03-2-4:国家のオーダー

本文-ヴェーラ編1

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 年末年始休暇が終わるや否や、士官学校には日常が戻ってきた。カティとエレナの顔にうっすら残っている青アザは、多くの候補生たちの憶測を呼んだ。休暇中になにごとか大喧嘩をしたのだという噂が独り歩きし、エレナの取り巻きたちはカティのことを悪し様に罵ったりもした。カティは仏頂面で彼女らをやり過ごし、ランチタイムにはヨーンも交えてそのことで笑い合ったりもした。

「で、これが、?」

 シミュレータルームに足を踏み入れたエレナは、前を行くカティに声をかける。エレナの後ろのヨーンは思わず足を止めていた。カティは「そ」と短く応じて今や指定席になっている戦闘列中央に配置されているシミュレータの蓋を開ける。エレナ、ヨーンもその両隣に陣取った。後から来た空軍候補生たちも一様に驚いた顔をしながらも、それぞれ適当に筐体きょうたいに乗り込んでいく。

『さて、時間だ。さっそく始めるよ』

 モニタルームのガラスの向こうにいるブルクハルトが、休暇前と全く変わらない様子で言った。シミュレータルーム中央に陣取っている巨大な二つの筐体についての説明は一つも行われなかった。カティとエレナだけはその正体についてある程度の情報を持っていたが、ヨーンはまったくの初耳だ。カティもエレナも、このことについてだけはヨーンと情報の共有は行っていなかった。

 カティたちがシミュレータを起動すると、すぐに室内はコックピットモードに切り替わる。映し出されている景色は地上で、操作パネル等はカティたちには見慣れないものだった。

『ああ、そうだ』

 ブルクハルトののんびりした声が聞こえてくる。

『このシミュレータ、なんだかんだあって休暇中にバージョンアップした。今までは君たちの実績をデータ化したものをフィードバックして仮想敵を作ったり僚機を作ったりしていたんだけど、そのプロセスを自動化することができた。具体的には君たちがコレを動かせば動かすほど、模擬人格レプリカが完成していくってこと。たぶん、将来的には無人戦闘機UAVの思考回路に搭載されたりするんじゃないかな。研究中だけど』

 カティは話を聞きながら、所狭しと並んだいささか古めかしい雰囲気の計器類を確かめる。

「これって、まさか」
『ああ、そうそう。メラルティンは気付いたね。そう、これ、F102イクシオンだよ』
F102イクシオン……!?」

 カティとエレナの声が重なる。ヨーンの呻き声と、他の候補生たちの動揺が音となって伝わってくる。空軍の候補生なら例外なく知っている、全機引退済みの老朽機だ。あと十年もすれば博物館行きになってもおかしくない代物だ。そしてすでにもう十年以上実戦の記録はない。デモンストレーション飛行でも出番を失って久しい。

『きょ、教官。なぜ今F102イクシオンなんですか? 現行機との互換性はほぼありませんし、こんな――』

 エレナの動揺がカティにも届く。カティもまた落ち着いてはいられなかった。なにしろこのF102イクシオンは、現役だった頃から「羽つき棺桶」とすら呼ばれていたからだ。

『僕もこんな訓練はしたくないが、時間の無駄とも言えない事情があってね。万が一の際に何も知りません、できませんではお話にならない』
「まさか教官」

 カティは計器類を慎重にチェックしながら言う。

「この機体ではアーシュオンの現行機体は相手できません」
『知ってるよ、メラルティン。だけど、これは国家のオーダーなんだ。実際にF102イクシオンは現存している。ミサイルも機関砲もある。空も飛べる。体当りすれば敵だって無事にはすまないだろ』
「体当たり……」
『僕の感想じゃない。国家の、国民の感情さ。大量にあるF102イクシオンを鉄屑とみなすことを許してもらえない、このご時世の話。僕だってこんなもので君たちを無駄死にさせたいなんて思ってはいない。だからこその、訓練だ』

 ブルクハルトの口調に鋭さが乗っていた。いつもの彼らしからぬ言葉だった。

『僕たちは国家が生贄を出せと言ってきたら、そうしなきゃいけない。君たちはまだ軍人じゃない。見かけの拒否権はある。だけど、僕たちは……いや、政治家は知っている。そういうを出せば、君たちの多くは従うことをね。僕ら軍は君たちにF102イクシオンに最低限の武器を載せて、空へのを手渡すことになる』

 アーシュオンとの戦線はそこまで――カティは息を飲む。

『ハルベルト・クライバーが一度飛ぶ。彼をしてもまともな戦闘はできない。が、参考にはなるだろう』

 カティたちの視界に青いF102イクシオンが姿を見せる。それは短距離滑走の末にふわりと舞い上がる。上空には十数機の攻撃機が見えた。味方機もいくらかいたが、戦況は圧倒的に不利だ。いまさらF102イクシオンが上がってどうにかなる状況とは到底思えない。

 案の定、空に上ったハルベルト機に二機のFAF221《カルデア》が襲いかかってくる。通常なら機関砲の一連射でやられているところだろうが、ハルベルトの機動はやはり異常だった。唸りを上げて襲いかかってくる30mmHVAPをこともなげに躱し、高度を少しずつ下げていく。

 カティはかつて読んだF102イクシオンの情報を頭の中に呼び起こす。

「低空加速性だ」

 カティの呟きに、ブルクハルトが「イエス」と応えた。低空加速性が、とは言えない。だが、FAF221カルデアや、F/A201フェブリスとそれなりには張り合える程度の性能がある。逆に言えば、低空を逃せば勝ち目はまったくない。

『でも、メラルティン。あれの低空性能はパイロットの腕に全て依存するはず。そしてセミアナログの操縦系であんな機動をするためにはコンピュータレベルの処理能力が必要だ』
「それはそうだけど、逆に言えばそれができるならあんな機動ができるってことだ」

 カティは瞬きすらせずにハルベルトの機動を睨んでいる。その手元の映像も見えているのだが、カティの実力をもってしても、その挙動の意味の全ては説明できなかった。

 ハルベルトの機体は今、亜音速でビルの隙間を縫って飛んでいる。敵機はその上空を追尾しつつ機関砲を撃ち込んでくる格好になっているが、ハルベルトの機動は妖怪じみている。ビルや高架を隠れ蓑にして神出鬼没に敵機の後ろを取る。取ったからと言って攻撃機会が得られるわけではない。敵機の機動性もまた、F102イクシオンにしてみれば圧倒的なのだ。

『あっ、一機』

 ハルベルト機の真後ろに一機が取り付いた。絶体絶命の位置関係だ。だが、ハルベルトは機体を地面に垂直に押し立てて、ブースターノズルを進行方向に向けた。強烈な胴体ブレーキをかけた。あんなことをしたら普通にパイロットは何らかのダメージを負う。

『無茶だ』
「だが、唯一の正解だ」

 ヨーンの感想に冷静に応じ、カティは趨勢すうせいを見守る。ハルベルト機は真上に弾かれるように飛び上がり、後ろにつけていたのとは別の機体の真下に潜り込んだ。敵機は衝突を避けようと機体をひねる。ハルベルト機から放たれた機関砲弾が敵機を掠める。

『外れか!』
『惜しい』

 ヨーンとエレナの悔しそうな声が聞こえたが、カティは沈黙する。ハルベルト機がそのまま何故か、苦手な上空へと飛び出したからだ。もちろん、そこに二機が機首を向けてくる。ハルベルト機はそのまま逃げる。低空を漂っていた雲を貫いて逃げる。

 何を考えている……?

 カティは腕を組んで考える。二機はまっすぐにハルベルト機を狙って突っ込んでいく。ミサイルを使うまでもない相手、ということだろう。機関砲で仕留めるつもりだ。

 ハルベルト機がブースターの点火を止める。速度がみるみる下がり、敵機との距離が一気に詰まる。

「あっ!」

 カティが声を上げる。敵機の機関砲弾がF102イクシオンを襲う、その瞬間に、ハルベルトはブースターを向けて噴射した。機関砲弾がギリギリ機体下面を掠める。必殺の一撃だったはずの攻撃を回避された敵機は、そのままハルベルト機の真下を通過していく。それと同時に、F102イクシオンから対空ミサイルが六発――つまり全弾――撃ち放たれた。

「ロックオンなしで撃った……?」
手動マニュアルモードよ、カティ・メラルティン』

 ハルベルトが言うと同時に、六発の対空ミサイルは、唸りを上げて一機に食らいついた。

『自機と一緒にミサイルを六つも操ってるっていうの?』
「そういうことだな」

 エレナの声が震えている。カティの声は平坦だった。

 あれなら、できるかもしれない――カティはそう考え、どうしたらそれが実現できるかを組み立て始めている。機体制御プログラムをリアルタイムで組み変えるのは必須だ。ミサイル、あるいは照準システムのを利用することで、あるいはF102イクシオンでも機動マニューバレベルを上げられる可能性がある……。

『中尉、残念だけど、ここまでよ。武器がないわ』
『了解、クライバー。おつかれさま』

 シミュレーションは唐突に終了した。このまま続けていても、ハルベルト機が残った一機の敵にやられる未来しかなかったということだ。

『と、いうわけだ。今のがおそらく、F102イクシオンの限界性能だ。圧倒的な性能差は否めないが、可能性はゼロでは――』
『綺麗事ですよ、教官』

 エレナの気丈な声が場を制する。

『機関銃を持った相手に吹き矢で戦えと言っている事実は変わりません』
『たしかにね』

 ブルクハルトは肯定する。

『では、どうする、エレナ・ジュバイル。オーダーを拒否する権利はあるけど』
『乗れと言われれば乗ります。戦えと言われれば戦います。が、死ねという命令には従えません』
『そう、君の思う通り。F102イクシオンで飛べというのは、死ねという命令に他ならない。そして恐らくいざその時に至っては、その命令自体は覆らない。だからこそ、その時に十死零生を九死一生にする算段を、こうして僕は練っている』

 ブルクハルトの声に揺らぎがない。カティは頷く。

「教官。アタシ……自分がやります。エレナ、ヨーン、やるよ」
『え、でも、カティ!』
『おおせのままに』
『ちょっと、ヨーン、こんなの――』
『現状に不満があるなら、自分を変えるしかないさ。可能性があるなら、僕はそれを少しでもなものにしたい』

 ヨーンがそう言い切る。エレナも「しょうがないわね」と渋々ながらも乗ってきた。

「教官、この機体の制御プログラム書き換えの許可パーミッションもらえますか」
『お、やる気だね。君ならそう言うと思って、外してあるよ』
「ありがとうございます」

 カティはシミュレータから閲覧できる制御用の各種プログラムを読み解いている。モジュールのいくつかは現行機でも共有だから、そこは無視した。旧式機だけあって、制御プログラム自体は難しくない。

『カティ、行けるの?』
「状況は待ってはくれないさ」

 カティはそう言うと、さっそくシミュレータの離陸シーケンスをチェックし始めた。

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