06-1-2:二柱の対談

本文-ヴェーラ編1

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 まるで幽霊ゴーストね――。

 イスランシオが目の前を通り過ぎていくのを眺めて、の揺らぎが呟いた。それはすぐに一人の黒尽くめの金髪碧眼の男の姿に変わる。ハルベルト・クライバーである。腕を組んだハルベルトは、その指で肘のあたりをイライラと叩いている。彼は壁に背を預け、目の前の壁を睨む。

「いるんでしょう、メフィストフェレス。それとも、アトラク=ナクアと呼ぶべきかしら?」

 彼の呼びかけに応じて、壁からが染み出してくる。それは見る間に銀髪の女の姿を形成する。しかし、それはハルベルトをしてどのような姿なのかを説明できない。ただ言えるのは、ハルベルトはともかく、人間はあらゆる美意識に於いて、彼女のことをと感じるということだ。

「呼び名なんて、私たちにとって意味があるものとは思えないのだけれど。ねぇ、ツァトゥグァ」
「単なる宣言文よ。あなたをどういうで呼び出してやろうかっていうね」
「あらあら――」

 アトラク=ナクアはその銀の髪をかきあげる。薄暗い通路に、ふわりと銀の雪が降る。

「ツァトゥグァ、あなたのそういうところ、実にわ」

 アトラク=ナクアは胸を反らせて挑発的に言った。流れ出た血のように赤い瞳は、ハルベルトの表情を完全に捕縛している。ハルベルトは露骨に顔をしかめ、吐き捨てる。

「ジークフリートはあたしの一部に過ぎない。末端細胞のようなもの。だからあなたのその発言は、あたしに対する侮辱よ」
「あらそうだったの? ごめんなさいね?」

 アトラク=ナクアの露骨な悪意を受けて、ハルベルトは口を閉ざす。そうしてしばらくの間、沈黙が場を支配する。その静寂をひとしきり楽しんだ後に、アトラク=ナクアが喉を鳴らしてわらった。

「それで、ツァトゥグァ。私に何の用事? 私は別にあなたに会いたくなんてないのだけれど?」
悪戯いたずらが過ぎるのよ、あなた。見苦しいほど、たわむれが過ぎる。そう言いに来たのよ」
「わざわざそんなことのために?」
「そんなこと――」
「それにあなた、見苦しいとまで言ってくれたけれど、何が? 私は別におかしなことはしてないと思うけど」

 あっけらかんと言い切るアトラク=ナクアに、ハルベルトは一歩踏み出した。アトラク=ナクアは動じない。ハルベルトは忌々いまいましげに首を振った。

「よくもそんなことが言えたものね。あなたの死せる戦士エインヘリャルだか幽霊騎士ゴーストナイトだか知らないけれど、そんなもののために人間たちを必要以上に苦しめた。違う?」
「人間?」

 アトラク=ナクアは肩をすくめる。

「私が関与したのはあの子、ヘレーネといったかしら? あの子だけよ」
「それだけじゃない――」
「それだけよ」

 アトラク=ナクアの赤い瞳が燃えるように輝いた。ハルベルトは思わず言葉を飲み込んでしまう。アトラク=ナクアは低い声で言った。

「あの殺戮劇は、人間たちが勝手に進めたこと。私に罪があるとすれば、ティルヴィングをあの男に手渡したこと。それ以後の話は、悉皆しっかい、人間たちの罪よ」
詭弁きべんにしか聞こえないわ」
「そうかしら?」

 アトラク=ナクアは揶揄やゆするように問いかける。

「あなたが人間たちの暗愚蒙昧さに心を痛めているというのなら、それはそれでとても愚かしいことだけど、それもあなたの自由。でもそうまでして人類愛を標榜し、人間たちをおもんぱかったあなたが、なぜのか。私はそっちの方の理解に苦しんでいるわ」
「あんなこと? 彼は愛する人をあんな形で失う必要はなかった。そして彼も彼女も、あんな形で苦しめられる必要はなかった。ましてその死の際を見せつけられる必要なんてね」
「あなたの考えはまるで理解できない」

 その言葉を受け、アトラク=ナクアは明らかに感情を見せた。すなわち、怒りだ。

「あれは私の好意よ。人間たちの愚かしい行動の帰結として、ただ消えて逝くだけだったはずの彼女の遺言テスタメントを私は預かった。その言葉の一つ一つは、彼にとって福音――いわば救いとなるはずのものだった」
「好意? 福音? それに救いですって? 何を――」
「ツァトゥグァ」

 アトラク=ナクアは鋭い声でハルベルトの言葉を断ち切った。

「あなたには理解できないでしょうけど、あれは救い。間違いなく彼を救うものになるはずだった。彼女も救われるはずだった」
「何を言っているかわからないわ、アトラク=ナクア。そんな感傷的な、刹那的な憐憫。そんなのまるで――」
「人間みたい、だ?」

 赤い瞳でハルベルトを見つめ、アトラク=ナクアは哄笑した。

「そう、なればそれでよし。私はね、人間を理解したいの。この巡りで、私は人間のあらゆるロジックを我が物としたいのよ。この低俗で刹那的なエゴイストたちの意識を形作るロジックを。一光年先にすら手が届かないで蠢いている、矮小卑陋ちっぽけな意識を生み出す源泉をね。となれば、事象ケーススタディ一つ一つを収集して解析するなんて迂遠うえん。いっそその挙動を真似てみるほうがよほど効率が良いでしょう?」
「……人間なんて理解してどうしようと?」
「うふふふ」

 アトラク=ナクアは深く嗤う。

「どの巡りに於いても手を出し口を出し。そして最終的には諦観者を気取る無力で傲岸不遜なあなたには、きっと理解なんてできないでしょうね、。あなたはね、いてもいなくても同じ。そうね、畢竟ひっきょうするところ、神様みたいなものなのよ」
「理解してどうしようというのって訊いているんだけど?」
「最終的にあの男、ジョルジュ・ベルリオーズのロジックを手に入れる」
「ほぅ……」

 ハルベルトはその豪奢な金髪に手をやった。アトラク=ナクアは「ククク」と嗤う。

「最終的にあの男からあのを引き出した時、私はこの巡りを終わらせるでしょうね」
――」
「そう、それよ」

 アトラク=ナクアは顎を上げてハルベルトを見た。

「あの男のロジックを手に入れたら、その次の巡りではあの男のロジックで社会を作れる。人はようやくそうして一つ高みへと進むでしょう」
「そんなことをして――」
「この行為の意味?」

 の揺らぎに戻ったアトラク=ナクアが、また、嗤う。

「あなた、自分がな存在であることの意味なんて考えられる?」
「……あたしは無意味ではない」
「あなたがどう思おうと知ったことではないわ、ツァトゥグァ。私にとって、そして全ての人間にとって、あなたは極めて無意味なのよ。そろそろ潮時ではなくて、ツァトゥグァ。あなたのための場はもうここにはないのよ」

 の苛烈な物言いに、の揺らぎは沈黙する。は責め立てるように問うた。

「私は今、この上なく激怒しているの。わかるかしら?」
「あなたは肩入れし過ぎよ、人間に」
「あなたよりは人間を理解しているからよ、ツァトゥグァ。あなたは所詮。だわ」

 そう言って、の気配がぷつりと消えた。

 もまた、消えた。

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