07-2-7:存在のために。

本文-ヴェーラ編1

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 どういうことなんだ、これは!

 カティは焦っている。突如現れたF102イクシオン。あの薄緑色オーロラグリーンの光以後、対空砲火は完全に沈黙した。しかし、そこにきて現れたのがこのF102イクシオンだった。

 それはカティの後ろにぴたりとつけて、ロックオンを仕掛けてくる。十発ばかりの機関砲弾が襲ってくる。近接信管が破裂する。その破片が機体にいくつものあな穿うがつ。幸いにして致命弾には程遠い。

 しかしわからないのは、誰が乗っているのかだ。しかもわざわざ、アタシを追うためだけにF102イクシオンなんかを駆るなんて。カティは考えながら機体を右に倒して旋回する。敵機も完全に同期して動いてくる。カティは高度を下げて一気に加速して逃げようとする。しかし敵機はカティが加速を始める前にカティの前方へと降下してくる。カティは加速を諦めて、そのまま地面をかすめるほどの高さで左に旋回しつつひねり上げるようにして上昇した。降下体勢に入っていた敵機は、しかし、すぐに追いついてきた。

「どういう機動マニューバだ」

 パイロットスーツなしではこのあたりの動きが限界だった。実際今でも全身が痛むし、気を失いそうなほどの貧血状態にもなっている。無茶はできない。そして敵機はこの空域から逃してくれるつもりもなさそうだ。

「お前は、誰だ!」

 カティは叫ぶ。しかし、通信システムへの妨害がひどすぎて通信回線が開けない。

 二つの機影は、螺旋をえがいて夜の空を駆け上がる。成層圏に揺蕩たゆたう空気を掻き乱す。冷たい星空の静寂しじまが、戦闘機たちを迎え入れる。機関砲の駆動音すら、この闇の沈黙には勝てなかった。

 カティは機体を捻ってさらに上空を取る。天地反転したコックピットからは、敵機が見えた。暗いコックピットの内部はよく見えない。カティはそのまま高度を下げて敵機の背面に取り付いた。しかし、ロックオンする直前に下に逃げられる。真下には士官学校がある。

「結局ここか」

 カティはほぼ垂直に地面に向かう。重力に引かれるままに落ちる。F102イクシオンが警報を鳴らす。カティは強引に機体を引き起こす。機体の腹が空気を叩く。ベクタードノズルを下方に向けて機首を上げつつオーグメンタを点火する。殴られたような衝撃の後に、今度は頭頂部から爪先に向かって一気に血液が流れ落ちていく。

 ブラックアウト寸前。

 カティは機体のコントロールに意識を集中して体勢を立て直す。敵機は目の前だった。

 ぶつかる――!

 まっすぐ突き進む両機は、互いのコックピットをすれ違わせる。

『私は、あなたを――』

 聞き覚えのある女の声だった。だが、それはどこから響いたのか。音声通信は死んでいるのに。

『これ以上、苦しませたくない――』
「誰だ! 何を言っている!」
『私、消えたくないんだよ……』

 両機は時計回りにお互いを追う。

『消えたくないんだ。あなたの中から、消されたくない……!』
「お前は、誰なんだ……」

 知っている。知っているのに。思い出せない。絶対に知っているのに。

『あなたを助ければ私は消える。あなたを殺せば私は……あなたの中に残れない。でも』

 あなたには生きていて欲しい。

 ――彼女はそう言った。

「ならこんな事やめろ!」
『どちらかが消えることが、あなたが亡霊ゴーストにならない条件――』

 亡霊ゴースト!?

『私を消して。私を……』

 機体を水平にする。敵機も同じく水平になり、直進コースに入る。カティが機首を上げるのと同時に敵機も機首を上げる。再び両機は成層高度すれすれまで駆け上がる。翼が凍えた雲を切り裂く。カティは「オーグメンタ、点火!」――さらに加速する。

「ッ!?」

 前方にいた敵機が消えた。ノズルを逆噴射して、逆にカティの後ろについたのだ。機体後部から衝撃が伝わってくる。機関砲弾を被弾した。エンジンを掠めるようにして数発が機体を傷付けていた。キャノピーに当たった一発は、運良く避弾経始けいしが役に立った。

 深呼吸だ。

 深呼吸だ――。

 後部カメラがやられていた。カティは仕方なく振り返る。そこにはまぎれもなくF102イクシオンが悠然と舞っていた。赤と緑の翼端灯が、必要以上に仰々ぎょうぎょうしく見えた。

 カティは舌打ちする。鳥肌を駆逐しようとでもするかのように。今のカティを捉えているのは、表現しようのない恐怖のような感触だ。冷たい手が心臓を鷲掴みにしようとしている。

 カティは逃げる。空を駆け上がる。呼吸を止め、さらに加速する。

 かかり始めた雲を引き裂き、濃藍色の空に出る。美しい夜空だ。燦然たる空。視界の全てを夜が占める。月はなく、されど明るい。ヨーンが見たいと願った空だと、カティは思う。口を引き結ぶ。

 そのまま上昇を続けながら、背面飛行にシフトする。地上がはるかに遠かった。市街地の灯りから隔絶された暗黒地帯。そこは士官学校の座標だ。

 空が頭上に消えていく。敵機はまだ後ろにつけている。無駄弾を撃つこともなく、ただついてくる。煩わしい。恐ろしい。不気味だ。

 地上まで三百メートル。けたたましく響く警報。コックピットが赤い輝きに染まる。その輝きを反射して、カティの髪が炎のようにギラギラと揺れた。

 地上まで百メートル。翼が軋む。機体がガタガタと震えだす。浮き上がりたいと叫んでいる。

「黙れッ!」

 カティは怒鳴る。右手が動いていた。操縦桿を左に倒し、手前に大きく引き込む。右のラダーペダルを踏み、すぐに解放する。操縦桿を戻し、またすぐ手前。

 敵機、正面!

 視認するや否や、操縦桿を今度は右に倒して押し込む。機首が下がる。地面まで数メートル。機体が否応なしに浮かび上がる。

「よし――!」

 敵機はカティと反対周りにロールしている。そして再び交錯機動に入る。敵機は背面飛行のまま、機関砲を撃ち込んでくる。しかしカティは撃たなかった。翼に数発被弾する。だが、すぐに修復ジェルが動き始めて補修を始めた。まだいける。

 交錯するその瞬間、カティは見上げた。コックピットの中が見える。敵機もまた急降下をしていたために、室内がアラートランプの類で赤く染まっていた。

「女――」

 同い年くらいの女性が、そこに座っていた。彼女もまた、カティの方を見つめていた。すがるような目――だったかもしれない。

「お前は、誰だ!」

 カティは叫ぶ。知っているのに、どうしても思い出せない。彼女の名前は。彼女の名前は――。

 不快感がカティの胸郭を満たしている。不安だった。落ち着かなかった。恐ろしかった。得体の知れない恐怖があった。

「やめるんだ! もうこれ以上何をするつもりなんだ!」

 あの薄緑色オーロラグリーンの光の中で、全て終わったんだ。

 カティはそう確信していた。もはや敵はいない。敵はいない……。

『ごめんね、カティ』

 静かな声が聞こえる。なぎだ。

 二機は再び巴戦に突入する。ミサイルがない以上、古風な戦い方になるのも必然だった。

 カティはまたしても背後を取られていた。カティはすかさず操縦桿を引きつつ、オーグメンタを点火して垂直に逃げる。そのまま背面飛行に入り、瞬間、再度オーグメンタを最大出力で使用する。機体がジェットコースターのように上下する。カティは歯を食いしばって減速と加速に耐える。F102イクシオンの翼とともに、背骨が悲鳴を上げた。肋骨と大腿骨もギシギシと痛む。奥歯を噛み締めたら異音が鳴った。口の中を錆びた鉄の臭いが満たす。

 そのさなかに再度体勢を立て直し、敵機の位置を確認すべく背面飛行に移る。

 地面は頭上。アタシは今、空に立っている。

 は下から来た。まっすぐに、さながら投槍ジャベリンのように一直線に向かってくる。

 あと二秒で撃ってくる。その前にやらないともう逃げ場がない。躊躇していられるほどの体力的余力もない。機体も持たない。

 カティは操縦桿を思い切り引いて、と向き合った。暗黒の地面を背に、は向かってきていた。

 カティは右手の人差し指で、トリガーボタンを押した。20mmの弾丸が、数十発放たれた。は応射しなかった。できなかったのかもしれない。

 二機は互いに示し合わせたかのようにロールした。もう一度、二人のコックピットが接近する。

『カティ、さよなら……!』

 機体は燃えていた。そのまま空へ空へと飛んでいく。

『私のこと、覚えていてね……!』
 
 楽しかったんだ。本当に、楽しかったんだよ。だから、ごめん。ありがとう――。

「エレナーッ!」

 カティは力の限りに叫んだ。機体を反転させて、火球と化したエレナの機体に追いつこうとする。

 だが、カティの目の前でF102イクシオンは爆散した。

「エレナ……」

 馬鹿野郎!

 どいつも、こいつも、馬鹿野郎だ!

 何が「ごめん、ありがとう」だ! そんな言葉聞きたくなんてないのに!

 カティは髪を掻き毟り、うずくまる。

「なぁ、ヨーン。こんな空で良かったのか?」

 こんなにも美しい空で、良かったのか?

 静かになったコックピットの中を、カティの慟哭が満たしていた。

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