは、もう苦笑する他になかった。

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