24-1-1:運命の出撃

歌姫は背明の海に

 二〇九八年十一月末――。

 アーシュオンは驚くべき作戦を展開した。アーシュオン本土を縦断するように、巨大なトンネルを造ったのだ。そのトンネル「ムリアスの道」は、艦隊が悠々通過出来るほどの巨大なものだった。北部への陽動攻撃に目をくらまされていたヤーグベルテ首脳部は、突如南部のユーメラ近傍に出現したアーシュオンの大艦隊に完全に虚を突かれた。哨戒艦隊は一瞬で撃砕され、救援に飛んだノトス飛行隊は会敵することなく引き返した。

 参謀本部は戦力が回復しつつあった第五艦隊と第七艦隊を派遣しようと動き始めたのだが、アーシュオンのそのトンネル作戦がどこまで進行しているのか把握できなかったがために断念した。虎の子の第七艦隊を動かしてしまえば、ヤーグベルテの戦力分布は完全に露呈してしまう。切り札を軽々に切るわけにもいかなかった。

 しかし、都合良くも、イザベラ・ネーミア提督の率いる第一艦隊は、当該海域の近傍にて訓練航海を始めたところであり、迎撃には極めて都合の良い場所にいた。必然、白羽の矢はこの第一艦隊に突き立つことになる。

『……ということです』

 マリアの声が、コア連結室の闇の中にいるイザベラに届く。セイレネス経由の通信である。

「マリア、きみのシナリオ通りって感じか?」
『私は……知っていましたから』

 そう、か。

 イザベラは息を吐く。

 マリアは、マリア・カワセであると同時に、アーシュオンの死の商人、アーマイア・ローゼンストックなのだ。

「きみが何を知っていたにせよ、わたしの行動が変わることはないさ。わたしの信念が揺らがない限り、わたしはわたしであり続ける」
『姉様……』
「ヴァラスキャルゔ、セイレネス。ゴーストナイト、そして、きみ。不思議なことだらけだ。わたしの周りは。それこそ不自然なくらいにね。でも、今のわたしが恐れるようなものは何もない。何の不思議があったとしても驚くつもりもない。わたしは迷わない。わたしは、進み続ける」

 その言葉の群れに、マリアは沈黙する。赫奕かくえきたる音素に彩られたその宣言文は、まさにイザベラの反逆の狼煙のろしであった。

 マリアの気配を感じながら、イザベラはセイレーンEMイーエム-AZエイズィの前方をはしる軽巡洋艦たちに視線を送った。

「クララ、テレサ。ご苦労だった。ありがとう」
『僕は僕の決断をしたまでです、提督』
『私もです、提督。提督に引きずられたわけではありません』
「自分の意志で、ということか」

 イザベラは苦笑する。少女たちはこの四年ですっかりと成長していたのだ。無論、彼女らの言葉を額面通りに受け止められるほど、イザベラは素直ではなかった。しかし、今はそれを探る時でもない――イザベラは首を振る。

 何にしても、この二人は――そしてC級歌姫クワイアたちもまた――自分と共に来るという決断をしたのだ。その罪過はわたしにあるのだと、イザベラは強く思う。

 イザベラはセイレネスを経由して、並走する制海掃討駆逐艦バスターデストロイヤー・パトロクロスへのアクセスを開始した。程なくしてパトロクロスは足を止めた。動力炉ジェネレータがダウンしたのだ。予め細工してあったとはいえ、拍子抜けするほどに簡単にシステムを落とせたことに、イザベラは驚いた。あのブルクハルトが張り巡らしていたはずの防壁が穴だらけだったのだ。あの天才技術者がこんなお粗末な論理防壁を展開するはずがない。現に旗艦セイレーンEMイーエム-AZエイズィのシステム防御は鉄壁であり、一次防御を抜かれたことすらない。

 それから二分もしないうちに、パトロクロスのアルマから通信が入った。

『ネーミア提督、アルマです。あ、あの、ほ、本艦のシステムが軒並みダウンしてしまいました!』
「落ち着け、アルマ。死ぬわけではない」

 イザベラはゆっくりと言った。

「レニー、アルマの艦のシステムが落ちた」
『えっ!? ハッキングですか!?』
「かもしれないが、不具合かもしれん。いずれにせよパトロクロスをこんな状態で戦場に連れて行くわけにはいかん。レニー、きみは護衛退避をしてくれ」
『承知致しました。クララ先輩とテレサ先輩がいらっしゃるから大丈夫ですね』
「ああ。問題ないさ。わたしも前に出る」
『了解です。ただちに護衛退避を開始します』

 レネは素早く状況を理解して、すぐに戦艦ヒュペルノルをアルマのパトロクロスに寄せた。

『提督、あたしの艦もシステムが復旧しさえすれば!』
「ならん。その艦はイリアス計画の最先いやさきにある大切なものだ。ましてきみはルーキーだ。まともに戦ったって戦場では何が起きるかわからない。わたしはこんなつまらないことに、そんなリスクは取らない」
『ですがっ!』
「ならん!」

 イザベラはアルマの訴えを無情に切り捨てる。

「レニー、港まで戻っ――」
『提督っ!』
「どうした、テレサ」
『北西百キロの所に第七艦隊が出現しました!』
「なんだと!?」

 百キロといえば極至近距離だ。そんな距離にいた第七艦隊に誰一人気が付けなかった。第七艦隊旗艦空母ヘスティアの隠蔽能力には凄まじいものがある。衛星写真すらリアルタイムに欺瞞ぎまんするのだ。だが、イザベラの検知能力をも出し抜くというのは、イザベラにとっては大いなる誤算だった。

 いったいどういうことなんだ!?

 取り乱すイザベラに、第七艦隊司令官リチャード・クロフォードから論理通信が入った。

『緊急事態を検知したのでね』
「問題ない。我々だけで対処可能だ、クロフォード提督」
『敵の強力な三個艦隊を前に、貴重な戦艦をタグボートに仕立てていて言えるセリフではないな』
「あの程度の艦隊、わたしが出ればどうにでもなるだろう」
『かもしれんが、それは承服できんな。可能な限りの大戦力でことに当たるのが、被害を最小化するセオリーだ。今すぐレネ・グリーグ大尉には戦線に戻ってもらえ。パトロクロスは第七艦隊が引き受ける』

 クロフォードの有無を言わせぬ口調に、イザベラは爪を噛む。

『どうした、ネーミア提督。何か不都合でもあるのか?』

 追い打ちをかけてくるクロフォード。イザベラは言葉に詰まる。クロフォードの言っていることが圧倒的に理にかなっている。この申し出を拒否することのほうが不自然だった。

 クロフォードの声だけが淡々と響く。

『今回のこの作戦は妙だ』

 その言葉に、イザベラは息を飲む。

『まるで予定調和だ。誰かが仕組んだもののように見えてならんのだ』
「そうだろうか」
『敵は完全な奇襲を行える状況であるにもかかわらず、言ってしまえばたったの三個艦隊しか投入していない。弾道ミサイルの発射兆候もなければ、クラゲどもの姿もない。随所の基地を叩くこともせず、ただこの海域に現れた。そしてお前たち第一艦隊が都合よく、いた』

 クロフォードの口調からは感情を読み取れない。

『まるで第一艦隊と戦うべく現れたかのようだ』
「わかった」

 イザベラは首を振りながら言った。クロフォードという男の聡明さを、イザベラはなぜか計算の外に置いてしまっていた。しかし、ここまで看破されてしまっている以上、もはやクロフォードの言う通りにする他にない。

「パトロクロスはそちらに任せる。レニーは戦線に戻す」
『うむ、承知した』

 それと――クロフォードが付け足した。

『気をつけろよ、ネーミア提督』
「何を……?」
『わざわざ第一艦隊に喧嘩を売りに来る艦隊だ。新兵器を隠し持っているに違いないぞ』

 ああ、そうか。それもそうだ。

 イザベラは頷き、軽く首を回した。

「わかった、クロフォード提督。十分に気を付ける」

 白々しい――イザベラは自分自身に対して、鋭く舌打ちした。

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