07-1-9:1725時

本文-ヴェーラ編1

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 とてつもなく遠い。いつもだったら何気ない会話の間に辿り着いている部屋。すぐそこだと感じていた部屋。そこに至る道。今は照明もなく、真っ暗だ。ジョンソンとタガートの持っている懐中電灯が唯一の道標みちしるべだった。

 フェーンと別れてから、ヴェーラは銃声を何度か聞いた。その意味は――考えないようにした。今はきっと、そこに思いを馳せて良いタイミングではないと。

 暗い廊下の圧力は凄まじく、レベッカが手を握ってくれていなかったら。ジョンソンさんが前を照らしてくれていなかったら。タガートさんがわたしたちを照らしてくれていなかったら。きっとわたしは動けない。ヴェーラは涙をこらえて進んでいく。レベッカから伝わる体温が、冷えていくヴェーラの心を守っていた。

 呼吸音と足音の他には、今は何も聞こえない。銃声のようなものが聞こえても、それが本物だとは思えなかった。意識が勝手に奏でている音であるかのように、ヴェーラは感じていた。

 何度も歩いた廊下は、まるで別物のようだった。悪魔がそこここに潜んでいるのではないか。そんな闇が懐中電灯の明かりの端々にうごめいている。ヴェーラの心はすくみっぱなしだった。ともすれば足が持ち上がらないほど。

「もう少しです、頑張ってください」

 先頭を行くジョンソン兵長が努めて明るい声で言った。

「うん」

 ヴェーラは短く応えて、レベッカの手を強く握る。レベッカは無言で握り返してくる。それは少し痛いほどだった。

 でも、シミュレータルームに辿り着いて、それからは? どうしたらいいの? セイレネスを起動すれば何かが変わるの?

 ヴェーラの迷いがループする。数周目のループに入る頃に、ようやく一行はシミュレータルームに辿り着く。士官学校最奥部とも言えるこの部屋のドアに、鍵はかかっていなかった。電子錠も解除されていた。

 真っ先に部屋に飛び込んだジョンソンが、銃の構えを解きながら言う。

「大丈夫そうだ。みんな、中に」
「了解」

 タガートが応じて、ヴェーラとレベッカを室内に押し込む。自分自身は扉の直ぐ側に立った。

 室内にいたのはブルクハルトただ一人だった。彼は鬼気迫る表情でいくつもある端末の間を行き来し、何事かの入力を繰り返していた。

「ブルクハルト教官!」
「よく来たね、無事で良かった」

 ブルクハルトは顔を上げることなく言う。ヴェーラたちが見たことがないほど、鋭利な横顔だった。

「ちょうど準備も終わった。連結試験もまだだけど、仕方ない。ぶつけ本番だ」
「あの、教官」

 レベッカがおずおずと尋ねる。

「私たち、ここで何をすれば……」
「わからない」

 ブルクハルトは端的に応えた。

「だけど、歌姫計画セイレネス・シーケンスの非常事態時のマニュアルに、この対応が記載されている。だから僕はその準備をした。君たちはただ僕の組み込んだシステムに従って、セイレネスを起動してくれればいい。そして僕もそれ以上の情報を持っていない」

 さぁ乗ってくれ、と、ブルクハルトはやや早口で命令する。二人の歌姫セイレーンは有無を言わせぬその雰囲気に押されて、それぞれの黒い筐体に乗り込んだ。

 筐体の中は暗黒だ。シートに腰を下ろすと、いくつかの危機が小さな明かりを放出するが、それだけだ。だが、さっきまでの、あの廊下の暗さとは違う。それは安心感のある闇だった。

『ヴェーラ』
「う、うん? どこから」

 ヴェーラは闇の中でレベッカを探す。いつものシミュレーション訓練とは違う。それはわかる。何の映像も浮かんでいないからだ。ただ、レベッカの気配がとても近い。まるで隣にいるかのようだ。

『聞こえるかい、二人とも』
「あ、はい、教官」
『今から君たちの意識は肉体から切り離される。論理空間に意識を移行させる』

 え? なんて?

 ヴェーラは聞き返そうとしたが、その前にあまりにまばゆい光に照らされて言葉を失った。闇からの純白。意識の中に突き刺さるほどの輝きに、ヴェーラは目を抑えて呻く。

「ヴェーラ、大丈夫、目を開けて」
「ベッキー?」

 ヴェーラは肩に乗せられた手の温度に押されて、恐る恐る目を開ける。

「ここ、って?」

 真っ白な空間。しゃがみ込んでいたヴェーラの隣に、レベッカが立っていた。レベッカは眼鏡に右手をやりながら、ヴェーラを見下ろしている。

「ブルクハルト教官の言葉が正しいなら、論理空間ってことになる、わね」
「論理空間……ってことは、ジークフリートが作り出した空間ということ?」
「知らないわよ。でも、その単語の意味がその通りなら、そういうことね」

 レベッカはヴェーラを立たせる。そして鋭い視線を前方に送った。ヴェーラもそのに気が付く。

「なんだ……?」
「闇?」

 レベッカは咄嗟とっさにヴェーラをかばおうとする。しかしヴェーラはそれを拒み、代わりにレベッカの左手を捕まえた。二人は並んで、迫ってくる闇に向き合った。

 どうすればいいかなんてわからない。

 でも、わたしにはベッキーがいる。

 ヴェーラは隣のレベッカを見て小さく頷いた。レベッカは頷きを返す。

 闇の津波が二人を襲う。悲鳴を上げそうになるのをこらえ、ヴェーラはレベッカの手をしっかりと握る。冷たい闇に奪われる体温を、レベッカが補ってくれている。

 二人は共に落ちていた。底の見えない奈落の中に。恐怖が二人を包み込んでいたが、二人はしっかりと抱き合ってその冷たい闇をやりすごす。

 ヴェーラは闇に飲まれるほど研ぎ澄まされていく感触を覚えながら、レベッカの耳に囁いた。

「何が起きるんだろう」

 レベッカは応える。

――」

 どこまでも深く、晦冥かいめいの空間を落ちていく。

 星のない夜空に打ち捨てられたかのように。

 どこまでも、螺旋を描いて。

 ちるように。

 そして――。

 闇のおわりへと辿り着く――。

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