03-3-3:襲来

本文-ヴェーラ編1

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 間に合え! 間に合え――!

 強烈な加速度を全身に感じながら、暗黒色の航空甲冑フライトスーツを身に着けた男が噛み締めた奥歯の奥から声を絞り出す。半透明のバイザー越しにも明らかなその眼光は、異常に鋭利で深い。それはさながら暗黒色の鷹の目のようだった。

 ヤーグベルテ最南部に位置するこの空域は、夕暮れ時の茜色を受けてキラキラと輝いている。遠く眼下に見える海面もまた然りだった。ヤーグベルテ最精鋭の飛行士を集めた四風飛行隊の、そのさらにトップエース部隊・エウロス飛行隊。彼はその部隊の隊長だった。その彼がたった一機で本土の東を真南に向かって飛んでいく。

 彼らエウロス飛行隊はほんの六時間前に戦闘を終えたばかりだった。蓋を開けてみれば、それは単なる囮――というには二個潜水艦艦隊というのは大規模だったが――に過ぎなかったのだ。ヤーグベルテはアーシュオンの陽動作戦に、まんまとしてやられたということになる。

「くそっ」

 苛立ちを隠さない彼は、司令部に状況説明を求める。

『こちら第三課統括、アダムス少佐です。まずは落ち着いてください、シベリウス大佐』
「この状況でどうやって落ち着けっていうんだ、このアダムスの野郎!」

 シベリウスはアダムスを相当に毛嫌いしている。アダムスがどう思っているかは不明だったが、とにかくシベリウスはアダムスのことを蛇蠍のように嫌っていた。

『落ち着きましょう、大佐。いくらの誉れ高い大佐であっても、たったの一機で戦況が変わるはずもない』
「行かねぇよりマシだ。俺が行くことで救われる命もある!」

 シベリウスは吐き捨て、そのまま暗黒の愛機を南へと進める。シベリウス専用の試作機、その音速の三倍に迫るそのスピードには、誰も追いつくことは出来ない。

「ところでこのクソッタレな迎撃戦、作戦指揮はてめぇの第三課か!」
『本部の指示で、たった今そうなりました。以後、心置きなく』
「うるせぇ、黙ってろクソ野郎」

 シベリウスの悪態にも、アダムスの声に動揺は感じられない。それがシベリウスをますます苛立たせた。アダムスは掬い上げるような、まるで揶揄やゆしているかのようなトーンで状況を説明し始める。

『判明しているだけで、六十機のFAF221カルデアがユーメラ士官学校方面へ接近中。支配領域ドメインの制空権および制海権はすでに敵の掌中にあります』
「第六艦隊は何してやがる! あそこは六艦の支配領域のはずだ!」
『緊急退避しました』
「はぁ!? あそこに六艦が常駐するって話だったから、俺たちはユーメラ航空基地からうちのパースリー隊を配転したんだぞ!」
『第六艦隊に全滅されても困りますからな。無難な判断というやつですよ。ま、第二課の指示なので、私はあずかり知らぬことですが』
「てめぇ……!」

 シベリウスは遥か南の空にを検知する。電探レーダーより早く。しかしその直感が外れたことはない。しかし解せないのは、この領域に六十機もの攻撃機を飛ばしてくる必然性だ。シベリウス指揮下のパースリー隊が常駐していた航空基地は、今はもう訓練用に整備し直されている。軍の施設であることは確かだが、対空砲火が健在である基地に向けて新型機を差し向けてくるのは不可解だ。他にあるとすれば士官学校くらいだが、こちらを狙う理由は皆目見当がつかない。

 いや……。

 シベリウスは左手で仮想キーボードを叩いて、多弾頭ミサイルの追尾プログラムに細工を加え始める。お仕着せのプログラムだと簡単に迎撃されてしまうからだ。あまり早くにコードを組んでもどこからかわらない。だから、接敵数分前に確定コードを流し込む。そんな芸当ができる人間は多くはないが、四風飛行隊のパイロットならば誰でもマスターしている技術だ。

「まさかてめぇ、士官学校に配備したあのF102カンオケを飛ばそうって魂胆じゃねぇだろうな! そのために六艦を退かせたんじゃ――」
『さぁ、そこは第二課に問い合わせください。ともあれ、私個人としてはその判断は妥当。士官学校のF102イクシオンが迎撃に当たるというのならそれもまた良し。時間くらいは稼げますかね』
「ふざけんな!」

 シベリウスの意識が敵機の最右翼部隊を捕捉する。まだ視覚での認識はできていない。衛星画像はアテにならない。

「あんなもんが時間稼ぎなんざできるわけねぇだろうが! そもそも士官候補生に戦わせるんじゃねぇ! 逃がせ!」
『そうはいきませんよ。国民の皆々様は、士官学校にも迎撃戦闘機が配備されたことをご存知です。であるにも関わらず機関砲の一発も撃たずに逃げた、では、世論が納得致しませんよ』
「飛ばしたら候補生は死ぬ。その家族から恨みも買う!」
『ヤーグベルテは民主国家ですから、ご安心ください。少数の犠牲のもとに多くの人の安寧は保証されるようにできている。犠牲者にならなければ誰も不満を口にしない。それがこの国でしょう? ご存知のように』
「クソッタレが! 無駄死には許さねぇ!」
『意味ある死に変えられるのは大佐しかおりませんな!』

 アダムスの露骨な嫌味が、シベリウスの激高を誘う。しかし、シベリウスは奥歯を噛み締めてそれを飲み下す。

 一刻も早く現着するしかねぇ。

 シベリウスは機体の制御システムを書き換えて、安全装置セイフティの一切を停止させた。機体の速度がさらに上がり、シベリウスの身体はシートにぎりぎりと押し付けられる。航空甲冑パイロットスーツを着ていてもなお、肋骨がへし折られそうになるほどの加速度に、シベリウスは無言にならざるを得ない。

 カレヴィ・シベリウス大佐専用戦闘機、F108P-BLXブラックパエトーンが単機、夕暮れの空を引き裂いていく。ヤーグベルテの絶対的守護神が、たったの一機で突き進んでいく。

 しかし、その機体をもってしても、F102イクシオンの離陸前の現着は不可能だった。沿岸部は無差別爆撃を受け、迎撃システムはほとんど全滅している――そんな情報が、エウロス飛行隊の母艦・リビュエから、シベリウスのもとにもたらされてくる。全ての状況が最悪だった。

 せめてクロフォードがいてくれれば、こんなクソッタレな強襲は許さなかったはずだ!

 シベリウスは今はヤーグベルテ統合首都の士官学校の代表主任の地位に押し込められている名物指揮官のことを考える。彼が洋上にいてくれさえすれば、今回のような潜水艦の大部隊をみすみす見逃すような事は起こり得なかったはずだ。

「ジギタリス、ナルキッソス、どこらへんまで来ている」
『両隊とも大佐の十五分後方』

 ジギタリス隊隊長、マクラレン中佐が応じてくる。十五分、上出来だ。シベリウスは信頼おける二人の中隊長に後続の事は任せることにする。そこにナルキッソス隊の隊長エリオット中佐が通信を入れてくる。

『大佐、今入った情報ですが、奴ら、核使った可能性がありますよ』
「いや、MOABの一種だな」
『分かるんで?』
「ああ、わかる」

 シベリウスは機体の各種センサと参謀部から送り込まれてくる情報を照合してそう断定する。その言葉にはマクラレンもエリオットも異論を挟まない。シベリウスが判断を誤ったことなど無いからだ。

「そもそも、奴らは核使うくらいならを投入してくる」
『違いないっすね』

 エリオットはそう応じる。そこにまたアダムス少佐から通信が入る。

『アーシュオン本土より、B138メギドが二十飛来しています。大佐、取り急ぎそちらの迎撃に部隊を向かわせていただきたい』
「なんだと!」

 B138メギドというのは、アーシュオンの旧型戦略爆撃機だ。

『心配ない、シベリウス。俺たちが迎撃する』
「イスランシオ!」

 聞き慣れた親友の声に、シベリウスは安堵の声を漏らす。対して激しく動揺したのはアダムスだ。

『イスランシオ大佐、勝手なことをされては!』
『これは非常事態。違うか、アダムス少佐』

 沈着冷静なイスランシオの声が、アダムスを問い詰める。

F102イクシオンを飛ばさなければならないほどの非常事態。俺はそう受け取ったが?』

 シベリウスと並ぶヤーグベルテの守護神、エイドゥル・イスランシオ大佐。ヤーグベルテの軍司令部ですら、彼らがどこにいるかは把握できない。仮に把握していたとしても、それは欺瞞ぎまん情報だったりもするという幻の部隊・ボレアス飛行隊。それがちょうど、恐るべき戦略兵器B138メギドの迎撃可能位置にいた。

 ……あいつめ、この状況を把握していたな。

『ユーメラ方面の情報には俺も気付けなかった、すまん、レヴィ』
「爆撃機を抑えてくれるだけでもありがてぇよ、エイディ」

 ぐん、とさらに速度を上げるF108P-BLXブラックパエトーン。多弾頭ミサイルが撃ち放たれる。

「行け!」

 シベリウスがミサイルにコードを走らせる。B138メギドを巡って、イスランシオとアダムスが言い争っていたが、どう考えてもイスランシオに分があった。というより、イスランシオは勝てない戦いはしない。絶対に勝てる状況を作ってから参戦してくる。現場で状況打開を図る力技のシベリウスとは対象的な超人だった。

 ミサイルが分裂する。それは網のように前方に広がる。シベリウスの計算では、燃料切れギリギリの位置で敵機を補足するはずだった。撃墜できるかどうかの問題ではない。一刻も早く、敵に「シベリウスがここにいる」ことを知らせなければならない。

『イスランシオ大佐、我々参謀部の指示に従わないとなると、軍法会議ものですぞ』
『黙れ、アダムス少佐。お前たちの世論操作ゲームに国民を付き合わせてやる義理はない。俺たち四風飛行隊はヤーグベルテの守り神。俺たちは国民を守るのが仕事だ。残念なことに、そこには貴様らも含まれるのだがな』

 淡々としたイスランシオの言葉に、アダムスは今頃震え上がっているだろう。イスランシオという男は、その卓越した戦闘センスや指揮能力だけの男ではない。情報戦のスペシャリストであり、誰もが国内最強を認める男だった。電子戦のみならず、物理的な情報制圧すらお手の物だという噂もある。シベリウスはその噂の真偽を知っていた。

「おっそろしい男だぜ」

 幾分気が晴れたシベリウスはそう呟き、そして、息を飲んだ。

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