01-2-1:葬儀にて響く銃声

歌姫は背明の海に

 二〇九一年一月三十一日――。

 エディット・ルフェーブルの葬儀は、実に小規模に行われた。一応は軍による公式の葬儀であったから、参列者自体は数百名を数えた。だが彼らのほとんどは、一通りの儀式が終わると同時に潮が引くようにいなくなってしまった――まるで何かに指示されたかのように。今や教会は伽藍堂がらんどうであり、エディットが眠る棺だけが、礼拝堂の中央あたりにぽつんと残されていた。

「なんていう……」

 カティはナルキッソス隊隊長エリオット中佐と顔を見合わせる。エリオットは無言で肩をすくめた。彼にはそれ以上なにもできなかった。どこに政府や軍の耳目があるか、わかったものではない。迂闊うかつなことは言えなかった。

 その時、屋外で一発の銃声が響いた。

「なんだ!?」

 カティは言うや否や駆け出していた。エリオットもその後を追う。この時にはすでに、ふたりとも拳銃を抜いていた。礼拝堂の扉を開けて、カティたちはそのまま外に飛び出した。これが何者かの襲撃であれば悪手だったが、響いた銃声は一発だ。犯行は単独、周囲には軍関係者が多数。制圧は時間の問題だ。そう判断して、二人はまずは状況把握のために屋外へ飛び出すことを選んだ。

 状況は一瞬で把握できた。

 教会の扉の外にいたのはヴェーラと、そのヴェーラを後ろから押さえつけるレベッカ。ヴェーラの燃える視線の先にいるのはハーディだった。そしてヴェーラの手には拳銃があった。冷え切った曇天の下、カティたちは思わず身震いした。

「銃を捨てて、ヴェーラ! お願い、言うことを聞いて!」
「どうしてきみはわたしを止めるんだ、ベッキー! エディットを殺したのは――!」

 ヴェーラの視線がハーディを鋭く射抜く。当のハーディは左肩を押さえていた。その右手が赤く濡れている。よく見れば足元にも血の痕があった。積もった雪が赤く溶けている。だがその表情はいつものように凍てついた鉄の如き冷徹さで、動揺の欠片かけらさえない。

 周囲には少なくない数の将校や政治家がいたが、誰もが一様にオロオロするばかりだった。それはそうだろう。まさかヴェーラを撃つわけにはいかないし、ハーディは逃げようとしないのだから。迂闊に介入すれば巻き込まれる。誰も好き好んでそんなことをするはずもない。

 カティは舌打ちすると同時に、自身の拳銃をエリオットに押し付け、駆け出した。そしてヴェーラの前にやってくると、右手を唸らせてヴェーラの頬を最大出力で叩いた。

「!?」

 文字通り吹っ飛んだヴェーラは目を白黒させてカティを見上げる。白い頬が真っ赤に腫れ上がる程の一撃を受けて、ヴェーラは立ち上がれなかった。

「カティ、なんで、どうして……っ!?」
「なんでもどうしてもあるか! ハーディを殺してどうしようって言うんだ!」
「だって――!」

 ヴェーラが言い募ろうとした瞬間、カティはヴェーラの襟首をつかんで立ち上がらせ、もう一撃平手打ちを決めた。しかしヴェーラはなおも折れず、カティを睨みつける。

「ハーディがやったんだよ! ハーディがエディットを殺したんだ!」
だ! お前がハーディを殺していい理由になんか、なるものか!」

 カティはヴェーラがなおも握り締めていた拳銃を強引に奪い取った。

「ひどい、ひどいよ、カティ! ひどい!」

 ヴェーラは頬を押さえて崩れ落ちる。その全身が小刻みに震えていた。怒りと悲しみと失望と、とにかくあらゆる感情がぜになって、ヴェーラのただでさえ不安定な精神を崩壊させようとしていた。

 カティは膝をついて、ヴェーラの左の頬に触れた。カティの右手が涙で濡れる。

「いまのは――」

 カティの背中に、ハーディが声をかけた。立ち上がったカティは、ヴェーラから奪った拳銃をハーディに手渡した。ハーディはそれを自分のホルスターに収める。未だ敵意の消え去らないヴェーラの様子に気付いたレベッカが、素早く後ろからヴェーラを押さえ込んだ。

「ただの暴発です。事件性はありません」
「銃を奪われたのは?」
「奪われてなどいませんが」

 ハーディはそう言うと、機械人形のように几帳面な回れ右をし、その場を去ってしまった。その先にはおそらく参謀部の誰かが待っているのだろう。

 ハーディの姿が視界から消えてようやく、カティはヴェーラを解放させた。

 雪がはらはらと降り始める。

 カティは少しかがんでヴェーラと視線を合わせる。

「ヴェーラ」
「説教なら聞かない」
「知っているからしないさ」
「……カティ?」
「説教されたいのか?」

 カティが尋ねると、ヴェーラは両目から大粒の涙をこぼす。

 ようやく周囲の関係者が近付き始めたのを察知して、カティはヴェーラとレベッカの手を掴む。

「帰るぞ」
「……また病院に?」

 ヴェーラは落涙しつつ、病的な微笑を見せた。だがカティは迷いなく首を振る。

に帰る」
って……」

 あの事件以後、ヴェーラは入院していたし、レベッカもほとんど立ち入っていないのことだ。帰りたい、けど、帰ったら現実を嫌でも突きつけられてしまうのことだ。

「帰って、いいの?」

 ヴェーラがおずおずと尋ねると、カティは力強く頷いた。

「アタシたちの家なんだ。ダメな理由があるものかよ」
「でも、軍の許可が」

 レベッカが生真面目に言うと、カティは一笑に付した。

「アタシを誰だと思っている?」
「それは……」
「あの家は、お前たちがすがれる数少ない場所だ。あそこは、お前たちの思い出そのものの家だ」

 アタシたちの。そして姉さんとの。

「エリオット中佐」
「へいへい」

 それまで傍観していたエリオットが、カティに銃を返却する。

「すまないが、諸々頼めるか」
「おまかせっすよ」
「すまない」
「隊長の士気に関わる重大事案。このエリオットが責任持って諸々処理致しますゆえ」

 エリオットはおどけて応じる。カティは微笑しつつその肩を軽く叩くと、ヴェーラとレベッカを左右に従えてその場を立ち去った。関係者たちが後を追うそぶりを見せるやいなや、エリオットは両手を強く打ち鳴らす。

「はいはい、みなさん、野暮はおやめくださいっすよ。いまさらそんなん、ただの野次馬根性っすわ。責任感のない行動はお慎みくださいますようお願いいたしまっす」

 エリオットは心の中で肩をすくめる。

 戦中の平和ボケ、か。

 軍人でありながら、いざ目の前で事が起きたら何も出来ない。しようともしない。

「ま、これが世間一般の姿っすなぁ」

 エリオットは憤慨して詰め寄ってくる将校たちを無視して、携帯端末モバイルを手に方々に連絡を入れ始めた。

 うちの隊長のためなら、なんだってやってやるけどね、俺は――。

 エディット邸の管理を委任されている不動産企業と通話しながら、エリオットはそんなことを考えた。

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