二〇九六年十一月――。
アーシュオンが着々とM型ナイアーラトテップの頭数を揃え、また、I型ナイアーラトテップの量産体制に入りつつあるこの時期において、ヤーグベルテもただ黙って指を咥えて見ていたわけではない。
先の戦闘で一名の欠員が出たV級の穴を埋めるため、十月には歌姫養成科第二期のハンナ・ヨーツセンが補充された。同時に大量のC級歌姫も前線配備となり、ハードウェアの供給はともかく、歌姫の頭数だけは常時必要十分に確保できるようになった。それはつまり、仮に損耗が出たとしてもすぐに補える、という意味だ。
そしてまた、四風飛行隊のうちエウロス飛行隊には予算が集中的に投下されることと相成った。それまでに挙げきた実績に由来する妥当な評価である。その結果、エウロス飛行隊には百機もの多目的戦闘機が配備され、同時に給油機や哨戒機も十二分に追加配備されることとなった。
「新しい母艦が必要だ」
カティはエウロス飛行隊の機動部隊旗艦とも言えるリビュエの自室にて、難しい表情を作りながらそう言った。空中投影ディスプレイの中では、頬杖をついたクロフォード准将が困ったような顔をしていた。
カティは手にしたペンをくるりと回して言う。
「中古の軽空母でもいい。何かないだろうか、准将」
『簡単に言うがな、今や軽空母でさえ貴重品なんだ。虎の子だとか言われているうちの艦隊ですら、最低限の艦船しか与えられていないのが実情だぞ』
「しかし」
カティは譲らない。腕組みをしてディスプレイの向こうにいるクロフォードを睨む。並の人間ならそれだけで姿勢も正してしまうだろうが、クロフォードは相変わらず砕けた姿勢で困った顔をしていた。カティは眉根を寄せて、またペンを回す。
「せっかく戦力がここまで拡充されたのに、空母がなければ機動的に運用できない。そのくせどいつもこいつも、従来の倍の戦果を求めてくる。実働戦力の実数は変わらないのに」
『そういう話は調達部にしてほしいのだがなぁ』
「物事を通すルートの正しいあり方を教えてくれたのは准将だけど」
『失敗したなぁ』
クロフォードがおどけて頭を掻いた。そこでカティは思い出す。
「そうだ! 確か海軍さんでは何か面白いものを建造していたはずだけど」
『面白いもの?』
「戦艦空母」
『ああ、アドラステイアか。残念ながら、あれはまだ設計図だ。予算はなんとか下りたが、完成は二年後だ』
「なんだ、そうなのか」
カティはあからさまながっかりした表情を見せる。
「でもニ年か。となると手を回すならもうやらなきゃ。提督の方でどうにかしてもらえないだろうか」
『お前なぁ。俺をそんな便利屋みたいに』
「准将しか頼れないんだよ、海軍」
『お前の大事な妹分がいるだろ』
クロフォードは腕を組んで肩口を指先で叩きながら応じた。カティは苦笑する。
「あいつらには他にやることがあるでしょ」
『俺が暇人みたいな言い方をするなよ』
「適材適所。提督、頼むよ」
『わかったわかった。横車を押すのは確かに得意技だ。任せとけとは言えないが』
その時、カティの携帯端末がけたたましいアラートを掻き鳴らした。カティの表情が鋭く変わる。
「来たか」
カティが尋ねると、携帯端末の方から応答が返ってくる。
『アーメリング提督より敵艦隊発見の報が』
「了解した。クロフォード提督、また後ほど」
『うむ』
クロフォードの姿が消える。
「距離は十分にあるな?」
『はっ。発見位置は第六課の予測範囲。なお、敵はまだ気付いていません』
「そうだろうな」
カティは言いながら、真っ赤なフライトジャケットを手に取った。
「敵にI型は見えるか」
『一隻確認されています。M型は六隻、そして敵は第三艦隊です』
「マーナガルムもいるってことだな」
『肯定です。戦略通りです』
さすがは第六課。エディットがいなくなってもなお、その戦略眼は健在だ。現統括アレキサンドラ・ハーディは、何かと前任のエディットと比較される立場ではあるが、その実力はエディットの直属であったこともあり非常に信頼性があった――少なくともカティは全面的に信頼している。その第六課が今回はマーナガルムと当たることになると明言してきたからこそ、カティたちはレベッカの艦隊に随伴してきたのだ。
カティは携帯端末をフライトジャケットのポケットの中に移動させ、代わりに取り出したイヤフォンマイクを耳に装着した。
「アタシの機体の準備はいいな?」
『いつでもいけます。初っ端から出られますか?』
「マーナガルムがいるとあらば、アタシが出なければ失礼だろう?」
カティが格納庫に着いた頃には、ほとんどの飛行士は自機に乗り込んで、最終チェックを行っていた。露天駐機されている機体たちは、既に発艦を始めている。手はず通りだ。エウロスはエリオット中佐、マクラレン中佐によって組織末端に至るまで徹底的に統率されている。
カティは整備員たちに軽く挨拶をしながら、流れるような動作で新たなる愛機に乗り込んだ。それはカティの存在を戦場に誇示するような、真紅の大型戦闘機である。次世代戦闘機の性能評価試験用に創られたプロトタイプで、『スキュラ』という開発コードが与えられているが、他の戦闘機のようなFナンバーは与えられていない。
カティはスキュラの音声通信チャネルを開き、第二艦隊旗艦エリニュスを呼び出した。
「こちらエンプレス1。第二艦隊司令官殿はいるかい?」
『その呼び方はちょっと』
少し不満げにレベッカが自ら応答してくる。
「事実だろ」
『そうですけど、ね。そうじゃなくて、ええと、気をつけてください、カティ。十中八九マーナガルム飛行隊がいます』
「だろうね。じゃなきゃ島嶼の威力偵察にアタシたちが出張ってきた甲斐がない。ハーディも断言していたし、アタシは最初からそのつもりでいる」
『マーナガルムに補充が入ったという情報もあります』
その情報はカティも掴んでいた。三機に減ってしまったマーナガルム飛行隊に新型機が配備されたという情報もある。おそらくその新型機に乗っているのが新人だろう。
『油断だけは――』
「誰に言ってるんだい、ベッキー。そんなことよりそっちの心配をしておきな。そっちもC級を最前列に出すんだろう、この前みたいに」
『そう、ですね……』
歯切れの悪いレベッカに、カティは少し思案する。
「命を賭けて戦わないと見えないモノもある。あの子たちはそれを承知で軍に残った――という建前だが。アタシはね、お前がどんな戦い方をさせようが、そこに口を出すことはないよ。お前の理想とする将来像がブレていない限りは、どんな結果になろうとも、アタシはお前を責めない」
『建前、なんですよね、でも』
レベッカの声が沈む。カティは小さく息を吐く。
「本音だろうが、建前だろうが、ことここに至っては関係ないのさ。ここは戦場だ。戦場にいるんだ。どっちの立場でここに立っていようが、魚雷や爆弾が当たれば死んじまうんだ。指揮官たるお前がそんな事に躓いてどうする。どんな状況であっても、戦闘の過程と結果に全責任を負うのが司令官という立場だぞ、ベッキー。お前のスタンスがどうであってもアタシは責めないが、そこに迷いがあるっていうなら、今すぐお前の横面をひっぱたいても良いんだぞ」
『……ありがとう、カティ』
レベッカの声に張りが戻った。カティはニヤリと笑みを見せる。
「弱音は禁物だぞ、ベッキー。いや、レベッカ・アーメリング。それが許されるのは」
『うちに帰ってから』
「そうだ。帰ったらいくらでも泣き言は聞いてやる」
『甘えさせてもらいます』
うん――カティは頷いた。
「カティ・メラルティン、スキュラ、出るぞ!」
カティを乗せた真紅の機体が、悠然と空を舞った。