04-3-3:インダルジェンス

本文-ヴェーラ編1

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 ヴェーラとレベッカは二人の部屋のリビングのソファに隣り合って座っていた。レベッカの携帯端末モバイルに、シベリウスたちが参戦した海域の戦闘状況が映し出されている。ヴェーラの携帯端末モバイルの方には報道各社から提供されている臨時ニュースが次々と流れていく。

 今、二人が目にしているのは閃光だ。海域全体が白く染まり、次の映像では艦艇のほぼ全てが爆発炎上していた。複数機の高高度無人偵察機からの映像のどれもこれもが、その一瞬で数千名もの生命が喪失したということを告げていた。対核防御力のある艦艇もあったはずだが、一ダースもの核弾頭が矢継ぎ早に着弾したとあっては、もはやなすすべなどあったはずもない。

 数秒の絶句の後、レベッカがかすれた声で尋ねた。

「味方も巻き込んだ……わよね?」
「それどころか、アーシュオンのふねのほうが多かった」

 ヴェーラは信じられないとつぶやきながら、軍のネットワークにある情報を探し始める。公開情報では有益な情報は得られないと判断したからだ。

 ヴェーラもレベッカも、あの海域にいたのはアーシュオンの海軍ではないことを知らない。アーシュオンの同盟国という名の属国であるべオリアスとキャグネイ。その艦隊が、味方であるはずのアーシュオンによって全滅させられたという事実を。

 レベッカがソファに身体を沈めて腕を組んだ。

「うちの艦隊は、エウロス現着とほとんど同時に、旗艦がやられた。二隻がピンポイントで。そして艦隊が勢いを取り戻しつつあるところに弾道ミサイルを観測。迎撃態勢に入ったところを敵艦隊にやられて再度形勢逆転。エウロスはそこで空域を離脱。そして核が炸裂し、海軍は双方ともに全滅」
「ニュースに出た。エウロスが敵前逃亡、だって」

 ヴェーラが平坦な声で言う。レベッカは無言で頷き、いくつかの報道特番をザッピングする。どの番組で、自称が申し合わせたかのようにエウロス飛行隊、というよりも、・シベリウス大佐個人を糾弾している。

『そもそも、本土が大規模な核攻撃を受けたあとの戦闘ですよ、これは。奴らは核を使うことは、この戦闘の前にはわかっていたはずです。にもかかわらず、まともな迎撃すらできずに全滅してしまった。これはね、練度と国防の意識の問題なんですよ』

 太ったジャーナリストが声高に言う。ヴェーラは舌打ちしかけたが、なんとか思いとどまる。

『エウロス飛行隊には核魚雷が配備されていたことはわかっています。今回、初撃でそれを撃ち込んでいれば、二個艦隊全滅なんて起きなかったはずなんです』
「何を根拠に!」

 ヴェーラが吐き捨てる。その視線は険しく、唇には温度がない。

「たらればで戦争を総括した気になるな!」
「ヴェーラ、落ち着いて」
「……わかったよ。そうだね、情報を集めよう」

 ヴェーラはその白金の髪プラチナブロンドから湯気が立つのではないかと言うほどに怒っていた。長年ともに過ごしているレベッカでも、ここまで苛烈な表情を見たことはなかった。

 携帯端末モバイルの内側で、太ったジャーナリストは威厳たっぷりに「そもそも」と言った。

『核兵器の使用については、現場の指揮官――つまりここではシベリウス大佐に一任されていたんですよ。ですが大佐はそれを使わせなかった。核魚雷搭載部隊をわざと遅参させ、あまつさえ戦闘もさせずに引き返させている。おわかりですよね。これはもう愛国心の問題なんです。そしてその判断の遅れが招いた決定的で致命的な事態が不可避と悟るやいなや、尻尾を巻いて逃げ出した。いやぁ、エウロスも地に落ちたものですね』
「見事な掌返しね」

 レベッカは眼鏡の位置を直しながら呟いた。ヴェーラは無言でキッチンへと移動して、二人分のココアを用意する。

「ねぇ、ベッキー。現場の指揮官の判断一つで核を使ってよし、だなんて絶対おかしいと思うんだけど、わたし」
「私もそう思うわよ。参謀部が責任逃れのためにやったか、あるいは、エウロス飛行隊を罠にかけたのか」

 核を使うという判断をしたならば、その非人道的兵器をヤーグベルテも使用したという実績を作ってしまう。軍の事情を知らない、理解しようとしない人々の多くは、シベリウス大佐を攻撃し始める。使わないという判断をしたならば、まさに今のような状況になる。どちらに転んでシベリウス大佐には痛撃だ。現に今も、参謀部第三課は、「シベリウス大佐ならば核魚雷で戦況を巻き返せることを知っていたはずだ」と早速責任の押しつけ会見を行っていた。

 ヴェーラはレベッカにココアの入ったカップを手渡し、自分もそれに口をつけた。一呼吸を置いてから、ヴェーラは淡々と言う。

「そもそも旗艦が沈んだ段階で、作戦指揮は第三課から第六課に移されるべきところじゃない? にも関わらず、第三課は残存部隊は徹底抗戦を続けるようにと命令を出した。結果、全滅した。……なんのために?」
「可能性の話だけど」
「それでいいよ」
「データ収集のため、じゃないかしら」
「あの、旗艦を沈めた正体不明の?」
「ええ」

 レベッカが小さく肯く。

「ミサイルでも魚雷でもない、なにかの」
「同意見」

 ヴェーラは鋭い視線をレベッカに送る。レベッカも同じくらいに険しい表情をヴェーラに見せた。レベッカは呼吸一つ分の間を開けて、言った。

「あの正体不明の何かは圧倒的。艦隊は接近に気付くこともできなかった。しかも一撃で旗艦空母を、それも二隻も撃沈した。間違いなくあれは、ヤーグベルテにとって絶大な脅威よね」
「だから、二個艦隊を人身御供にしてでも、データ取りを優先させた?」
「合理的に考えればそういうことね。エウロスの件にしても、何かとても黒いものを感じる」
「冷静だね、きみは、いつも」

 まさか。

 レベッカは首を振る。冷静なんかではないのだと。心が乱れに乱れているから、どうにかしてそれを抑えつけようとして、その結果として外に出る感情が平坦になるだけなんだと。俯いたレベッカの灰色の髪に、ヴェーラは触れる。顔を上げたレベッカに、ヴェーラは微笑みかける。

「きみがそうしてくれるから、わたしは好きにやれるんだよ、ベッキー」
「ヴェーラ……」
「きみにはわたしの手綱を引く役割ロールがある」
「あなたが暴走するから、私は常にそうしなきゃならないと思ってるのよ」

 幾分ムスっとして言い返すレベッカに、ヴェーラは「そうだね」と一息置いた。

「わたし、ずっと考えてた。どうしてベッキーとわたしがいるのか。同じ未知のシステム、セイレネスを使える人間として、どうして全く同時期にこうして出現したのか。いや、出現させられたのか。そして誰も彼もがそれをのこととして考えているのか」

 ヴェーラの空色の瞳がレベッカを直視する。レベッカは目を見開く。ヴェーラの瞳の奥が、あまりにも深い闇に侵されていたからだ。ヴェーラはその深淵の瞳を揺らしながら囁く。

「わたしたちはお互いがお互いの安全装置フェイルセイフなんだ。セイレネスというシステムを安全に運用するために。安全? 違うな、理想的な形で、か」
「誰にとっての、理想?」
「関係者諸氏、だよ。それぞれがそれぞれの理想とか野心を叶えるために互いを利用しあっている。わたしたちを利用している。陰謀論みたいだね」

 ヴェーラは冷たい微笑を見せる。レベッカは何も言えなかった。

「とはいえ、まぁ、今の所わたしたちはさ、ただのテスト要員でしかないし。セイレネス実機があるわけでもないしね。ただ、そう遠くない未来に、わたしもきみも、今のわたしの言葉を思い出すだろうね」
「ヴェーラ、何を言っているの……?」
「わたしが暴走してしまったら、止められるのはきみだけ。そしてわたしはそれを知っている。きみも、それを知っている」
「私があなたをひっぱたくっていうの?」

 苦し紛れに冗談めかして言うレベッカに、ヴェーラは鋭い笑みを見せた。

「そういうこと。わたしはきみがそうしてくれることを想定しているし、願っている」
「バカ言わないで」

 レベッカは天井を見上げて大きく息を吐いた。そこでヴェーラが「あっ」と手を打った。

「そういうことか。敵の新兵器お披露目のための舞台装置と、エウロス失脚のシナリオの二段構成だと思っていたけど」
「違うわね」

 レベッカが眼鏡の位置を直す。ヴェーラは頷いてレベッカに回答を促した。

歌姫計画セイレネス・シーケンスのための準備行動」
「正解、だと思う」

 ヴェーラは頷いた。

「これからの戦争はことごとく、わたしたちのための茶番劇。敵の無敵の新兵器の前に、エウロスはじめ四風飛行隊の威力が相対的に下がる。海軍も空軍もアテにならない。アーシュオンは核すら躊躇なく撃ってくる。その絶望的な状況で、わたしたちは鮮烈にデビューするんだ。誰も彼もが支持せざるを得ない状況を作るための、ね」
「……否定したいわ」
「わたしもだよ」

 ヴェーラは沈鬱な表情を見せる。

「でも、わたしたちは歌姫セイレーンの名を冠したなんだ」
「だとしても」

 レベッカはヴェーラの手を握った。ヴェーラも握り返す。

「……ヴェーラ、今は思い詰めるのはやめよう? 私たちには私たちにしかできないことが、きっとある。私はあなたとずっと一緒だから。ね?」
「優しいね、ベッキー」

 ヴェーラはレベッカの肩に頭を乗せる。

「そんなに優しいから、わたしはいつも良からぬことを考えてしまうんだ」
「良からぬこと?」
「まだわからない」

 ヴェーラは目を閉じた。

「けど、わたしはずっといかってる。止められないんだ」
「それはあなたが誰よりもこんな世界を憎んでいるからよ」
「ああ、そうだね」

 憎んでいるんだ。きっと。

「ベッキー。お願いがあるんだ」
「うん?」

 レベッカはヴェーラの髪を撫でながら、先を促す。

「わたしの分まで、わたしのことを好きでいて欲しいよ」
「大丈夫よ、ヴェーラ」

 レベッカはヴェーラの頭に頬をつけて、すっかり静かになってしまった部屋の中でぽつりと囁いた。

「私、あなたが思っている以上に、あなたのことを愛してるんだから!」
「ありがと」

 ヴェーラはいろいろな思いを詰め込んで、そうとだけ言った。レベッカは無言でヴェーラの肩を抱く。レベッカはそっとシェリーの詩の一節をそらんじた。

「冬来たりなば春遠からじ」
「そう、祈ろう」
「ええ」

 春はまだ遠い。春はまだ見えない。だからこそ、希望を込めてそう綴ったに違いない。ヴェーラは胸の中の空気をゆっくりと吐ききった。

「ベッキー、忘れないで」
「あなたも私を愛してる。知ってるわ」
「違うよ」

 ヴェーラは顔を伏せたまま言う。

「きみがわたしを愛している以上に、わたしはきみを愛してるんだ」
虚数アイの比較は虚しいわよ?」
「違いない」

 ヴェーラはククっと笑う。

「相思相愛ということでオーケー?」
「いまさら何を言ってるのよ」

 レベッカは眼鏡を外した。そしてヴェーラの頬を両手で挟む。ヴェーラはすこし驚いたように目を見開いた。

「きみさ、眼鏡外すとめちゃめちゃイケメンだよね」
「眼鏡かけてたら?」
「めちゃめちゃ美人」
「よろしい」

 レベッカはそう言って、ヴェーラの唇に小さく口づけた。ヴェーラはますます目を見張ってから、「あぅぁー……」と、なんとも言えない声を出した。レベッカは頬を染めて両手を振った。

「あの、ごめん、なんか、無性に」
「ううん。それは全然構わないよ」

 ヴェーラはレベッカの唇に人差し指を当てて微笑んだ。ありとあらゆる美しいものを最高のバランスで配置したような美麗さがそこにあった。その様子に、レベッカはめまいすら覚える。ヴェーラは何かを確かめるように天井を見て、またレベッカを正視した。

「ファーストキスは、ココア味だったね」
「……ばか」

 レベッカはそう言って、衝動的に立ち上がった。

「どうしたの、ベッキー?」
「ごめん、なんかすごく恥ずかしくなって」
「わかるー」

 ヴェーラは、そそくさとリビングを出ていくレベッカを見送りながら、茶化すように同意した。

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