レベッカ率いる第二艦隊が、セイレネスの射程内に暗礁海域を捉えた時にはすでに、友軍艦隊は壊滅状態に陥っていた。駆逐艦の幾らかは未だ健在ではあったが、海域には軽巡以上の艦艇の姿はない。旗艦ウラニアの舳先に意識を泳がせながら、レベッカは思わず慣れない舌打ちをした。現在の敵艦隊との距離は百キロ弱といったところだ。
敵艦隊の動きを見て、レベッカは意識の中で眉根を寄せた。
「逃げないの?」
敵の二個艦隊が向かってくる。その前方には、M型に擬態した四隻のマイノグーラを押し立てている。
「すごい同調率……」
マイノグーラ間で張り巡らされているセイレネスのネットワーク。そこから発されてくる完璧な和音。ブレもズレもない、完全な調和だ。だが、そこには揺らぎがない。恐ろしく無機的な音だった。ここまで来ると、もはやいっそ不気味とさえ思えた。レベッカは無意識に肩を抱く。
震えが来るほどの違和感に打ちのめされていたレベッカを救ったのは、カティからの通信だった。
『ベッキー、来たか。映像は見たかい?』
「カティ!」
良かった、と、レベッカは大きく息を吐いた。
「映像見ました。コーラスによる旗艦狙い撃ちで間違いありませんね」
『そう、か。残念ながら、アタシたちもその攻撃の詳細がつかめないから攻めあぐねている。おかげで敵の艦隊どもにも手が出せないでいる』
カティの判断は賢明だ。エウロス飛行隊はかなりの高度を維持して敵の艦載機と戦っている。だが、エウロスのいつもの強さは発揮できていなかった。というのは、マイノグーラによる未知の攻撃を警戒していなければならなかったからだ。高度を易々と変えられないというのは、空戦に於いてはかなりのハンディキャップである。
「カティ、エウロス全機撤退してください。ここから先は、私が」
『了解した。エウロスは空域を離脱する』
よし、と。レベッカは頷く。カティは疑問を差し挟むことなく指示に従ってくれる。私たちの間には絶対的な信頼関係がある――レベッカはそう確信していた。ともすれば、イザベラよりも。
レベッカは慌てて首を振ってその考えを追い出し、再び意識を集中する。
マイノグーラたちからの完全な音が、急激に圧力を増してくる。レベッカはウラニアの周囲の海域が碧く輝き始めたことに気が付いた。
「こんなもので――」
私の防御を貫けると思うな!
レベッカの意識が歌う。セイレネスの放つ音――即ちレベッカの音が、ビートを上げる。音素の全てが混濁し、やがてひとつのノイズとなった。海が光る。エディタとハンナが叫ぶ声が聞こえる。
大丈夫、落ち着いて。
レベッカはセイレネスを通じて声をかける。二人の動揺が痛いほどに伝わってくる。レベッカはその動揺の音すら、ノイズの中に取り込んだ。ノイズが音圧を増し、マイノグーラから届く完全な和音を駆逐する。
「見ておきなさい」
レベッカは厳かに言った。レベッカには見えている。マイノグーラたちから伸びてくる触手のような音の波が。それらは撓りながらも一直線にウラニアへと向かってきていた。空域と海域を汚染しながら。
レベッカが意識の腕を振るう。するとウラニアが薄緑色に輝いた。その輝きはやがて集約され、まっすぐに海域を切り裂いた。マイノグーラから伸びてきていた触手の群れは、その一撃でことごとく撃墜された。
それを見ていた歌姫たち、エディタやハンナたちは、その輝きを美しいと感じた。
しかしその輝く海は瞬く間に色褪せ、灰色の陰鬱な色に戻ってしまう。レベッカはそれを確認して、小さく息を吐いた。レベッカにしてみても、コーラスへの対抗策など使ったことは無かったが、なぜかやりかたはわかった。誰かが囁きでもしたかのように、レベッカは自然にセイレネスを操った。
『て、提督。マイノグーラは論理戦闘で対応しますか?』
エディタが緊張で震える声で尋ねてくる。レベッカは数秒間黙考する。
「そうね、論理戦闘でいきましょう。マイノグーラたちに物理戦闘を続けさせるのは得策ではないわね」
今のところコーラスに対抗できるのはレベッカただ一人。下手を打てばエディタたちを失うことになる。それだけは絶対、絶対に避けなければならなかった。……ということならば、論理戦闘の方がリスクが低い。レベッカはそう判断した。
レベッカはエディタとハンナの意識を捕まえると、論理戦闘シーケンスを展開する。マイノグーラたちの結界をクラックするところから全てが始まる。常に四人でコーラスを展開しているマイノグーラたちの結界へとアクセスするのは、レベッカの力を以てしても梃子摺った。
エディタとハンナが加勢することでようやく、といった所だった。それだけマイノグーラ側は論理戦闘を拒否しているのだ。だが、レベッカは要求を止めない。エディタとハンナのセイレネスの演算能力が加わり、アクセスキーの解析が始まる。マイノグーラ側はゲートを閉鎖してキーのリアルタイム上書きを実施してくる。概念文字列の乱舞する書き換えと侵入試行の応酬が数秒間続いたが、音を上げたのはマイノグーラの方だった。
世界がたちまち白に染まり、その空間にレベッカ、エディタ、ハンナが出現する。数十メートル離れたところには、ほとんど見分けがつかないほどに良く似た黒髪の少女が四人立っていた。その手にはそれぞれアサルトライフルのような大型火器を手にしている。それを目にした瞬間、レベッカは全身の筋肉を緊張させた。その火器はつまり、V級レベル。いや、或いはそれを超える能力を有していることを表しているからだ。
超大型の六連装砲身ガトリングガンを手にしたレベッカは、即座に彼我の間に壁を立ててから、エディタとハンナをすばやく呼び寄せた。
「あの子たちは危険です。私が前に出ますから、二人は援護に徹してください」
「わ、わかりました」
エディタとハンナが緊張した表情で素早く頷いた。
そこからのレベッカの動きは速かった。立てた壁を自ら崩すなり、次々と白い柱を降らせた。軽快にそれらに飛び乗り、飛び移り、少女たちとの距離を詰めていく。少女たちはレベッカに狙いを絞って射撃を始めたが、そこにエディタとハンナが支援射撃を撃ち込んだ。それによって、少女たちは壁を立ててそこに一時避退した。エディタはアサルトライフル、ハンナは対物ライフルとハンドガンを手にしていた。
レベッカは柱を無尽蔵に生み出しながら、白い空間を飛び回る。巨大なガトリングガンを振り回し、薬莢を撒き散らしながら周囲を薙ぎ払っていく。その唸りを上げる火力の前には、少女たちの立てる壁などないにも等しかった。あっという間に破られ、蹴散らされていく。
だが、少女たちもただではやられない。完全に同期した射撃は正確無比の一言だった。跳び回るレベッカを何発もの銃弾が掠めていく。エディタとハンナの援護射撃も、初撃以降効果が上げられていない。
連携を乱すことさえできれば――。
レベッカはすっかり距離が離れてしまったエディタとハンナを振り返った。その間にも、右手のガトリングガンは火を噴き続けている。エディタたちの支援射撃は効果こそ上がっていないが現状必要十分だ。これ以上は望んではいけない。
レベッカは少女たちの目前に壁を立てた。突如目の前に壁が現れたことに、一瞬だけ少女たちの連携が乱れた。その隙にレベッカは距離を詰める。それは瞬間移動のようなスピードだった。
「……!?」
レベッカは壁を消滅させる。少女たちとの間に射線が通る。それは互いに無防備になったということだ。少女たちは一斉にライフルの銃口をレベッカに向ける。瞬間、レベッカは目の前に柱を生じさせて落とす。少女たちの銃撃が柱を削り、それによってもうもうと白い土煙が立ち込める。銃撃をやり過ごすなり、レベッカは柱を消失させ、ガトリングガンを撃ち込んだ。一人が文字通りに肉片と化して吹き散らばって消える。
レベッカの戦闘服と眼鏡に弾けてきた血液が付着する。
レベッカは左手でレンズに付いた血痕を拭き取りながら、六連装砲身を唸らせる。また一人が木っ端微塵に消し飛んだ。
残った二人の少女は壁を立てて逃げようとする。しかし、レベッカは逃がさない。
「あなたたちは、もうログアウトはできないのよ」
論理空間から脱出しようとする二人の少女を、エディタのアサルトライフルによる掃射が叩き伏せた。
「………!」
のたうち回る少女たちに、レベッカは冷たい視線を向ける。眼鏡のレンズがギラリと輝いた。
「あなたたちは強い。だから、死んでもらうわ」
レベッカは平坦な声で告げた。感情の全てを押し殺した声音だった。少女二人は青白い顔で無表情にレベッカを見上げる。少女たちの顔には感情はない。それはレベッカのそれとは違い、最初から空っぽであるかのようだった。少女たちはブロックノイズに覆われ始める。
「ログアウトできないと言ったわ」
レベッカのガトリングの砲身がまた回転を始める。
「論理の地平面に、墜ちて」
そして戦いは終わる――。