それから数日後、V級およびS級の合計八名が初めて一同に会した。こと三期生とエディタたち一期生は初対面である。この頃までにエディタたちはメディアによって「九十二年カルテット」などとメディアでは囃し立てられていた。士官候補生でありながら、エディタたちはもうすでに軍の広告塔としての活動も開始させられていた。ヴェーラたちに続く「軍隊アイドル」としてである。
その活動自体、エディタの得意とするものではなかったし、甚だ不本意なものであったのだが、エディタの美貌は多くの人々の賞賛を受けた。ヴェーラ、レベッカに並ぶ美女、とさえ表現されるほどで、そのことはエディタを深く悩ませた。もっとも、他の三人はあっけらかんとして活動をしていたので、エディタ一人で立ち止まるわけにもいかなかった。
三期生は、注目のS級、レネ・グリーグに加え、V級のロラ・ロレンソとパトリシア・ルクレルクの三名だった。三人ともすでに数回のシミュレータ訓練を実施しており、特に戸惑っている様子は見られなかった。
「ではさっそくだけど、全員乗り込んでくれ。システム起動後は、各人エディタの指揮に従うように」
シミュレータルームの前面に立ったブルクハルトがのんびりと言った。それを合図にエディタたちおよび六十八名の選抜C級が黒い筐体に乗り込んだ。こと一期生たちの動きには全くの無駄がなかった。日々の訓練の賜物である。
『じゃ、後はエディタに任せるよ。僕はカメラマンに徹するから、各々、善戦するように』
筐体内に響くブルクハルトの声を聞きながら、エディタはシステムを起動していく。もはやすべてが手足の延長で、何も考えなくても勝手に指先が操作を完了させている。すぐに意識は音の波に包み込まれ、闇の中から光の世界へと強引に引っ張り上げられる。そこにはもはや現実と見分けの付かない精巧な仮想現実空間が広がっていた。大海原のど真ん中、という設定である。
エディタたち一期生は重巡洋艦、二期生三期生は軽巡洋艦。C級たちは、駆逐艦、小型砲撃艦および小型雷撃艦に搭乗している。
「各員、状況は頭に入っているな?」
エディタは努めてゆっくりした口調で尋ねた。
「敵は第一および第二艦隊。航空戦力を中心とした打撃群だ。時刻は一二〇〇、戦闘領域には雲ひとつなく穏やかな海だ」
そう言ったところで、アラートとともに索敵情報がアップデートされる。索敵担当のハンナが送ってきた情報だ。
『エディタ先輩、ナイトゴーント十二機来ます。情報同期します』
「君の索敵力はさすがだ、ハンナ。各員、警戒!」
『あいつら苦手ぇ』
トリーネのげんなりした声が聞こえてくる。その言葉にはほぼ全員が同意したことだろう。
エディタやトリーネにしてみればさほど怖い敵ではない。ただ鬱陶しいのだ。攻撃がほとんど効かず、一方でナイトゴーントの攻撃はセイレネスの障壁をある程度貫いてくる。無傷で勝つのは難しい。ましてC級にしてみれば一発轟沈もあり得る敵である。味方を守りながら戦わなければならないというのもまた、鬱陶しさ加減を増していた。
『レスコ先輩! レネ・グリーグです。よろしいですか?』
「どうした」
『私を先頭に立ててみてはいかがでしょうか』
「君を? S級と言っても君はまだ――」
『ブルクハルト教官に頂いたデータを信じるならば』
理性的で落ち着いた声に、無駄な力みは感じられない。エディタは小さく息を吐く。
「いいだろう、やってみてくれ」
『承知しました』
そう応答するなり、レネ、ロラ、パトリシアの操る軽巡洋艦が前に出てきた。エディタたちは前進を停止し、一斉に対空戦闘を開始した。敵の艦載機がナイトゴーントに続いて一挙飛来してきたからだ。空を覆い尽くさんがばかりのその数に、エディタはさすがに閉口した。
『無茶苦茶すぎだろ……』
クララが呟く。エディタも全く同意だった。
「レネ、艦載機に注意!」
『確認しています。敵機照準介入、完了。ロックオン本艦に付け替え……完了』
「全ミサイルを一艦で引き受けるつもりか!?」
『レスコ先輩、全艦対空砲火を! 火力もらいます!』
エディタは唾を飲む。エディタにはレネがどんな操作をしているのかを把握することができていたが、そのおよそすべてがエディタには不可能な芸当だった。一瞬で敵機の照準を無力化し、あまつさえ被ロック対象を自分に向ける。そのうえでエディタたちが打ち上げた対空砲火を瞬時にエネルギー変換して自分の艦の周囲に展開する。
『物理層、アンダーコントロール! 熱量相殺、ターゲットセット――コンプリート!』
数秒後、敵艦載機の放った対艦ミサイルがレネの障壁に激突した。縦横数百メートルにも渡る巨大な炎のスクリーンが空域を焼いた。熱量そのものでいえば、一メガトン級以上の核兵器にも匹敵する威力が空海域を覆い尽くした。
『すごい……』
テレサとトリーネが同時に呟いた。クララは手を叩いて歓声を上げている。エディタは喉を鳴らし、二秒ほど沈黙する。
「……ハンナ、こちらの被害状況を報告してくれ」
『ありません、無傷です。敵機は艦載機を十六撃墜、ナイトゴーントは残念ながら無傷』
「了解、そのままナイトゴーントの監視とレーダー照射を続けてくれ」
ハンナのお陰でトリッキーな動きをするナイトゴーントの位置情報はすべて目に見えている。不意打ちを防げるだけでも、ハンナの情報処理能力は誰にも代え難い。
「よし、クララ、テレサ、トリーネ、艦載機どもを殲滅しろ。ハンナは私とともにナイトゴーントを追いかけ回す。C級は担当のV級に従え!」
テキパキと指示を出しながら、エディタはレネの戦闘状況を注視する。レネの指揮には迷いがない。エディタのわかる範囲では誤りもない。そして、速い。全てにおいてエディタの上を行っていた。
「経験の差はあると思っていたんだがな」
自分の二年と少しの努力は、特大の才能の前にはこれほど無力なのか――エディタはため息をつく。
『はぁい、エディタ。今は集中集中! あとでこのトリーネちゃんが頭撫でてあげますからねぇ』
「頭はともかく、確かにいじけてても建設的ではないな」
『そゆこと! あたしたちはあたしたちのできることをするしかないんだよぉ』
できること。たくさんある。私は無力などではない。
エディタは自分にそう言い聞かせ、上空をうるさく飛び回る蚊蜻蛉を次々とロックしていく。
「ハンナ、目標をマークした。やってみせてくれ」
『私が、ですか?』
「君の処理能力ならやれる」
『リょ、了解。マーキング確認、隷下部隊に共有。対空戦闘、目標至近。至近戦闘シーケンス、アンプリファイア、ゲットレディ!』
ハンナの展開するシステムは、エディタには音と光として認識される。エディタはそれだけでハンナが何をしようとしているのかが理解できる。
「よし、一気にやれ!」
『了解しました、先輩。三式弾、良いですか』
「三式弾使用を許可する。試作品の論理データもチェックしろ」
『PPC、使用許可確認。先輩、非同期で良いですか?』
「任せる。C級、全艦対空戦闘用意! ハンナの合図を待て」
エディタは攻撃体勢に入ったナイトゴーントを確認し、防御フィールドを展開する。誘導装置は潰せる。あとは艦隊運動で回避できるだろう。
「ハンナ、味方の被害を最小限におさえつつ、ナイトゴーントを捉えろ。時間をかけてもよい!」
『了解、味方艦防衛を最優先目標と設定! 全艦、撃ち方ぁ、始めッ!』
十二機のナイトゴーントに向けて、二十隻の艦艇から対空砲火が打ち上がる。空海域の熱量が一気に上がる。ナイトゴーントは通常弾では撃墜できない。しかし、セイレネスの力が乗っていれば別だ。立て続けに三機のナイトゴーントが煙を吹いて空域から逃げていった。
その間、エディタの注意はレネの駆逐艦に向けられている。いくらS級とはいえ、敵艦隊――その規模ニ個艦隊――に軽巡三隻というのはあまりにも火力不足だと感じていた。
『攻撃モジュール・ギャラルホルン、展開! ロラ、パティ!』
『ロラ、了解、ペルソナ・ヘイムダルで領域構築!』
『パトリシア、了解、同期する!』
な、何を?
エディタは自分が全く知らないモジュールが展開されつつあるのを驚愕の眼差しで見つめている。レネがそのよく通る声で号令を発した。
『吹き鳴らせ、ギャラルホルン!』
空が幾度も放射状に光る。水平線の向こうが白熱する。
「ハンナ、レポート!」
『すくなくとも重巡三隻、軽巡四隻、駆逐艦十九隻が戦闘不能………旗艦空母を含め、中破艦多数!』
『軽巡三隻でそんな……』
クララが呻く。トリーネが掠れた声で言葉を繋ぐ。
『すべての砲弾が最高精度でエネルギーと化した?』
『ほ、本当に、あんなことが可能なのかい?』
さすがのテレサも動揺を隠せない。そんな諸先輩方の動揺を聞きながら、レネは声を張る。
『第ニ斉射! ギャラルホルン!』
再び敵艦隊に大きな損害が発生する。
ヴェーラやレベッカのように、一挙殲滅というわけにはいかなかったが、それでも圧勝は圧勝だった。敵の艦隊は早々に反転、逃走の態勢に入った。
『レスコ先輩、追いますか?』
「いや、不要だ。敵空母の戦闘力もほぼ奪えているし、艦隊としての体をなしてもいない」
『了解です。レネ・グリーグ、戦闘行動を終了します』
レネの軽巡がエディタの重巡に並ぶ。
『ペルソナ領域構築というのは、今回初めてブルクハルト教官が実装したモデルなんです。私はその使用テストを命じられていました』
「聞いてないが……」
『……ブルクハルト教官からも?』
「ああ」
エディタの言葉を受けて、レネは少し唸る。エディタは苦笑して首を振る。仮想現実の画面が消え、筐体内は暗黒に落ちる。
「教官が言わなかったということは、なにか意味があるということだろう」
『そうなんでしょうか?』
ただ忘れていただけでは? と、レネの心の声が聞こえてくる。
「教官がものを忘れるなんて信じられないことだよ、レネ。だから」
『敢えてのサプライズというところでしょうか?』
「かも、な」
エディタは明るくなり始めた筐体の中で、座ったまま思い切り伸びをした。
まったく、どんな大型新人だよ。
エディタはその現実を前にして、少しだけ落ち込んだ。