人口二十三万五千の観光都市・ラインヴェルシが蒸発した。打ち上げられた弾道ミサイルは一発を除き迎撃に成功した。その一発も、分裂した弾頭十二機のうち十一機までは撃破に成功した。破片が地上にダメージを与えはしたが、それ自体の損害は幸いにして軽微なものだった。
問題は生き残った弾頭である。それが音速の八倍にも到達する速度で目指したのが、ラインヴェルシ市だった。中継の映像によれば、街の中心部からやや東に逸れた所に着弾したようだった。従来型の上空での爆発ではないように見える。とはいえ、超音速の大質量体が直撃したとあっては周囲は無事では済まされない。その上、核かそれに類する反応兵器であったのは確からしく、都市の殆どが灰燼と帰していた。
「夜景の街が滅茶苦茶、か」
シベリウスは携帯端末に浮かび上がっている情報を睨みながら呟いた。多くの人は逃げる暇もなかったに違いない。死者数は何千、もしかすると何万にもなるかもしれない。そのくらいの威力のある一撃だった。アーシュオンの新兵器だろう。
しかし、軟禁中のシベリウスにできることは、何一つない。せいぜいこうして被害レポートを読み進めるのみだ。ソファに半ば埋もれながら、シベリウスは眉間に皺を寄せている。その視線がつけっぱなしになっているテレビに固定される。ラインヴェルシの様子を中継しているリポーターの顔には緊張よりも高揚が見て取れる。言い換えるならば興奮だ。
気持ちはわからんではないが――戦いの渦中の我が身を振り返れば。
シベリウスは鬱々と考えてはその考えを破り捨てる。
その時、ドアが強くノックされた。その音の主を一瞬で察したシベリウスは、その瞬間にドアを開けてやった。
「失礼しますっ!」
語気荒く、表情険しく飛び込んできたのは、副官のエルスナー大尉である。携帯端末を握りしめ、ソファに座り直したシベリウスの目の前で仁王立ちになる。
「どうした?」
「どうしたもこうしたもないですよ、大佐。ニュース、ほら、ニュース」
「ラインヴェルシのだな?」
「それ以外あるものですか。弾道ミサイルに搭載された新型大質量反応兵器! に見せかけた、何かの計画!」
「何かの計画?」
シベリウスは興味を引かれて、向かい側のソファを進めた。エルスナーは「失礼します!」と怒ったような口調で言うと、勢いよく腰を下ろした。反対にシベリウスは立ち上がり、コーヒーメイカーの所へと移動する。ドリップしてから随分経ってしまったコーヒーがそこにある。
「飲むか?」
「いえ、遠慮しておきます」
「そうか。で、その計画というのは?」
シベリウスは煮詰まったコーヒーを手にして、聡明な副官に向き直った。エルスナーはシベリウスをまっすぐに見つめて頷いた。
「我々の目をどこかからか逸らすための破壊工作だと私は睨んでいます」
「ほう。ところで今の指揮は……第五から第三課に移ったんだな」
「イエス、アダムス少佐の所です。第五課は完全に機能不全ですね。第三課に簡単に指揮を明け渡すなんて」
「存在感ねぇからな。今や第三と第六くらいしか誰も知らねぇし」
「ですね」
エルスナーは機械的に肯定し、「あっ」と声を上げた。
「東海岸に同時多発的空襲が発生したと通信が」
「大尉、お前、どっから情報手に入れてるんだ。俺たち軟禁中だぞ」
「ふふふ、イスランシオ大佐の副官のヘレンは親友なんです」
「……知らなかったぞ?」
ヘレンというと、あのアルゼンライヒ中尉のことか。イスランシオが絶賛するほどの人材だということはシベリウスも覚えていた。残念ながら直接会ったことはないのだが。
「ヘレンがイスランシオ大佐から教わって作ったツールが、軍の情報を拾い集めてくるんですよ」
「合法か、それ? エイディが絡んでると全て怪しく見えるんだが」
「もちろん。私の権限でアクセス可能な情報しか持ってきませんからね。もっとも、イスランシオ大佐のが合法だとは思えませんけどね」
軽口を叩きながらも、エルスナーの表情は鋭い。次々と被害レポートが集約されてきているからだ。シベリウスは、エルスナーがテーブルの上に置いたタブレット端末を睨みながら呻いた。
「しかし、まずいな。これはまずい」
「敵部隊の攻撃範囲が広すぎますね。今出撃可能な四風飛行隊は実質ノトスのみ。到底カバーできませんよ。第七艦隊についてるゼピュロスも幾らかは対応できるでしょうが。私たちエウロスは凍結中、イスランシオ大佐のボレアスは西の海でキャグネイとべオリアスを警戒中」
「艦隊の機能不全が痛いな」
「ですね」
エルスナーはそう言うと、自分の携帯端末を操作した。シベリウスはぼんやりとテレビを眺め、腕を組んで唸る。ことここに至って、エウロスが全く動けない。本土防衛の双璧と言われた二人の戦闘機乗りが揃って現場に向かえない。テレビの映像は陰鬱たるものだった。赫々たる炎に炙られる暗雲の空。我が物顔で空を駆けるアーシュオンの対空装備の攻撃機たち。圧倒的な戦力差に押し切られていく友軍。
「大佐、ネットにありました。ユーレット市からの生配信みたいです」
エルスナーがその情報をタブレット端末の方にも表示させる。そこにはシベリウスも知らない航空機が群れていた。
「FAF221じゃねぇな。なんだこいつ」
「F/A202のバリエーション機、でもなさそうですね」
新型か。シベリウスウはその配信動画に映る、地上の凄惨な様子に眉を顰める。配信者の動揺も激しく、正直見るに耐えない。しかし、そこには、少なくない数の無神経、あるいは心無いコメントがついていた。ものによっては「作り話」扱いしているものさえあった。
「見世物じゃねぇぞ」
「対岸の火事と高を括っていた人たちが、この現実を真正面から受け止めるのは無理ですよ、大佐」
エルスナーはため息をつきながら立ち上がった。
「コーヒーいただきます」
「煮詰まってるぞ」
「ちょうどいいです」
勝手知ったるなんとやらで、エルスナーはコーヒーを注いで戻ってきた。そのタイミングでテレビの中が騒がしくなる。
『ノトス飛行隊が戦闘空域に到着しました!』
大袈裟な効果音と共に、ノトス飛行隊の機影が映像の中に入ってくる。どこから撮影しているのかはともかくとして、絶対的エース部隊四風飛行隊が現場に到着したのだ。誰もがこの悲惨な状況の挽回を疑わなかった。シベリウスでさえも。
「ちょっと待って下さい、大佐。ノトス隊の基地が空です。稼働機全部出てますよ、これ」
「なんだと?」
シベリウスは思わず訊き返した。
「六十機全部出たのか」
「飛行ログを当たりましたが、五個飛行中隊、全部出ています」
「あの新型機どもはそれだけの化け物だってことか」
参謀部あたりは事前に情報を得ていたのかもしれない。シベリウスは視線を険しくする。エルスナーも負けず劣らず厳しい表情をしている。テレビの中では、すぐにノトス飛行隊のF107Bたちが交戦状態に入る。敵の新型機もフォーメーションを変えて迎え撃つ態勢に入る。
「正面から当たるつもり……?」
「みてぇだな」
エルスナーの驚愕もわかる。四風飛行隊とわかった上で正面から当たってくる部隊など、アーシュオンには存在しない。ノトス、ゼピュロス、ボレアス、そしてエウロス。戦力も質も世界一、広く「狂った練度」とさえ称される部隊だ。正面から当たるリスクは誰もが承知している。
だが、敵の新型機は――ノトス飛行隊を翻弄した。三角錐に翼の生えたような小型機。アビオニクス的に何がどうなっているのか、シベリウスにも説明はできなかったが、とにかく圧倒的な高機動で、超人揃いのノトス飛行隊の戦闘機を撃墜していく。しかも、どの機体もほとんどがコックピットを粉砕されていた。脱出すら許されない。つまり敵にはそれだけ余裕があるということだった。
「信じられん」
「大佐、大型機!」
エルスナーの目が映像の一地点を捉えていた。解像度ギリギリではないかというほどに小さな点があった。エルスナーはそれを見て瞬時に敵の未知の大型機と判断した。
「なんだあれは」
シベリウスもそれに気付く。爆撃機というよりは、ガンシップ型攻撃機のように見える。それは高速で戦闘空域に突っ込んでくるや否や、その機体のあらゆるところから火器を放った。圧倒的高密度で撃ち放たれる火線が、地上空中を問わずに破壊していく。
「こいつはもはや戦闘なんかじゃねぇぞ」
「アーシュオンは何をしたいんでしょうか」
エルスナーの呟きに、シベリウスは一拍の間を置いて答えた。
「あるいは、ヤーグベルテが何をしたいのか、だ」
「うちが?」
「そうだ。陰謀論で笑い飛ばされるならそれでまことに結構なんだが」
「私は大佐を笑いません」
エルスナーの双眸がシベリウスを射抜く。シベリウスは一瞬言葉に詰まり、それから頭を掻いた。見事な黒髪が揺れる。シベリウスは再びテレビに視線を移動させ、今度こそ絶句した。
ノトス飛行隊が壊滅して撤退を選んだこと――は、今はさしたる問題ではなかった。
「こいつぁ……科学ってもんを超えてやがるぜ」
モニタの向こうに広がる光景を眺めながら、シベリウスは無感情に呟いた。