戦闘の被害は想定よりも小さかった。しかし、ゼロではない。死者も少ない。少ないがゼロではない。確かに、悪くはない。悪くはないが、それはつまり最良ではないということだ。
参謀部は評価するだろう。ある程度のマイナス査定を入れても、大勝利だと言うだろう。カティはマーナガルム飛行隊を新型機も含めて二機撃墜しているし、エディタたちだってナイアーラトテップを全て破壊した。私のマイノグーラ撃沈も加算されるだろう――レベッカはうんざりした様子で眼鏡をかけ直す。
眼鏡をかけたとて、この暗いコア連結室の中で何かが見えるようになるわけでもないのだが。
査問会では駆逐艦以下計五隻の損失について叩かれるだろう。レベッカが前に出ていれば防げた損害であったはずだからだ。確かにそれは間違いなくその通りだ。だが、この数百名の生命の喪失は、生き残った者たちにとっての糧になる。次の戦いに生かされていく。生き延びた者たちはより成長し、より多くの生存の機会を得る。
アーシュオンとの戦いが終わりそうにない以上、生き延びる素質のある者を生き延びられるようにする――レベッカやイザベラには、これ以上の策は思い付けなかった。
「何だかんだ言って、私たちは消耗品。セイレネス・システムの付属物」
レベッカは呟いた。歌姫などと呼ばれて持ち上げられてはいる。だが、その実態はつまりそういうことなのだ。D級、S級、V級はともかく、C級にはいくらでも代わりはいる――誰もがそう考えている。これは事実だった。
ヴェーラ、否、イザベラはそういった理不尽を飄々と受け流して生きているように見えた。だが、レベッカにはそんな器用な真似はできなかった。そんな自分を振り返るにつれ、今の自分は昔のヴェーラに似ているのではないか――レベッカはそんなことすら思った。
「あんな勇気……私にはない」
火を被ること。自らの死を覚悟しての行為。あんなことは私にはできない、と。
レベッカは甘えていたのだ。この陰惨な状況を耐え忍び続ければ、誰かが助けてくれるに違いないと。レベッカが呼び続けていたその誰かが、すなわちヴェーラだった。レベッカはヴェーラが火を被ったその時に、そう悟った。
ヴェーラはイザベラとして地獄から舞い戻った――私たちを救うために。でも――。
『ベッキー、いるかい?』
思考に沈みそうになった時、カティが論理回線を使って話しかけてきた。艦長が気を利かせて回線を繋げてくれたのだろう。
『こっちはもうシャワーを済ませたけど、お前、まだ連結室にいるんだって?』
「え、ええ。落ち着くんです、ここは」
レベッカは正直に答えた。許されることなら、ずっとこの部屋に閉じこもっていたっていいくらいに、コアウェポン連結室は居心地が良かった。誰にも侵害されない圧倒的な闇が包み込んでくれるからと。
「そ、それはそうとカティ、すごかったですね。二機ですよ、新型も」
『ああ、マーナガルムか。まぁそうなんだが、隊長機を取り逃がしてしまった』
「些細な問題ですよ。カティが無事で、戦果も十分!」
レベッカは力を込めて言った。
「しかし、アーシュオンは何を考えているのでしょう。マーナガルムさえ捨て駒にしているようにしか見えないんですけど」
『確かにな、あの戦局で出すべき戦力ではなかっただろう。エウロスを一機でも減らせれば御の字だ、そう言っているようにも見えたな』
「酷い話です」
『なぁに、お前たちだって似たような扱いじゃないか』
カティの口調が鋭い。レベッカは胸を押さえる。
「私も……あの子たちを同じように扱っています」
『皮肉を言ったつもりはないんだ』
カティはあくまで穏やかな声でそう言った。その声がレベッカの心の柔らかいところに沁みていく。
「カティにだから、言えるのですけど」
『……うん?』
「私、自分が怖いんです。だんだんと昔のヴェーラに近づいてるみたいで」
『昔の、ヴェーラか』
カティは言い淀んだ。思い当たる節があったからだ。
疲れてるだけかな? ――レベッカが問う。そんなはずはないと知りながら。
そういうことだろうさ。 ――カティは答えた。そうではないだろうと否定しながら。
レベッカは頭全体をくまなく包み込んだ頭痛と戦いながら、ゆっくりと息を吐いた。
「カティは、私のことをどのように考えていますか」
『それは難しい質問だなぁ』
「誰にとって、ですか?」
『もちろん、アタシにとって』
カティの答えは反射的で、明瞭だった。レベッカは前に流れてきた髪を後ろにはねのける。
「カティ、私には勇気がないんです。ヴェーラのような強靭さも。イズーのような靭やかさもありません」
『そんなことは、ないだろう?』
「じゃぁ」
レベッカは首を振る。
「それじゃぁ、私には何があるのですか。私には――」
『その頭があるだろう。物事の大局をよく見て分析できる、賢い頭がある』
「でもそれだけじゃ、私は何も――」
『いいか、ベッキー。人にはそれぞれ役割があるんだ。役割だ』
カティは自分の言葉を確かめるように、ゆっくりとした口調で言った。
『お前は大局を見て、その時その時、ベストだと思う選択をしていれば良いんだ。誰にもその判断を間違えているとは言わせない。アタシがね』
その言葉にレベッカは胸の痛みを覚えた。カティは自分の行為のすべてを肯定すると言っているのだと、レベッカには理解できたからだ。
『あのな、ベッキー。お前が迷うというのなら、それは迷うべき時だからだぞ。迷った結果答えが出なかったとしても、お前はちゃんと迷ったんだ。どうあれ、そんなのは勇気がないとか度胸がどうとか、そんなくだらない精神論で語られるべきものなんかじゃない。わかるか?』
今すぐカティに抱きしめてもらいたい――レベッカは強くそう感じた。これほどまでに強く自分を肯定してくれるような人物を、レベッカは他に知らない。イザベラやマリアでさえ、ここまで自分を許容してはくれないのだ。しかしカティの優しさは甘さ、とも違う。まっすぐに容赦なく。カティは常にそうなのだ。だからこそ、その言葉を素直に受け止められる。
『それじゃ、ベッキー。こっちはちょっとお偉方との会議があるから』
「わかりました。ありがとう、カティ」
『気が紛れたならそれで十分さ』
ぷつん、と、カティとの会話が終わった。
「はぁ……」
また独りだ。レベッカは暗黒の空間の中で伸びをする。
そのタイミングで、レベッカの携帯端末に着信があった。第六課の司令室にいるはずのマリアからだ。
「どうしました、マリア」
『第一艦隊がアーシュオンの艦隊を発見しました。まだかなり距離はありますが、航空部隊による攻撃がまもなく始まるかと』
「敵艦隊の規模は」
『マイノグーラが一隻、M型は最低でも一ダース。第九、第十潜水艦隊と思われます。航空戦力は不明ですが、前例からしてナイトゴーント多数を動員してくるでしょう』
なんてこと。
「こっちより厳しいじゃない。第一艦隊には重巡もいないのよ」
『そうですね。いくらセイレーンEM-AZがあるとはいえ、軽巡二隻では厳しいと判断しております。また、I型と思しき反応も接近してきていると、ネーミア提督が』
「I型……」
つまりは、トリーネを殺した新型だ。海中型ISMT――化け物だ。レベッカは眼鏡の位置を右手の人差し指で合わせた。携帯端末の画面の発光を受けて、レンズがギラリと輝いた。
「今から向かって間に合いますか?」
『推定交戦開始時刻には間に合いませんが、参戦は十分に可能かと思われます』
「わかりました。カティたちにも向かってもらいます。そのように手配をお願いします」
『承知しました、姉様』
通話が終わる。
空間はまた闇に落ちる。
「第二ラウンド、か」
エディタやハンナ、そしてC級たちにとっては、厳しい試練の戦いとなるだろう。せっかく一戦生き延びたというのに、だ。
レベッカは祈るように両手の指を組み合わせ、震え始めた唇を噛み締めた。