11-2-2:諦観

歌姫は背明の海に

 イザベラ・ネーミアの初陣、大勝利――。

 ほとんどあらゆる情報媒体メディアが、その戦闘をそのように総括した。もっとも、貴重なV級ヴォーカリストおよび重巡レグルスを喪失したことについては、轟々たる非難が出たことも事実であった。ASA反歌姫連盟は活動を激化させ、時としてはテロ行為にまで及んだ。市民グループも数多勃興し、軍のやり方を避難するデモ活動をエスカレートさせていく。

 メディア対応に当たった参謀部第六課統括であるアレキサンドラ・ハーディ中佐と、記者の舌戦も大きな話題を呼んだ。メディアの人間はその多くが「国民の代表」「民意の代弁者」であるというスタンスを崩さなかった。国家の未来のために戦っているイザベラたちの思惑と、自称民意の代弁者達による主張は、すれ違うことすらなかった。

 軍としては、トリーネの戦死については「やむなし」と結論付けていた。新型のナイアーラトテップ、後にI改良型と呼ばれる潜水艦については、ISMTインスマウスと同等以上の戦力であると判断されたからだ。むしろ一隻で済んで良かったという論調が過半だった。

 しかしその一方で、戦死八、負傷八という被害を出したC級歌姫クワイアたちの件については、イザベラは査問会にて大いに詰められた。イザベラがまともに戦っていればこの被害はなかったはずだというように、報告書にはまとめられている。しかし、イザベラは非を認めることはしなかった。

 彼女は言った。

 わたしは永遠ではない、と。

 その主張にいち早く賛同したのは、誰あろう、エドヴァルド・マサリク大統領その人であった。リチャード・クロフォード准将もまた、イザベラの擁護派に回った。

 その結果、メディアのほとんどは面白いくらい簡単に手のひらを返した。

「まったく、恐れ入る」

 イザベラはワインを手酌しながら苦笑する。

「今回は誰の差し金だろうね」

 グラスを掲げ、赤い液体越しにレベッカを見るイザベラ。レベッカはため息をついてピザを切り分けていたが、やがて仮面サレットを着けたままのイザベラを見て、またため息をついた。

「浮かない顔だね」
「疲れてるのよ。あなたが査問会で詰められている一週間。正直気が気じゃなかったわよ」
「ごめんよ」
「毎日あなたが叩かれてる情報を耳にする気分にもなってよ。食事も喉を通らなかったわ」

 レベッカの目からぽろりと涙がこぼれた。イザベラはワイングラスをテーブルに置くと、レベッカの隣に移動して、その肩を抱いた。

「そこまでは正直考えてなかった。ごめん」
「いいのよ。今はメディアの方もあなたを擁護しているし」
「マリアかな」
「でしょうね」

 彼女なら情報操作もお手の物だ。どんな手段を使ったのかは知るよしもないが、マサリク大統領を抱き込めたのもきっとマリアの裏工作の結果だ。

「参謀部第三課もなぜか失速。も今はおとなしい」

 イザベラはレベッカを強く抱き寄せる。レベッカも抵抗はしない。

「ねぇ、イズー」
「ん?」

 ピザを頬張りながら、イザベラはレベッカに視線を送る。

「私、やっぱりどうしても納得できないの。あなたにだからはっきり言うけど」
「うん、続けて」
「私、やっぱりあの戦いでは、あの子たちは死ななくても良かったと思う。みすみす殺させてしまったように思えてならないの」
「その考えは違うよって、何回も言ったよね」

 イザベラはワイングラスを引き寄せつつ言う。レベッカはイザベラの肩に頬を乗せて、ぽつぽつと言った。

「理性ではあなたの言ったことに納得できている。でも、感情が追いつかない。あの子たちは私たちの部下とかいう以前に、私たちのファンだったのよ? その子たちを――」
「だったらさ」

 イザベラはワイングラスを手にとって、一口飲んだ。白い喉がこくんと動いた。仮面サレット越しの瞳の色はわからない。ただ、くらい。

「だったらきみが飛び出してくればよかったんじゃない?」

 その一言にレベッカの臓腑はえぐられる。イザベラと見つめ合うその瞳が、新たに浮かんできた涙で揺れる。

「わ、私は……」
「きみは昔からそうなんだ。わたしがノーと言わないのを知っていて、きみは常にノーを突きつけてくるんだ。それを悪いこととは思っていないよ。だけど、でもね、その後きみが何かをするのかというと、何もしない。よね?」
「そ、それ、は……」
「わたしはね、きみがノーと言ってくれるのを知っている。だから、敢えてゴーと言う。決して反発ゆえ、じゃないよ。闇雲なものでもない。わたしの出した結論に、わたしは粛々と従っているだけなんだ」
「私にだって!」
「理念があると言いたい?」

 イザベラの静かな口調に、レベッカは息を飲む。

「知っているよ、きみの美しい理想、きみの美しい理念。だけどね、それは甘い。まったくもって甘いんだ。世間の連中を見てご覧よ。バカばっかりだ。簡単に流されて、情報を自ら検証もしようとせず、低き方へ低き方へと望んで流されていく。だから連中は、きみの優しさに甘えるんだ。先般のきみが血反吐を吐いてまで犠牲の出る戦い方をしたその理由すら考えようとしないことからも、そんなの明らかだろう?」
「私はあの戦いは間違いだったと思っている。けど」
「わたしたちが永遠ではないことも理解している」
「……ええ」

 レベッカは観念したように首肯する。

 イザベラはワイングラスを置いた。

「きみは優しい。だからきみの優しさをみんながにする。それはC級歌姫クワイアたちだってそうだ。例外なく、そうなんだ。わたしだってそうかもしれない。だけど、その結果が今回の十六人の死傷なんだ。あの子たちが悪かったなんて口が裂けても言わないし、言おうとも思わない。けど、誰もが無意識にきみの優しさを前提に動いている。もっと言えば、ヴェーラがいた時はヴェーラときみの優しさを、だ」

 イザベラの、レベッカを抱く指先に力が入る。

「きみも優しさを捨てるんだ。きみはわたしとカティとマリアにだけ優しければそれでいい」
「そんなこと!」
「さもなくばきみもまた、ヴェーラと同じ道を辿るかもしれない。わたしはそれだけは絶対に許さない」

 イザベラはそう言って、両手でレベッカの頬に触れた。見つめ合う二人の距離は少しずつ縮まっていく。

「わたしたちは艦隊司令官だ。わたしたちより断然若い子たちが死んでいくこともまた、甘受しなければならない。大局的な視点に立って。感情論なんて捨ててしまうんだ、ベッキー。そんなものを戦場に持ち込んでも、傷付くだけだ」
「そんな簡単にはできない」
「わたしたちという存在がなぜ生まれたのか。いつまでアーシュオンあるいは他の国家群との戦いを続けなければならないのか。わたしたちはいつまで……人間兵器でいなければならないのか」

 イザベラの唇が、ほんのわずかにレベッカの唇をかすめる。二人の距離はほとんどゼロだった。

「私は……でも、やっぱりつらいのよ」
「うん。きみの気持ちはわかる気はする。救えた命だという主張も理解できる。でもね、きみも何もしなかったよね、結局。わたしが止めたというのはあるけど、きみが本気でそう考えていたというのなら、きみは飛び出してきていただろう。誰がなんと言おうと、C級クワイアの子たちを守りに現れただろう。だけど、しなかった」
「それは……」
「きみの理性が感情を押し留めた結果だよ。それは紛れもなく、きみの決断なのさ。違うと言うかい?」
「違わない……」

 レベッカはボロボロと涙をこぼし始めていた。

「きみは壊れないでくれよ。わたしヴェーラみたいになっちゃダメだ」

 イザベラはレベッカを両腕で抱きしめた。レベッカもその背に腕を回す。そして子どものように声を上げて泣いた。

 レベッカも限界が近いのかもしれない――イザベラは幾分冷静にそう感じ取る。このままではいけない、とも。

「イズー、私もわかってはいるの。あなたが私たちの未来を真剣に考えてくれていること。ヤーグベルテの未来にまっすぐに向き合ってくれていること。わかってるのよ。だから先の戦もあなたの判断は正しかったんだってことも。だけど、胸が痛いの。心がズタズタなの。誰に謝ればいい? 誰に未来を誓えばいい?」
「ベッキー」

 イザベラは再びレベッカに顔を近付けた。

「きみが愛しているのは誰?」
「……あなたよ」
「その気持ちに変わりはないの? わたしはこんなに酷い女だよ」
「あなたが何を言おうが、どのように判断し、どんな行動をしようが。私はあなたを愛してる」

 レベッカの強い口調に、イザベラは微笑む。

「わたしと一緒に地獄に落ちる覚悟もある?」
「あるわ」

 レベッカの答えには何一つ迷いがなかった。それを聞いて、イザベラの口角が少し歪んでから上がる。

「重たい愛だ」
「無理?」
「まさか」

 イザベラは仮面サレットの奥で目を細めた。

「その重さでどこまでも沈んでいける。上々さ」
「私があなたを加速させてしまっているのかもしれない」
「否定はしないさ」

 イザベラはレベッカの唇に自らのそれを押し当てた。

「あ……」
「贖罪のキス。このくらいしても罰は当たらないだろ」
「ばか……」

 レベッカはややぼんやりした顔でイザベラを見つめる。イザベラはレベッカから視線を逸らすと、テーブルの上に置かれたワイングラスの水面を見た。

「わたしたちは時として悪魔のように振る舞わなければならないのさ。なぜなら、その役割ロールで歌い踊れるのはわたしたちだけだから」

 イザベラのその言葉は、深い諦観に満ちていた。

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