09-1-1:歌姫養成科第一期卒業生

歌姫は背明の海に

 ヴェーラのから一週間後、士官学校では卒業式が執り行われていた。この日は、エディタら歌姫養成科第一期生が、正式に軍に入隊する日でもある。

「この場にヴェーラ・グリエール中将の姿がないことを、残念に思います」

 講堂にずらりと並んだ第一期生、約五十名を前に、レベッカは話し始める。

「周知の通り、彼女は今なお意識不明で、生死の境を彷徨さまよっています。現時点では、彼女の意識が戻る可能性は非常に低い。ドクターにはそのように言われました」

 レベッカの冷淡とも言えるその口調と表情に、エディタたちは一様に表情を固くする。卒業生たちの後ろ、少し離れた所に立っているマリアは、眉間に力を込めていた。ともすれば感情があふれ出しそうになるこの状態に、マリアは少なからず戸惑っている。動揺とも、悲嘆とも、喪失感ともとれ、そしてどれもが少し違う。そんな意味の分からない感情に振り回されつつある自分に、マリアは内心取り乱していた。

 レベッカはマリアの方を一瞥したが、特に表情を変えることもなく、眼鏡のフレームを軽く押し上げた。

「よって、しばらくは私が第一艦隊の司令官を兼務します。あなたたちの所属は、便宜上第一艦隊と第二艦隊に分けられますが、運用は流動的になるものと心得てください。特にV級ヴォーカリストの四名については、常時私の随伴として動くこととなります。V級ヴォーカリスト、前へ出なさい」

 レベッカが呼びかけると、エディタを筆頭に、トリーネ、クララ、テレサの四名が、レベッカの前に集合した。レベッカは頷きながら、天井に据え付けられているカメラの方を向いて指を鳴らした。

 すると、レベッカの背後に戦闘艦艇の三次元モデルが出現する。最新鋭の空中投影ディスプレイによる演出だ。その威力を初めて目にした卒業生たちは思わず声を上げた。

「エディタ・レスコ中尉には重巡洋艦アルデバランを与えます。この艦は、高い情報処理能力を有した指揮管制艦であると同時に、電子戦闘艦でもあります。もちろん戦闘力は、対空戦能力を中心に非常に高いレベルで構築されています。使いこなしなさい」
「はっ!」 

 エディタは鋭い動作で敬礼した。絵に描いたように美しい敬礼に、レベッカはほんの少し口角を上げた。だが、目は無機的に影を落としたままだった。レベッカはそのままトリーネの前に移動して、背後の三次元映像を指さした。

「トリーネ・ヴィーケネス中尉には重巡レグルスを。アルデバランの盾、そして剣となるべくして建造された、戦艦を除けば我が国最強の戦闘艦艇です。あなたなら十分に扱えるでしょう」
「ありがとうございます!」

 トリーネは力強く応じ、横を向いて一瞬だけエディタと視線を合わせた。エディタは頷き、またレベッカに視線を戻した。

「クララ・リカ―リ少尉、テレサ・ファルナ少尉は、C級クワイアの指揮統率を担当してください。C級歌姫クワイアたちの直属の上官ということになります。責任は重大です。心して当たってください」
「はい」 

 クララとテレサが同時に応じた。レベッカは頷くと、また三次元映像を切り替えた。二隻の軽巡洋艦が映し出される。スペックも表示されているが、驚くべきはその機動力の数値だった。簡単に言えば、重巡洋艦の五割増しという数値だ。

「クララには軽巡ウェズン。テレサには同じく軽巡クー・シーを与えます。扱いは軽巡ですが、ウェズンは試作兵器を含め、大出力兵器を満載した超高火力艦ですし、クー・シーは艦隊隠蔽力と防空能力に特化した艦隊防衛のかなめです。二人の得意分野を活かす形で調整されているはずです。期待に応えなさい」

 レベッカから放たれる強烈なプレッシャーに、クララとテレサは唾を飲む。

C級クワイアのメンバーは別途搭乗艦の割り当てを告知します」

 そこでレベッカは、前に流れてきた髪を流れるような動作で後ろに戻した。眼鏡のレンズが空中投影ディスプレイに浮かび上がっている海戦シミュレーションの映像を受けて、ギラリと鋭く輝いた。

 今のレベッカは圧倒的だった。以前ならば、ヴェーラが担っていたはずの役割を、今は一手に引き受けている。その立場が、その責任感がそうさせているのかもしれなかったが、とにかくも非の打ち所がないくらいに、レベッカの態度は冷徹で威圧的だった。以前に見せていた柔らかな雰囲気は微塵みじんもない。表情も、声も、鋭い。

「一月の核ミサイルへの対応については、あなた方には助けられました。ですが、実戦はあんなものではありません。もっと苦痛で、もっと残酷で、もっと厳しい。間違えたら、死にます。一つでも判断を誤れば死ぬのです。そして、何一つ間違えていなくても、死ぬ可能性はあります。一年後に、この場に同じ顔ぶれが揃うことはないでしょう。身体の死はもちろん、心の死も確実にあなたたちに迫ってきます。これからはそれだけの厳しい戦いが待っています」

 死ぬまで続く戦いが――という言葉は、レベッカはかろうじて飲み下した。代わりに伏せた目が、やや憂いを帯びる。

「私は――」

 レベッカは目を上げ、毅然とし、清冽せいれつに、言った。

「ヴェーラ・グリエールと私は、数多くの作戦に参加し、数多くを殺しました。味方を守るために、敵を大勢殺してきましたし、これからもそうするでしょう。その中で、私がこうして今もここに立っていられるのは何故か。ヴェーラとの間にあったものは、何だったのか。それは信頼関係です。どんなつらいことも、どんなに苦しいことも、どんなに罪の意識にさいなまれても、この人とならば乗り越えられる。一緒に乗り越えていける。そう思うことで、思い合うことで、私たちは互いを守り合い、そして今まで、生きてこられたのです」

 レベッカの言葉には温度がない――マリアはそう見抜く。レベッカは表向きは冷静だったが、その心の内はそうではないことは、マリアにはお見通しだった。レベッカは冷静なのではない。心が凍りついているだけだ。彼女の本質は、その固く凍てついた表層の内側に閉じこもってしまっているのだ。マリアは俯いて、密かに奥歯を噛み締め、拳を握りしめた。その一方で、レベッカは全く表情を動かさず、淡々と言葉をつむいでいく。

「戦争はより一層厳しいものになっていくでしょう。良くも悪くも、私たち歌姫セイレーンによって、時代は変わってしまったのです。いえ、今も大きく変わっている最中さなか、といえます。変化の時期には、誰かが痛みを負わなければならない。誰かが涙を流し、誰かが血を流し、そしてようやく時代と世界が変わっていく。全く残念なことに、私たちこそがその始まりにして象徴なのです。今は戦争の、そしてが変わる、その激動の時代なのです」

 声に震えもなく、レベッカは告げる。それはまるで、居並ぶ歌姫セイレーンたちに対する死の宣告のようでもある。だが、マリアはその言葉を邪魔しようとは思わなかった。参謀本部からは制止役を仰せつかっていたが、そんなものはマリアにとってはどうでも良い役割ロールに過ぎなかった。

 なによりレベッカが言っていることは圧倒的に正しかった。そしてまた、新たなる歌姫セイレーンたちとて、いずれ知ることになるだ。そして、彼女たちはそのから逃れることはできない。という選択肢は、彼女らの人生には出現すらしないのだ。

「ですが」

 レベッカは歌姫たちをゆっくりと見回した。

「あなたたちにはまだ救いもあります」

 そして一呼吸を置く。

「あなたたちには数多くの仲間がいる。私とヴェーラは二人きりでした。セイレネスについてまだ研究段階のころから、私たちはそれに従事してきた。手探りでデスゲームにつきあわされてきた。それよりはマシ、という表現が正しいかどうかはわかりません。しかし、数多くの仲間がいるということはそれだけで十分に意味のあること」

 しかし。

 レベッカは三次元映像を切る。空間が重たい沈黙に沈む。

「実戦では仲間を犠牲にする選択肢も出てきます。あるいは自分が仲間のために犠牲になる選択肢も出てきます。勝利のためには自分も仲間も関係なく、最適解を求めることが必要となります。エディタ」
「は、はい」
「あなたが事実上の部隊指揮官です」
「ぶ、部隊指揮官……」
「そう。だからあなたにはより苛烈で厳しい判断を求めることになります」

 レベッカはエディタの肩に触れる。

「例えばこの中で五人、脱出のための囮となってもらうとしたら。あなたは誰を選びますか」

 急な問いかけに、エディタはきゅうする。レベッカはエディタの耳元に唇を寄せる。

「死ね、と命じること。それがあなたにできますか」
「わ、私には……」

 エディタは正直に首を振った。レベッカはエディタの両肩に手を置いて、頷いた。

「私にも、できません」
「提督……」
「しかし、やらねばならぬとあらば、やります」

 レベッカの言葉に、エディタは頷いた。

「ですが」

 レベッカは再び全員を見回した。

「もしそういう事態が起きたとしても、エディタたちを恨んではなりません」

 レベッカは自分の右手を左胸に当てる。

「恨むなら、私を、恨みなさい」

 レベッカ姉様――。

 限界まで張り詰めた空気の中、マリアは一人、唇を噛み締めた。

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