13-2-1:グラッジ・マッチ

歌姫は背明の海に

 次で仕留める――!

 カティは紺色の目を細め、HUDの向こうに見える白い機体を追った。背面飛行に移り、コックピット合わせの位置関係にまで持っていく。そうしたところで相手の顔が見えるわけではない。だが、それでも衝動的にそうしたいと考えたのだ。純白の戦闘機、レージングは、薄墨の煙を噴いて海面からわずか五メートルのところを飛んでいる。そこに上から圧をかけていく赤い戦闘機、スキュラ。彼我の距離は十メートルとない。

 機体を立て直し、再び上空へと舞おうとした時、カティは新手に気が付いた。強力なECMでもあるのか、レーダーには一切存在を確認できない。だが、一万メートル付近、その下の雲を抜けたあたりに、カティは強い違和感を覚えた。

 アラートが鳴り響く。ミサイルアラートだ。上空から投網とあみのように、数十もの小型ミサイルが降ってくる。カティはオーグメンタを最大出力で吹かし、さながらロケットのように上空へと飛んだ。それによりミサイルとの相対速度は音速の五倍にも達する。

 豪雨だ。一発でも被弾すれば命を失う豪雨のさなかに、カティは飛び込む。機関砲で叩き落とし、機体をひねり、時にはノズルを垂直に立てて、超音速の舞を見せつける。デコイもフレアも使わない――今のカティには必要がなかった。スキュラの機動性とかティの身体能力が完全に調和した、攻撃的回避行動アグレシヴ・アヴォイダンスだ。全てのミサイルの脅威を背中におしやって、カティは急降下してきた青紫の機体と正対する。ほとんど無意識の内に機関砲が放たれる。タングステン合金の弾丸が、双方から同時に放たれる。曳光弾の奔流ほんりゅうが空域を鮮やかに照らす。

PPC粒子ビーム砲があれば仕留められたな……!」

 カティは慌てる風もなく、それらの弾頭をかわし切り、降下を続ける青紫の機体を反転急降下で追う。

 その時、カティは気付いた。何故かわからないが、わかったのだ。

「お前……お前は!」
『久しぶりだな、カティ・メラルティン』

 声が頭の中に直接響いてくる。それはひどく不愉快な感触だった。

「ヴァシリー・ジュバイル! 聞こえているのか!」
『感度良好。そんなに叫ばなくても届いている』

 おどけたようなその口調に、カティの神経はざらりと逆撫でされた。

「エレナをどこへやった! そもそもなぜ貴様がこんなところにいる!」

 カティはその機体の背面につけるなり、機関砲を撃ち放つ。だが、まるで蝶のような掴みどころのない機動にかわされる。ヴァシリーはフレアを巻き、カティの視界を塞ごうとする。カティはその寸前に機首を上げて自ら視界を潰し、閃光によるダメージを防いだ。

『エレナなど最初から存在しない。意識に投影されたゴーストに過ぎない』
「だとしたら、アタシの記憶は何なんだ! エレナでなければ彼女は!」
『主体にとってみれば、幻であろうと存在は存在だ。おめでとう、お前の中ではエレナは現実なんだよ、カティ・メラルティン』
「貴様ッ!」

 カティは機体を大きく倒し、重力に任せて落下する。その直後、カティがいた空域を青白い光が薙ぎ払った。PPC粒子ビーム砲か、それに準ずる何かによる攻撃だった。しかしその光速の兵器をもってしても、ほとんど直感の世界で動き回るカティの機体を捉えることはできなかった。しかしカティは冷や汗を隠せない。二発目がないとは限らないからだ。

「ヴァシリー、貴様はッ!」

 カティは叫び、左手で仮想キーボードを猛然と叩く。機体制御プログラムを書き換え、機体制御のリミッターを外す。装甲の一部を強制分離パージし、さらに速度を上げる。

「アタシ、エレナ、そしてヨーンの恨みを、屈辱を、無念を、今ここで晴らす!」

 双方が同時に互いをロックオンした。アラートがけたたましく鳴り響く中、カティは目を細める。眉間に力が入る。最新鋭の機体が悲鳴を上げるほどの加速度に耐え、カティは唸り、最後の多弾頭ミサイルを放つ。

 ミサイルは唸りを上げて飛び、無数の小弾頭を放出する。ヴァシリーの機体もまた同様にミサイルを撃つ。彼我の中間地点でそれらの弾頭は爆発を起こしながら相殺されていく。花火のように爆炎が広がる。カティたちはそのさなかに機関砲を撃ちながら突っ込んでいく。

 その瞬間、カティはを聞いた。

 全ての時間が停止する。機体をかすめようとしているHVAP高速徹甲弾の弾頭が幾つも見えた。爆炎の広がりすら秒速ミリ単位の遅さ――のように感じられた。音は拍動リズムを刻み、やがて弦音ストリングスが重なり始める。それはある意味ではコーラスのようにも聞こえた。無数の人間による合唱のように。

「な、なんだ、これ、は」

 驚愕するカティの意識から、やがて声は消え去った。ふわふわとしたと、心音のような拍動だけが残り続ける。しかし今、カティは沈黙に飲まれている。は呼吸と同じであって、消えることのないもの――意識に上らないもの。カティの周りには何もない。アラートすら聞こえていない。

 そんなカティの意識に鮮明に映し出されているものがある。

 青紫の戦闘機――。

 爆炎の向こうにいるそれを視認することは不可能なはずなのに、異常なほど明瞭にその位置や機動を読み取れる。圧倒的な万能感がカティを突き動かす。

 ふわふわとしたたちが急激に音圧を上げる。カティは奥歯を噛みしめる。耳の奥が鈍く痛む。

 操縦桿を握る右手は勝手に動いていた。停止したHVAP高速徹甲弾の雨の中を悠々とくぐりぬけ、見えざる敵機に向かって機関砲を全力で叩き込む。

 時間が戻る。

 カティの身体がシートにめり込んだ。肋骨と背骨がきしむ。

 爆炎を抜けると、青紫の戦闘機が見るも無惨に蜂の巣になっていた。

「ぐっ、うっ……」

 カティは思わずくぐもった声を上げた。機体の機動マニューバに身体が限界を訴えている。肺の中の空気が全て吐き出され、カティはあえぐ。ヘルメット内部に供給される酸素が濃度を増した。

「はぁっ……」

 れたか!?

 カティは首を巡らせつつ、機体を反転宙返りさせる。青紫の戦闘機は完全に戦闘能力を喪失していた。コックピットブロックへの被弾も確認できた。

『セイレネス……だと……!?』

 ヴァシリーの声が意識に届く。

 ベッキーの援護があったということか? そんな気配はなかったが。

 カティは混乱する。

『はははははははは! そういうことか! なるほど、ようやく理解したぞ!』
「何をだ、ヴァシリー!」

 カティの赤い戦闘機が、ヴァシリーの青紫の戦闘機を真正面に捉えた。狙うはコックピット。確実に仕留める。慈悲の気持ちは一つも湧かなかった。罪悪感の欠片も浮かんではこなかった。

『何も知らぬままに、弄ばれて死んでいくがいい、カティ・メラルティン!』
「だまれ!」

 トリガーを引く。

 リズミカルな轟音がカティの鼓膜を揺らす。

「あの世で詫びろ、ヴァシリー・ジュバイル!」

 青紫の戦闘機はコックピットを完全に破壊され、真っ二つになって、ぜた。

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