しばらくの沈黙の末、レベッカは絞り出すような口調で言った。
「イズー。私にはあなたの決意をどうしたら覆すことができるのか、全然わからない。けれどね、もう、あなただけに背負わせるのは嫌なのよ」
「きみは今までのことを思い悩む必要はないんだよ。あれはわたしが――」
「いいえ」
レベッカは強く首を振る。
「もう、その話はやめましょう、イズー。あれは、あれらは、私の罪でもある。もちろん、あなたの罪でもある。でも、だからといって半分ずつにはならないわ」
「……そうだね」
イザベラは口をへの字に曲げつつも同意した。
「そんな、さ。そんな、わたしたちの迷いとか躊躇いとか。そんなネガティヴなものが撚り集められたこの十年。事はこうして此処に至ってしまったというわけさ」
もう、十年にもなるのか。イザベラはそれまでの月日を思い、懐かしさのようなものを覚えた。
しかし、わたしはその十年で何をしてきた?
イザベラは自問する。アーシュオンの人々を殺戮し、愛した人を守ることもできず、絶望して自らに火を放った。思い出も何もかも焼いてしまった。そしてこうして名と顔を変えておめおめと生き延びている。死の世界を垣間見たというのに、自分を含めて誰一人変わらなかった。変えられなかった。
つまりわたしは、この十年間何もしてこなかった――。
イザベラはゆっくりと息を吐いた。
「わたしたちは決めなくちゃならないんだ。わたしは近い将来に決めるだろう。その時わたしは、たとえきみがノーと言ったとしても、同意することはない。きみはきっとノーと言うだろうけど」
「ちょっと待って、イズー」
鋭く割り込んだレベッカに、イザベラは少し勢いを殺される。
「あなたが何をしようが、私は――イエスと言う。私はあなたの行為を肯定するわ。賛同はしないにしても」
「ベッキー……?」
思わぬ言葉に、イザベラは明らかに動揺した。その様子を見て、レベッカは寂しそうな微笑を見せる。
「初めてかもね。こういうお話の時に、私が本心を口にするのは」
三人は再び沈黙する。指先を動かすのさえ躊躇されてしまうほどの重たい空気が部屋全体を覆う。部屋の明るさがガクンと下がったかのような錯覚さえあった。
「ベッキー、きみがたとえばイエスと言うのなら、あの子たちのことは」
「ここに来て迷わせるつもり?」
「いや、それは――」
「あなたの言った通り、もう世代は変わるのよ。そしてあの子たちはもう、十分に強いわ。この国の守護を担えるほどに、十分に強い。エディタには貧乏くじを引かせる形になってしまうのは申し訳なく思うけど」
レベッカは腰を浮かせてウィスキーのボトルを取り、マリアとイザベラのグラスにそれぞれ注いだ。レベッカのグラスは空だったが、別に何を飲みたいとも思わなかった。レベッカは自分の空虚なグラスを眺め、息を吐く。
「私たちは問題を提起するのよ、イズー。それだけ。解決するのは私たちじゃない。あの子たちなの。そして――」
「そして?」
イザベラとマリアが同時に尋ねた。
レベッカはややしばらく口を閉ざしていたが、やがて渋々と言った様子で答えた。
「国家よ」
「国家、かぁ」
イザベラは肩を竦めた。マリアも「国家ですか」と首を振る。イザベラはウィスキーを一口喉に流し込んでから頷いた。
「確かにベッキーの言うことは正しいと思う。望みは薄いけど、でも、だからこそ、わたしはやるべきことをしなければならないって改めて確信した」
「そう、ね……」
レベッカは嘆息と共に同意した。
「私たちはもうカードを二枚も持っている。切り札とも呼べる、カード」
「あの二人のD級のことかい」
「そうよ」
レベッカは眼鏡を外してテーブルの上に置いた。前に垂れてきた髪を後ろに追いやり、目を細めてイザベラを見る。
「あの子たちが私たちの意志を継ぐ。そう信じたい」
「それは願望かい?」
「いいえ、希望よ」
レベッカは詭弁よねと呟きながら、背もたれに身体を深く預けた。
「私には勇気なんてない。イズー、あなたのような行動力もない。でもね、あなたを肯定するという決断をすることはできる。たとえあなたが何を考え、何を決め、どんな行動をしようと。とんでもないことをしでかしたとしても、私はあなたを肯定する」
「それは心強いよ、ベッキー」
わたしの迷いが一つ消えるから。
イザベラは目を閉じる。そしてゆっくりと深呼吸を繰り返してから、グラスを持ったまま沈思しているマリアを見た。
「マリア、きみは?」
「私は」
マリアは暗黒の瞳でイザベラを見る。新月の夜空のような瞳に、イザベラは思わず惹き込まれた。
「私は次世代の歌姫たちを守ります。今、そうと決めました」
「きみならそう言うだろうと思っていた。そして、そうあって欲しいとも思っていた」
イザベラは口角を上げて、グラスを持って立ち上がった。
「乾杯だ。過度な期待をされている次世代のディーヴァたちに。アルマ・アントネスクと、マリオン・シン・ブラックに」
イザベラはそう言ってグラスを一息で空にした。そうしてもなお、顔色の一つも変えないイザベラである。マリアも同じようにしたが、こちらもさながら水でも飲んでいるかのように、平静な様子だった。
「酔えないのは不便ね」
レベッカは天井を見上げながら言った。イザベラは笑う。
「きみほど酔ってしまうのも不便だけどね」
「うまくいかないものね」
レベッカは首を振った。眼鏡を外したままの目が、鋭くイザベラを捉えている。そしてその目はほのかに赤くなっていた。涙を堪えているのが、イザベラにはわかっていた。イザベラはソファに戻って足を組む。
「酔っ払ったら多少の狼藉は許されるよ、ベッキー」
「押し倒してもいいってこと?」
「うん」
「やめとく」
レベッカは苦笑する。その弾みで涙が溢れた。
「酔った後のことは覚えていないもの。そんなのはイヤ」
「妬けますね」
珍しくマリアが不満を口にした。
「私はレベッカ姉様の心までは奪えなかった」
「あなたがそう望んでいないからよ」
レベッカは素早く切り返す。マリアはおどけたように肩を竦めてみせた。
「望めば、落ちてくださいますか?」
「それはわからない」
レベッカは正直に答えた。マリアは「ですよね」と首を振る。
「私にも、私の本心がわかりません」
マリアは静かに言う。
「でも」
レベッカを直視するマリアの暗黒の瞳が潤んでいる。
「姉様方がいない世界には、私は……」
「マリア……」
レベッカはもたれかかってきたマリアを受け止めながらイザベラを見た。
「一番貧乏くじを引かされるのは、きみ、か」
イザベラは沈鬱な声でそう言った。