その翌日の夕方、エディタたちV級歌姫たちは、技術士官ブルクハルト中佐によって、シミュレータルームへと緊急招集された。四人はその日の講義を全て終えて、すでにクタクタになっていたが、緊急と言われて行かないわけにもいかない。四人は揃ってどこかぼんやりした顔をしながら、連れ立ってシミュレータルームへと足を踏み入れた。
「失礼しま……ってなんだこれ」
驚きの声を上げたのが先頭を歩いていたクララだ。シミュレータルームには昨日までは五十台のC級歌姫用の筐体がずらりと置かれていた。が、今はその半数近くが撤去されて、代わりに二倍以上の大きさの黒い筐体が四基、前列に並べられていた。具体的には縦四メートル、横二メートル半、高さ二メートル程の巨大な箱である。床にはさまざまなケーブルが張り巡らされており、設置工事はまだ完了していないように見えた。
四人は訝しげにそれらの筐体を眺め、クララやテレサは恐る恐るといった様子で近付いて入り口と思しき部分を覗いてみたりしていた。
しばらくそうして観察していると、モニタルームのドアが開いて、ブルクハルト中佐が姿を現した。
「おまたせ、お疲れさま」
ブルクハルトは気さくに声を掛けたが、四人は直立不動で敬礼した。ブルクハルトは苦笑しながら「まぁまぁ」と掌を下に向ける。
「僕はたまたま軍に属しているだけの技術屋だよ。そんなに改まる必要はないし、僕はそういう関係を望んでいるわけでもない。長い付き合いになるだろうしね」
「しかし、中佐、そういうわけには」
「エディタ、君は何にでも筋を通すね。感心するよ」
「性格……ですから」
「悪いことじゃない」
ブルクハルトは筐体の一つに繋がれたままになっていたノート型端末のケーブルを外した。
「オーケー、準備万端。じゃ、みんな。さっそく乗ってみてよ」
ブルクハルトが言うのと同時に、筐体の天井が小さな擦過音とともにスライドした。四人は促されるままに筐体に乗り込んだ。今まで乗っていたC級歌姫用のものとは比べ物にならない程、スペースには余裕があった。大きなリクライニングチェア状のセイレネス接続装置があり、その周辺にはいくつものモニタと無数の演算装置が配置されていた。
「基本設計は今まで使ってもらっていたC級用のものと同じなんだ。だけど、感度が全く違うはずだ。君たちそれぞれの能力にあわせてチューニングされているから、より直感的に扱えるはずだよ。ま、説明するより体験したほうが早いと思うから、そういうことで」
ブルクハルトの言葉が終わるのと同時に、筐体内の証明が全て落ちた。モニタもついていないから、完全な闇になる。自分の指先さえ見えなかったが、これはC級の筐体でも同じだ。エディタはその中でも目を見開いて、何か変化が起きないものかと状況を観察する。
変化はすぐに起きた。空間は確かに闇色に染まっているのに、意識が眩しさを感じた。青とも緑とも言えない光が直接脳内に突き刺さったような感覚だ。それと同時に、低く、高く、何かの音が聞こえ始めた。その音を具体的に確かめようとすると遠ざかっていき、認識しようとすると消えてしまう。そんな曖昧で漠然とした音だった。
こんな現象はC級用シミュレータを使った時には起きなかった。C級用のものはフライトシミュレータを流用したもので、操作感もそれに近かった。艦を如何に操作するかに重きを置いたシミュレータで、それ以上でもそれ以下でもなかった。しかし、このV級用のものはそれとは明らかに違っていた。意識に流れ込んできた光にはすぐに慣れた。その光も、音も、エディタにはとても心地よいものだった。
遠くなり近くなり、どこかとらえどころのなかった音は、そうしてエディタに融合し始める。聞こえる音なのか、それとも頭の中で歌っているのか。もはや区別はできなかった。
不思議な感覚だな……。
エディタが心のなかで呟いたその瞬間、『あら!』という声が脳内に響いた。無線の類ではないことはわかった。脳内に直接流れ込んできたような感覚だったからだ。
今のは、トリーネ、か?
『ハロー、エディタ。聞こえる? もしもしー? おーい? トリーネちゃんですよー?』
自由自在に通信してくるトリーネに対し、エディタは戸惑う。
『頭の中で思えば届くみたいだよ。エディタの声も聞こえてるよ』
「ええっ!?」
『響く響く! エディタ、声は出さなくて良いみたいだよ、これ』
そ、そうなのか? 聞こえてるのか?
『乾度良好。クララ、テレサは?』
『うん、僕の声も聞こえてるのかい、これは』
クララが疑念丸出しの声で尋ねてくる。そこにテレサの声が重なる。
『え、ちょっと? これって頭の中ダダ漏れってこと?』
……と、いうことだな。
エディタは暗闇の中で無意識に前髪を弄った。そこでブルクハルトが無線通信を入れてくる。
『四人とも、聞こえてるね? 今、四人の中で遠隔意識通信の経路が確立したと思うけど、これがV級用の追加機能の一つさ。これはね、ヴェーラやレベッカとも通信することができる。二人がチャネルを開いていれば、だけどね』
その間にも四人の思考はお互いに筒抜けになっていて、四人の意識の中はかなり喧しいことになっている。
エディタが「ん?」と声を上げる。
「チャネルを開いていれば?」
『ああ、そうそう。D級ともなると、こんな大袈裟な機材を使わなくても、遠隔意識通信のようなことができるそうだよ。相手の心が読めたり聞こえたりするのだとか。僕にはなかなか想像しにくい世界だけどね』
そうなのかと嘆息するエディタの脳内に、トリーネの声が響いてくる。
『それって不便ね。お互いが筒抜けになっちゃうじゃない?』
『だね』
クララが同意する。
『お互いに隠しておきたい心の中まで読めちゃうとか、誰も幸せにならないね』
『でもチャネルを閉じとけばいいんじゃないの? どうやるか知らないけど』
『いや、テレサ、そうじゃないんだ。そういう手段を持ち合わせてしまっているというのがイヤなんだよ』
『それはわかる気がするわ』
テレサはすぐに反応した。
『正直言わせてもらえば、私、この空間自体が嫌いよ。人間なら誰にだって裏はあるもの。たとえ親友との間にだってね、絶対に見せられない本性ってものがあるって私は思ってる』
テレサの言葉にはエディタも賛成だった。トリーネにだって、自分の頭の中を公開なんてしたくはない。
『でもさ』
クララが言う。
『ヴェーラとレベッカは、どうなんだろう』
『お二人の間でも隠しておきたいことの一つや二つはあるだろうとおもうよ、あたし』
トリーネが噛み締めるように反応する。エディタは黙って頷いた。おそらくこの頷いた、という行為すら、三人には伝わっているのだろうと思いながら。
『裏の顔、か』
エディタは頭の中にふと浮かび上がってきたイメージを追いかける。
栗色の髪に、仮面を被った女性――。
見たことのない人物だった。
誰だ?
具体的にしようと追いかけるほどに、そのイメージが薄れていく。
『エディタ、どうしたの? 黙っちゃって』
「ん、トリーネか。いや、なんか、こう……」
どうやら今のイメージは、三人には共有できていなかったらしい。
とすると私の妄想か?
『ま、いいや。それはそうとさ、エディタ。このトリーネちゃんからの提案なんだけど』
「うん?」
『せっかくこういう嘘のつけない空間が与えられたわけだから、表も裏もなく本気で話をしてみない?』
「こ、怖いな、ちょっと」
『僕はやってもいいよ、エディタ、トリーネ。僕らはいずれ命を賭けた戦いに出るんだ。そうなった時に、本音をぶつけ合ったこともない人間に背中を預けたりは出来ないと思うから』
クララがはっきりとそう言った。テレサも「気乗りしないけど賛成」の旨を伝えてくる。
「……わかった」
エディタは「ファシリテーター役は苦手なんだが」と前置きし、「はじめるか」と場を仕切った。そこですかさずトリーネが言った。
『オッケー。じゃ、歌姫のぶっちゃけトークまつり、開催だよ!』
――最初からトリーネが仕切ればよかったじゃないか。
エディタはそんなことをほんの少しだけ考えた。