04-1-1:ニュース

本文-ヴェーラ編1

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 新聞が主たるサービスを電子媒体に移行してから約半世紀が経過しているのだが、未だなお、紙媒体ペーパーメディアにこだわる購読者層というものはある程度存在している。雑誌も、小説も、漫画も、ありとあらゆる文字文化は電子的なものに変わってきているが、紙文化が絶滅する予定はなさそうだった。たとえばカティは小説を読むなら紙媒体ペーパーメディアというこだわりがあったし、紙媒体の復権運動のようなものさえ起きている――その内容は主に環境保護団体との戦いではあったが。

 媒体はともかくとして、「報道」と呼ばれるものの性質自体は、それこそ何世紀をかけても変わっていない。毛色の差異はあるにしても、要は耳目を集めたものの勝ちということである。真実だの事実だのと呼ばれるものは、彼らが作る。マスメディアの語る真実など、実にどれもが眉唾ものだ。

 シベリウスはそんなことを考えながら、執務室のソファで腕を組み、テーブルの上に並べられた紙媒体の新聞の一面記事たちを睨み回していた。そこに踊る見出しは、どれも似たようなものばかりで、シベリウスは思わず「独創性がないな」と呟いた程だ。

「若き英雄による勇気ある行動」
「愛国心が彼に奇跡をもたらした」
「旧型機の真の能力!」
「新型機配備は税金の無駄遣い!?」
「イクシオンを扱い切れない無様な先輩たち」

 ――概ねこのような内容の見出しがデカデカと踊っている。近日配信となる週刊誌たちには、もっとグロテスクでサイケデリックなタイトルが書かれることになるだろう。

「しかし、集めたはいいが。クソみてぇな記事しかねぇなぁ」

 読む価値がないことは、昨日の緊急出撃スクランブルの時にはわかっていた。どんな記事が出てくるのかもわかっていたし、およそ予想通りだった。ただ、新聞記事を読んでおくことは、マスメディアがどの程度真剣に現状を理解しようとしているかを推し量る材料にすることができたし、或いは中央政府や軍がどのような情報を「書いてほしいか」を読み取る目安にもなる。そして何より、国民の共通認識がどのようになっているのかを理解する助けにもなる。

「ったく、雑な解説だぜ」

 自称識者、自称専門家がホイホイと何やら書き連ねている。本物の識者や専門家は、こんなところに寄稿する余力はないほど、今は駆けずり回らされている。こういうメディアにササッと原稿を提供できるという時点で、彼らの専門性レベルは推して知るべしだった。

 テレビをつけてみれば、どこのチャンネルも同じ内容をひたすらしつこく垂れ流していた。ユーメラの高等部、シミュレーションすらしたことのない子どもがF102イクシオンを飛ばし、あまつさえ敵の最新鋭機を撃墜せしめたということを、どこまでも限りなく喋り続けている。乏しい知識と貧しい語彙で語られる勝手な主観――吐き気がする。シベリウスは苦い顔をして、テレビを消した。

 軍も軍だぜ。都合のいい映像ばかり提供しやがって。

 シベリウスはイライラと足を組み、ソファにふんぞり返った。その時、執務室のドアの鍵が開く。

「大佐、コーヒーをお持ちしました」

 入ってきたのは、シベリウスの副官兼秘書のマルヤーナ・エルスナー大尉だった。セミロングの茶色がかった金髪が、歩みを進める度にふわふわと揺れる。整った小さな丸顔と、ヤーグベルテ系の血を色濃く受け継いだ証とも言える雪のような肌が、まるで精巧で美しい人形を思わせた。利発で理知的なエメラルドグリーンの瞳の輝きがなければ、本当に人形のようだった。

「ああ、空いてるところに置いておいてくれ」
「空いてる……?」

 エルスナーはシベリウスの隣に立つと、「んー」と小さく鼻を鳴らした。

「いつも以上に置き場所がありません」
「あ、ああ。そうだな」

 シベリウスはそう言うと、応接テーブルに広げられていた新聞紙を乱暴にまとめ、円柱形のゴミ箱の中に強引に突っ込んだ。エルスナーはまた鼻を鳴らしてから、コーヒーをシベリウスの目の前に置いた。

「せめてコーヒーを置く場所くらい、どこかに確保してほしいものですが」

 エルスナーは呆れたように言い、シベリウスの執務デスクを振り返る。そこもまた、書類や機器類がうず高く積まれ、とても仕事ができるような場所には見えなかった。

「あれはあれでいいんだ、大尉。俺にとっては使いやすい」
「秘書としてはご遠慮願いたい惨状ですが」

 他の将校に見られたら咎められるのは私だと、エルスナーはハッキリと口にする。シベリウスはコーヒーカップを口元に持っていき、なんとも微妙な表情を見せる。

「ったく、散らかしてるのは大尉じゃないだろ。俺に言えってんだ」
「言えないから私に言うんですよ、大佐」

 エルスナーは大袈裟に溜息をつく。そのわかりやすい感情表現は、シベリウスにとっては心地が良かった。エルスナーは才媛だ。セプテントリオ工科大学を出てから士官学校に進み、空軍に入隊。その後、瞬く間にエウロス飛行隊に所属を移した。エウロス飛行隊の予備隊選抜試験に、空軍入隊ニ年目のエルスナーは合格したのだ。予備隊といっても、エウロス飛行隊である。並のパイロットではないということは証明されていた。

「エルスナー大尉」
「はい?」

 シベリウスは自分の向かいのソファを指差した。エルスナーは「忙しいんですけど」と言いながらもちゃっかり腰を下ろす。

「空に上がらないか?」
「戦闘機に?」
「そうだ。エウロス予備隊から引き上げようかと思っていて」
「いえ」

 エルスナーは首を振った。意外な反応にシベリウスはカップを置いた。

「なんでだ?」
「私が空に上ったら、誰が大佐のおもりをするんです?」
「おもりって、お前なぁ」
「それに今の私はもうエウロス飛行隊の看板を背負える人材ではありませんよ、大佐。事務仕事のほうが得意になっちゃいましたし、F108パエトーンの試作機のアーキテクトの一人でもありますしね」
「ああ、そうだ」

 シベリウスは頷いた。エルスナーは航空力学の権威の一人と言ってもいいほどの実績と実力を持っている。シベリウスと共に機体制御プログラムを構築したりもしているし、最近では空軍のシミュレータの調整という副業も行っているという。

「お前のほうが忙しいくらいだな」
「ですね」

 否定しないエルスナーは、小さく笑う。

「でも、私の仕事は命を取られることはありませんから」
「まぁなぁ。それはそうだが、大尉、お前の仕事で人の生死いきしには決まりかねない」
「どっちがえらいってことはないですけど、でも、私は大佐を尊敬していますよ」
「何だよ、気味が悪い」
「大佐は国家の宝です。それは誰もが認めています。イスランシオ大佐と共に、国家防衛の要ですから。そして、その重圧から絶対に逃げようとしない。その点だけでも称賛に値します」

 エルスナーはわざとらしく顎に右手の人差指を当てながら言う。

「大佐ほどの人だからこそ、私のようなハイクラスの、得難い人材がついてきているんです」
「それ自分で言う?」
「マスコミの言う事実よりは信憑性がありません?」
「違ぇねぇ」

 シベリウスは笑う。エルスナーは得意げな顔をして胸を張った。

「確かに大尉が俺のところに来てくれたのはラッキーだった。俺はどうにも地上での仕事は苦手でなぁ」
「天才は変人だったり欠陥があったりするものですから」

 エルスナーは目を細めた。シベリウスは「はいはい」と両手を軽く上げた。毒舌家で名の通ったシベリウスだったが、このエルスナー大尉には勝てないのだ。そしてだからこそ、シベリウスはエルスナーには心を許していた。

「ひとつ訊いても良いですか、大佐」
「拒否権はないだろうさ」
「当然です」

 エルスナーはいたずらっぽく笑うと、少し身を乗り出した。

「第六艦隊の失策、防空体制の手薄さ、飛ばす必要のなかったF102イクシオンによる戦闘。これ、どこの横車です?」
「直球ストレートだな。というか、お前さん、わかってるんだろ」
「答え合わせのつもりです」
「かなわねぇな」

 シベリウスは腕を組んでソファに身を沈める。

「参謀部第三課。というか、あのアダムスの野郎だろうさ。今回の防空戦闘の指揮をったのもヤツだし」
「そこまでは私の予想通りなんですが、大佐。しかし、第三課が何かしでかすとしても、あの第六課のが黙っているとは思えないんですが」
「あいつもヒマじゃねぇってこと」

 シベリウスはエディット・ルフェーブル中佐の顔を思い出しながら大きく息を吐いた。しかし、エルスナーは少し合点がてんがいかない顔をする。

「最近は第六課指揮の作戦、こと、撤退戦は少ない気がします。そこまで忙しいんですか?」
「あぁ。第六課は今後の戦争を変えるようななんかすげぇことをやってるらしいぜ」
「すげぇこと?」
「詳しいことは言えねぇが、第六課は今、アダムスみてぇなクソ野郎にかまってられるほどヒマじゃねぇのよ。ある意味、自浄作用が失われてるとも言えるな、参謀部」
「ルフェーブル中佐は軍の良心みたいなものですからね」

 エルスナーは「うんうん」と頷く。参謀部は全部で六つの課で構成されているが、その中にあって、ルフェーブル中佐は唯一の女性統括である。彼女の撤退戦の指揮能力は国の内外を問わず広く知られているところであり、こと、軍関係者たちからは「裏の英雄」とさえ呼ばれている。敗北敗走続きのヤーグベルテであるが、それでも軍が機能不全を起こさずにいられるのは、エディット・ルフェーブルによる撤退戦の超技巧の指揮がある。第六課が戦闘指揮を引き継ぐと、退却・撤退戦であるにも関わらず全軍の士気が上がるとさえ言われている。

「でも困りましたね。空軍の主幹は第三課であるにしても、第六課が……ってもしかしてそれも、第三課に好き放題させるための方便なんじゃ?」
「良いカンしてるなぁ、大尉は。さすが才媛。頭の回転が俺とは違うなぁ」
「そりゃそうですよ。私、天才ですもん」
「天才様が俺の副官だなんてのは、これまた僥倖ぎょうこう
「もっと出会いに感謝してくださいね」

 エルスナーはふふっと笑い、ゆっくりと立ち上がりかけ、また座った。

「それにしても、うちの国の人達って、戦争を娯楽だと思ってますよね」
「違いねぇ」
「ユーメラの一件で少しは危機感覚えてると良いんですけど」
「対岸の火事さ」

 シベリウスは肩を竦める。

「政治家ですら、武力をいつまでも放棄しないから戦争は終わらねぇとか世迷い言をぶっこいているこの世の中だからな」
「それは社会が健全ってことですよ」
「そんな主張する連中がいることが?」
「好きなことを言える社会であることが健全だってことです。政治とか軍に対して、阿呆な意見を言うことすらはばかられるような社会は、すなわち不健全ですよね?」

 エルスナーは「んー」と唸りながら目を閉じる。シベリウスは「ふむ」と言いつつ、エルスナーの持つバランス感覚に感心する。

「なぁ、エルスナー大尉」
「いきなり名前を呼ばれると気持ち悪いなって思うんですけど」
「お前、のほうがいいのかよ」
「大佐にお前って呼ばれるとちょっとイラっとするんですけど、何故かそれがいいんですよね」

 エルスナーは今度こそ立ち上がり、トレイを胸に抱えてドアの方へと移動していく。

「あー、そうだ。大尉。今夜ディナーでも?」
「ランチでけっこうです。今夜はちょっとプログラムひとつ完成させたいので」
「ランチかよ」
「ベッドタイムのお誘いなら直接そう言ってください」
「お前なぁ……」

 さしあたり今はその気はなかったが、ここまでダイレクトに言われると言葉に詰まる。シベリウスは首を振った。エルスナーはニコリと笑って一礼する。

「ちゃんと誘われたらついていきますよ」
「考えておく」

 シベリウスは苦笑しながら頭を掻いた。エルスナーが出ていったドアにロックが掛かるのを見届けて、シベリウスは残ったコーヒーを飲み干した。

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