04-2-1:シベリウスの演説

本文-ヴェーラ編1

↑previous

 雪が降りしきる年の暮れ、カティたち上級高等部二年の空軍候補生たちは、小さめの講堂に集められていた。候補生数十名の表情は等しく緊張している。それもそのはずだ。演壇に立っているのは、あのカレヴィ・シベリウス大佐だったからだ。ヤーグベルテ最強の戦闘機乗りであり、論理戦闘の天才であるエイドゥル・イスランシオ大佐と共に「ヤーグベルテの双璧」とすら呼ばれている。まぎれもない英雄なのだ。その偉人を前に、候補生、まして空軍候補生たちにリラックスしろという方が無理筋だった。

「お前らはあと二年半以上、候補生だ。脱落するなら早くしておけ」

 シベリウスは開口一番にそう言った。

「任官、そして配備されてしまえば、れる選択肢は、死ぬか、辞めるかだ。そしておそらく、ちょっとやそっとでは辞めることはできない。心情的にな。これだけ危機に見舞われているヤーグベルテを見捨てて飛行機を降りられるかと訊かれたら、ほとんどの戦闘機乗りはノーと言う。俺もそういうのをたくさん見てきた。戦闘機だけじゃねぇ。軍人の多くはそう言うだろう。なぜなら、こうなっちまった国を守れるのは軍人だけだからだ。政治屋の仕事のフェイズじゃねぇんだ。もうとっくにな」

 そう言ってから、シベリウスは鋭すぎる視線で候補生たちを見回す。一様に緊張が感じられるが、その濃度にはムラがあった。

「いいか、戦場で生き残るのに必要なのは、ある程度の技術と、人並外れただ。どんだけ技術があろうが、運がなければ死ぬ。20mm機関砲の弾一発にだって、人間は耐えられやしねぇ。流れ弾でお陀仏なんてことも少なくはねぇ。技術ってのはな、死神との口約束には役に立つ。だが、しょせんはその程度。もちろん、このある程度の技術ってのは、お前らの考えているレベルじゃぁ、絶対にねぇよ。そんな生優しいレベルじゃねぇ。血を吐いて身に着けた技術があるのは大前提だ」

 シベリウスはもう一度学生たちを見回す。ふと視線が導かれた先にいたのは、燃えるような赤い髪の毛をした美女だ。講堂の一番後ろに座っている彼女だが、その瞳の色ははっきりと紺色だと分かった。その視線はシベリウスに勝るとも劣らない鋭さがあり、強い意志の力を感じることができた。シベリウスをしてしばらく魅了されてしまうほどに美しく気高い強さが、その美女の中にはあった。

 シベリウスは一瞬言葉に詰まったが、やがて咳ばらいを一つして言葉を続けた。

「死神は気まぐれだ。口約束なんて簡単に反故ほごにする。だがな、俺や俺の部下、つまりエウロスの変態どもは、口が上手い。俺たちは出撃前に死神に誓うのさ。十人分の魂をくれてやるから、今回は俺のことは見逃してくれってな。だから俺たちは死なない」

 シベリウスは視線を赤毛の美女――カティから外せない。彼女はあまりにも強い。シベリウスはそう確信した。カティ・メラルティンの話はすでに聞いている。だが、正直その話は半分聞き流してもいた。しょせん候補生だろうと。

「お前たちの中の何人が戦闘機に乗れるかはともかくとして。生き残りたければ強くなるしかない。だが、どんなに強くなったところで、死神は簡単に手のひらを返す。俺の明日だってわかりゃしねぇぜ? 俺だって無敵でも不死身でもねぇんだ」

 シベリウスはようやく視線を動かし、後ろの出入り口のところに立っているパウエル少佐を見る。

「お前らの教練主任、パウエル少佐はうまいこと取引して生きて帰って、今こうして偉そうにやってるがな。それは単なる幸運さ。あいつは、お前ら知らねぇかもしれねぇが、すげぇ戦闘機乗りだった。それでも、負傷した。死ななかったのは、まさに技術の力だ。運はなかったが、ぎりぎり死神にスルーしてもらえた。そういう話だ」

 水を一口飲んで、シベリウスは少し身を乗り出した。

「ヤーグベルテの空を飛ぶ以上、俺は無駄死には認めない。機体が墜とされるのは一向に構わん。だが、死ぬな。死ぬほかに選択肢がない――そんな馬鹿な話はあり得ない。必ず活路はある。みっともなくとも惨めでもなんでもかまわん。命を賭けて誰かを守る。その心がけはいい。だが、その賭けに負けるのは認めない。集団戦で全員が生き残るのは難しいかもしれない。だが、何名かの喪失ありきで考えるのは参謀の仕事だ。俺たちは常に全員で生きて帰って、いつだって下らねぇジョークを気がねなく飛ばしあえる環境を維持しなきゃならねぇんだ」

 そして言葉を切り「で、だ」と、ニヤリとしながら言った。

「今日の俺の演説は弾切れだ。それで本題。俺と戦ってみたい奴はいるか」

 シベリウスが言い終わるのと同時に、カティが手を挙げた。そしてほとんど同時に大柄の青年と栗毛の女子候補生が手を挙げる。シベリウスは「よし」と腕を組んで頷いた。予想通りといえばその通りだったからだ。

「パウエル少佐、セッティング頼む」
「了解」

 パウエルは携帯端末モバイルを取り出すと、ブルクハルトに情報を伝える。端末の向こうにいるブルクハルトは「だと思っていた」と応え、すでに設定はできていると告げてくる。

「やれやれ、俺の周りには天才しかいないのか」

 パウエルは肩を竦めて、シベリウスに向かって「OK」のハンドサインを出した。シベリウスは移動を前に、カティを呼びつけた。カティは少し表情を硬くして、シベリウスの前にやって来る。長身のシベリウスと並んでも、ほとんど引けを取らない上背があることにシベリウスは驚く。

「カティ・メラルティンだな?」
「肯定です、大佐」
「十二年前の事件の?」
「……肯定です」

 カティは一瞬だけ目を伏せたがすぐにシベリウスを直視する。その力強い視線に、シベリウスは惹き込まれる。あまりにも強い意志の力が、そこにある。ただものではない――シベリウスは確信する。カティの身体から溢れ出るエネルギーに魅了されたといってもいい。

「お前たちの戦闘訓練のデータは俺も見ている。二年にしては確かに次元が違う。だが、シミュレータはシミュレータだ。実際に命を賭けて戦っているわけじゃねぇ」

 そこまで言って、シベリウスはふと言葉を止めた。広い講堂には今二人しかいない。

「いや、お前はすでに自分の命の危機を知っているんだったな」
「……はい」

 なるほど、それか。シベリウスは合点する。他の候補生たちとの絶対的な差。それがこれだ。そしてこれが、カティ・メラルティンを強くしている。

「良く生き延びたな」
「……偶然です」

 カティは少し言葉を詰まらせる。シベリウスは右手を出す。カティはその手を見て、またシベリウスを見た。実はシベリウス自身、自分の行動に少し戸惑っていたのだが、とにかく今、彼はカティの手を握りたくなったのだ。

 カティはおずおずとその手を握り返す。

「さっきも言ったろ。お前は死神を言い負かしたんだ。偶然じゃない、必然だ」
「しかし、自分は……」
「お前はきっといい戦闘機乗りになる。死神は聡明だった。お前を生かしておくことで何百と魂を回収できるからな」

 シベリウスは手を放し、カティを伴って歩き始める。

「カティ・メラルティン。お前、夢はあるか?」
「夢、ですか?」
「ああ。生きる目的でもいい」

 シベリウスの問いに、カティは小さく頷いた。

「守りたい」
「誰を?」
歌姫セイレーンの二人です」

 カティの口から出た単語に、シベリウスは一瞬歩みを止めかけた。

「ヴェーラ・グリエールとレベッカ・アーメリング、か」
「肯定です、大佐。自分はあの子たちを守りたいんです。ありとあらゆる悪いものから」
「なるほど」

 シベリウスは呟く。

「なら、せめてエウロス飛行隊のトップくらいにはならねぇとな」
「まさか」
「まさかじゃねぇよ。お前が配備される頃には俺はアラフォーに入ってる。お前くらい若い奴が入ってきて、勢いよくのし上がってくるくらいの方が楽しいじゃねぇか」

 シベリウスは肩越しに振り返り、ニヤリと笑った。カティはその顔を直視し、「努力します」とはっきりと応えた。

「いい返事だ。好きだぜ、そういうの」

 シベリウスは満足げにそう言った。

↓next

タイトルとURLをコピーしました