07-2-6:モノクロの世界の中で

本文-ヴェーラ編1

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 プルースト少尉の車から海兵隊のヘリへと乗り継ぎ、ルフェーブル中佐は士官学校の敷地へと侵入を果たしていた。校舎まではまだ数百メートルあるが、すでに重火器の有効射程もいいところだ。攻撃を受けていないのは、随伴している電子戦ヘリのおかげかもしれなかった。超低空で侵入する二機のヘリに、敵性体たちはまだ気付いていないのかもしれない。

 地面のそこここに血溜まりと肉塊が転がっている。脱出に成功した候補生たちから、幾らか事情は聞いていた。その情報とここにある死体たち。ルフェーブルは即座に状況を把握した。士官学校の校舎は、夜空よりもはるかに暗い。屋上に設置されていた照明の類がことごとく破壊されていた。それはルフェーブルにとっては幸いだった。彼女の義眼の暗視装置では、そこまで状況を詳細に観測できなかったからだ。ましてヘリによる移動中だ。戦闘用の義眼ではないから、動体性能は高くない。

 もし照明が生きていたのなら、ルフェーブルはこの状況をつぶさに見ることになっただろう。そして十二年前に遭遇したアイギス村虐殺事件とオーバーラップさせてしまうこととなっただろう。

「ええい……」

 ルフェーブルは奥歯を噛みしめる。

 ここまでやられるとは……。

 すでに銃撃戦の音は、ヘリのシステムでも拾えていない。意味するところはすなわち、全滅だ。

 その時、ヘリのコックピット方面がざわついた。通信士がルフェーブルを振り返る。

「中佐!」
「どうした」
「戦闘機の反応を確認。撹乱ジャミングがひどく、機数は不明!」
「電子戦ヘリは?」
「中和していますが、こっちは戦闘機に狙われたらひとたまりも」
「む……」

 ルフェーブルは後部座席に腰を落ち着けて腕を組む。

「敵なのか?」
「わかりません。IFF敵味方識別装置が検知できません。中和が終わらないことには」

 飛んでいるのは十中八九、F102イクシオンだ。だが味方が飛ばしているという保証はない。

 その時、夜空に閃光が幾度もほとばしった。ヘリの爆音をかき消すほどの重低音がぶつかってくる。

「なんの光だ」
「戦闘機が校舎に向かって攻撃しています! 本気は退避します」
「待て、低空で待機していて欲しい」
「無茶です、中佐。このヘリでは戦闘機には――」

 地上から曳光弾の光線が何本も立ち上る。それらがF102イクシオンをチカチカと照らす。戦闘機は上に逃げる。旧型機とは思えない、鮮烈な機動だ。砲弾を巧みにかわしながら空気を裂いて星に向かう。

「そのまま、逃げろ!」

 ルフェーブルはあの戦闘機が敵性ではないと確信する。味方の重火器はもうすでにないと思って良い。にも関わらず対空砲火が上がっている。ということは、あの戦闘機は敵ではないということだ。このまま隣の空軍基地へ逃げれば――。

 その時、ルフェーブルは右目に激痛を覚えてうずくまる。右目のシステムが完全にダウンしていた。右目が激しく火花を散らし、そのたびに眼窩を抉られているかのような痛みが生まれた。悲鳴をあげることは回避したものの、声もなくうずくまり、震える。

「中佐、なにが!?」

 振り返った通信士は、右目を抑えるルフェーブルの鬼気迫った表情に沈黙する。ルフェーブルは右目がおかしくなる寸前に、何かの光を見ていた。

「私のことはいい。光の発生源はどこだ」

 シミュレータルーム。答えを聞くまでもなく、ルフェーブルは確信していた。

「電子戦隊より解析結果。士官学校中心部、シミュレータルーム」
「だろうな。時間と状況を記録してくれ。今、何時だ」
「一七四五時です、中佐」

 言われてルフェーブルは左手に着けた腕時計を見た。が、今の壊れた義眼の性能では、文字盤が歪んで読めない。

 そういえば。この時計もアンディから貰ったものだったっけ。

 ルフェーブルはぐっと唇を引き結ぶ。

「私をここで降ろしてくれ」
「えっ……?」
「降ろせ、と言っている」

 有無を言わせぬ口調に、通信士と操縦士が顔を見合わせる。が、彼らに選択権はなかった。

「了解しました、中佐」
「わがままですまん。私を降ろしたらすぐに通信可能圏内へ移動し、増援を要請してくれ。戦闘にせよ救助にせよ人手がいる。六課ウチのハーディ少佐かレーマン大尉に言えばすぐに動く」

 ヘリが降下するなり、ルフェーブルはヘリを降りた。視覚がほぼ機能していないから、かなり恐る恐ると言うかたちにはなってしまったが。

 なぁに、見えてないわけじゃない。

 ルフェーブルはそう呟いて自分を叱咤する。冷たい晩冬の夜風は、生臭く湿っていた。

 足を進めると、爪先に柔らく湿ったものが当たった。

「……怖かっただろう」

 それは千切れた上半身だった。歪んだモノクロームの視界では、その亡骸を鮮明に見ることはできない。だが、それはルフェーブルには幸いだった。この凄惨な現場にたった一人。すでに士官学校に先遣隊が突入しているとはいえ、身を竦ませる程の恐怖がある。どこを見ても候補生や軍人の肉体が転がっている。

 ヘリが離陸し上に逃げていく。巻き上がった暴風がエディットの豪奢な金髪を揺らす。

 負けるな、エディット。私は今、ここにこうしている義務がある。負けるわけにはいかない。

 こんなものはきっと、歌姫計画セイレネス・シーケンスの序章に過ぎない。演者には何も明かされない脚本。誰が進めているかもわからない計画。何を目的にしているのかすら判然としない。おそらく参謀本部長ですら知らない。いや、大統領でさえ。

 アーシュオンの新兵器たちに対抗する唯一の手段。それはいい。だが、だからこそ、私たちヤーグベルテには拒否権がなかった。何者かが作り上げたこの計画は――何もかもが都合が良すぎた。全ての事象が、全ての歴史が、この計画シーケンスに収束しているようにすら思える。

 アンディ、私はどうしたらいい。

 歩みを進めながら、ルフェーブルは空を見る。オリオン座が夜空に象嵌されていた。歪んだ視界の中でも、ベテルギウスとリゲルだけはハッキリと判別することができた。

 今さら、君の無事を願うのは――都合が良すぎるんだろうな。

 すっかり沈黙に落ちた夜の中、ルフェーブルのはるか頭上を、二機の戦闘機が飛んでいく。エンジン音が遅れて届く。

 ルフェーブルは戦闘機たちを目で追いながら、頬を叩く風に身を任せる。

 アンディ……。

 今日は、君の誕生日だ。

 君の――。

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