02-2-3:ディーヴァとの対面

歌姫は背明の海に

 トリーネの提案に従い、四人はやや暫くの間、自制心というフィルタを除去された空間で意見を交わしあった。その話題の中心にあったのは常にヴェーラやレベッカであり、そしていつ始まったとも知れず、いつ終わるのかもわからない、この戦争のことだった。四人は出自も境遇も全く異なっていたから、こと戦争の話題に関しては主義主張はなかなか相容れるものでもなく、クララやテレサのように少々過激な思想を持っている者同士は、特にりが合わなかった。

「まぁまぁ、クールダウンしようよ」

 そんな時、決まってトリーネが仲裁に入る。トリーネの心の声が一番やかましかったのだが、そこには嫌味の一つも混入しておらず、一触即発の状態になったクララとテレサでさえ、その舌戦を止めたほどだ。

「トリーネのは才能だな」
「良く言われるぅ」

 エディタの言葉にさらりと応じて、トリーネは「そろそろお開きにしよっか」と提案した。

「ブルクハルト教官、いいですか?」
『オーケー。データは十分取れた。あ、君たちの会話は僕には聞こえていないから安心して』

 ブルクハルトの言葉が終わらないうちに、筐体内に照明が点いた。不意に現れた物理的な光源に、エディタは「うわ」と小さな悲鳴を上げた。

「なかなか、疲れた」

 エディタは椅子に全身を預けて、何度か目をこする。真っ暗闇から光の中に移動したために、何も見えない。これから毎回これを味わうのかと思うと少々気が重い。

「ああ、ゴメン、まだ眩しかったか。だいぶ照明は絞ったつもりだったんだけど」

 ブルクハルトの声が思いのほか近くで聞こえ、エディタは視覚が戻らない中、瞬間的に跳ね起きた。

「危ない危ない。だめだよ、急に動いたら。怪我でもされたらたいへんだし、僕の時間が報告書なんていうドキュメント作成のために無駄に消えてしまう」
「す、すみません」

 エディタはぼんやりと回復してきた視力でブルクハルトを見て、頭を下げた。ブルクハルトは手にしたタブレット端末から視線を上げることなく、「よしよしの、よし」と何事かをチェックしていた。その間に、他の三人も筐体から姿を見せており、それぞれに少しふらついているように見えた。

「なんか船酔いした気分」

 テレサがぐんにゃりと筐体に寄りかかりながらうめいている。そんなテレサに気が付いて、ブルクハルトが顔を上げる。

「僕の仕事はここまでだけど、医務室に連絡しておこうか?」
「あ、いえ、大丈夫です。少しフラフラするだけなので」
「オーケー。でもこの新型セイレネス・シミュレータの影響もあると思うから、続くようなら報告して」
「ありがとうございます、教官。そうさせていただきます」

 テレサはまだ筐体に手を付いていたが、それでも気丈にそう言った。ブルクハルトは頷くと「あとはご自由に」とモニタルームの方へと引っ込んでしまった。

 トリーネたちは自然とエディタのところへと集まる形となる。

「なかなか有意義な時間ではあったな」

 エディタがそう言うと、クララは肩をすくめ、テレサはそんなクララを剣呑な目で見た。トリーネはなぜかニコニコしていた。クララはそんなトリーネを仏頂面で見り、また肩を大袈裟にすくめてみせた。

「セイレネスの中で喧嘩すると収まりがつかないね、まったく」
「何よ、クララ。私が悪いみたいな言い方しないでよ」
「君が悪いんじゃないか、そもそも! 第一、僕は!」
「はーい、ストップストップ~!」

 トリーネが両手をパンパンと叩いてから、両腕で二人の肩に手を回した。

「あたしたちはみーんな違うの。だから裏表なしで向かい合ったならぶつかって当たり前。ぶつかることが問題なんじゃないのよ。ぶつかった後にどうするかが大事なんだよぉ」
「でもさぁ」
「クララ。テレサは問答無用に袈裟懸けバッサリな人だってのはわかるよ。言われっぱなしでシャクなのもわかるよぉ。でもクララだってまぁ結構すごかったよってあたしは思う。エディタもそう思うでしょ?」
「う、うん。二人はどっちもどっちだった」

 エディタは素直にそう評した。クララとテレサはトリーネに捕まったまま仏頂面をしていたが、ややしばらくそうしているうちにどちらともなしにトリーネから脱出した。

「多様性は大事よね」

 テレサがそう言って、トリーネの右肩あたりを軽く叩いた。

「悪かったよ、テレサ。トリーネも、エディタも」
「最悪からのスタートだから、これからは仲良くなるだけだねぇ」

 トリーネはそう言って笑い、何故かエディタと腕を組んだ。エディタは少し身体を緊張させたが、すぐに気を取り直して咳払いした。

「最悪かどうかはともかく、私たちの戦争へのスタンスは、今聞いての通り全然違うんだ。ここにいる動機だって。でも私たちの目的は究極的には一つだ。ヴェーラとレベッカを助けて、支えられるようになること。違うか?」
「そうね」

 テレサが同意し、クララがうなずいた。

「それさえ明確で、ブレることがなければ、私たちの個々のベクトルの違いなんて、些末さまつな問題じゃないかなって私は思――」
「それはありがたいな」

 モニタルームのドアが開くなり聞こえてきたその声に、エディタたちは一様に緊張した。その声は、ヤーグベルテ国民であれば誰でもほぼ例外なく知っているもの――ヴェーラ・グリエールのものだったからだ。四人は一斉にモニタルームの方へと身体を向け、わずかのタイムラグもなく敬礼をした。

 四人の視線の先には雲上の人、ヴェーラ・グリエールとレベッカ・アーメリングが立っていた。

「やぁ、V級ヴォーカリストのみんな。本日付けで准将になったヴェーラ・グリエールだよ。はじめましてだね」
「同じく、准将初日のレベッカ・アーメリングよ。こんばんは」

 真新しい軍服姿の二人は、流れるような動作でエディタたちの目の前までやってきた。

 エディタたちにしてみれば、D級歌姫ディーヴァの二人は小学生の頃から憧れていた人物である。本来であればこんなに至近距離で顔を合わせる機会などありえない、文字通り雲上人であった。そしてあろうことか、ヴェーラは四人を順に軽くハグした。その時には、あのトリーネさえ顔中に緊張を走らせていた。エディタに至っては彫像のように固まっている。

「わたしたちは同僚だよ。そんなに緊張しないでよ」
「無茶言っちゃだめよ、ヴェーラ。エディタ、トリーネ、クララ、テレサ。これからよろしくお願いしますね」

 レベッカにファーストネームを呼ばれ、再び硬直する四人である。さっきまでの殺伐とした空気などどうでも良くなるほど、四人は静かに興奮していた。

「ああ、そうそう。きみたちに先に情報を伝えようと思って今日は来たんだ」
「情報、ですか?」

 エディタが首を傾げる。ヴェーラはその白金髪プラチナブロンドを後ろにやりながら「うん」と頷く。

「第一艦隊と第二艦隊が再編されるんだ、近日中に。そのための準備として、わたしたちが准将になったんだよね、とりあえず」
「実質戦艦一隻と補助艦艇数隻の艦隊なので准将で、という話のようです」

 レベッカが補足する。艦隊司令官は通常は中将、小規模艦隊は少将が指揮を執るのが通例だ。現在第十三艦隊までが正規艦隊として登録されているが、定数を満たしている艦隊は第七艦隊ただ一つだった。第一、第二艦隊に至ってはほぼ全滅しており、それ故にヴェーラたちの新艦隊の艦隊番号に使われることとなった。

「第一艦隊グリームニルはヴェーラの艦隊。第二艦隊グルヴェイグは私の艦隊、ということになります」
「私たちも将来的には?」
「将来的っていうか、今から」

 エディタの問いに、ヴェーラがさらりと答える。

「いま、から?」
「うん。きみたちの所属についてはわたしたちに一任されているんだ。だから今さっき決めた。わたしの艦隊にはクララとテレサ」
「第二艦隊にはエディタ、トリーネ。よろしくね」

 あっけなく発表された重大人事に、四人は顔を見合わせる。ヴェーラは「ははっ」と声を上げて笑う。

「鳩が豆鉄砲食らったような顔しないでよ。わたしの艦隊は超攻撃型。ベッキーの方は防衛特化型。クララとテレサには超高機動艦が与えられる予定だから、わたしの思い描く戦闘スタイルにはもってこいだ」
「し、しかし、あの」
「ヴェーラと呼んでよ、クララ」
「え、えと、ヴェ、ヴェーラ。僕とテレサはエディタやトリーネよりも」
歌姫セイレーンとしての能力云々という話でもないんだなぁ、これが。単に躊躇なく敵を殴れるかどうか。そこんところが重要なんだ」

 自信あるだろ、と、ヴェーラはクララに尋ねる。クララは一も二もなく肯定した。テレサもである。

「エディタとトリーネはベッキーを助けて欲しい。わたしたちが暴走するのを引き止めるのが、きみたちの役目だ」
「あなたはいつでも突っ走っちゃうものね」

 レベッカが嘆息する。ヴェーラは「へへ」とらしからぬ笑いを見せたかと思うと、突如ふらついた。レベッカがすかさずその両肩を捕まえたので、転倒はせずに済んだ。

「大丈夫?」
「ありがと、ベッキー。貧血かな。最近ピザ食べてないし」
「ピザじゃ貧血予防にはならないわよ、多分」

 レベッカは冗談に付き合ってそう言った。

 ヴェーラの儚くも美しい微笑に、エディタたちはそろって見れていた。ネットやテレビで見る以上に、ヴェーラもレベッカも美しかった。そして何より気さくな中にも威厳があった。類まれなる美貌もそうだが、そもそもその纏っている空気が違った。太陽のように苛烈な輝きがそこにあった。

 だがエディタたちはまだ気付けていない。

 ヴェーラの微笑みは薬物での安定によって作られている事実に。その戦列な輝きは、極めて危うい均衡のもとで成立しているのだという事実に。

「それじゃ、わたしたちは帰るね。お別れのキスでもしようか?」

 立ち直ったヴェーラはエディタの顎に手をやって、目を細めた。エディタは目を見開いて首を振った。

「嫌なの?」
「い、い、いえ、そ、そうではなくて」
「こら、ヴェーラ」

 レベッカがヴェーラの左手を掴んで引っ張った。

「あ、ベッキーが先?」
「先とか後の話はしてません! エディタたちを困らせないの!」
「ベッキーが怖いから、キスはこの次ね、エディタ」
「ちょっと、ヴェーラ。その言いぐさはなんなの」

 そんなことを言い合いながら、二人はシミュレータルームから出て行ってしまった。

 まだ石像のように固まっているエディタの肩に手を置いて、トリーネが笑う。

「キスして欲しかったんじゃ?」
「わ、わからない。わからない……」
「まーじーめ!」

 トリーネはエディタの背中から抱きついて、また笑った。

「ディーヴァにキスしてもらえる機会を逃すなんてもったいないなぁ。代わりにトリーネちゃんがエディタの唇を」
「冗談に聞こえないんだよ……」
「冗談じゃないっす!」
「う……」

 気圧けおされるエディタである。それを見てトリーネがケラケラと笑い、クララとテレサも何とも言えない微妙な笑みを浮かべた。トリーネは気にした風もなく、エディタから離れてその背中を軽く叩いた。

「さ、帰ろう帰ろう。いやぁ、ヴェーラにハグしてもらえるとは、ファン冥利に尽きるってものだよぉ」

 その言葉を合図に、四人は連れ立って寮へと帰っていった。

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