後に「八都市空襲」と呼ばれることになるこの未曾有の被害を受けたのは、セプテントリオ、アザームヴァレー、レクタル、イェーセン、バルホルンベルテ、エルステート、アレミア、レピアのいずれも小さくはない都市たちである。言うまでもなく、セプテントリオの消滅は、さすがのヤーグベルテ国民をしても動揺を隠せなかった。
不幸中の幸いとしては、セプテントリオを本拠とするボレアス飛行隊の主たる戦力はほぼ無傷だったことくらいだ。もっとも、基地機能、資産がゼロになってしまったことで、ボレアス飛行隊が機能不全に陥ってしまったことは隠しようがなかった。これで現在稼働する四風飛行隊は、ゼピュロスおよびノトスになってしまったわけだが、ノトス飛行隊も先の新兵器迎撃戦で大敗北を喫しており、戦力は定数の半分にも満たなくなっていた。
そして何より国民に衝撃を与えたのは、この攻撃が防ぎようのないものであり、どこに住んでいようが被害を受ける可能性があるということだった。狙われたが最後――有識者たちによるその指摘を受け、国民のほとんど全てが慄然としたことだろう。そして八つの都市の破壊からすでに数時間が経過していたが、アーシュオンはそのことについて一切の声明を出さず、また、ヤーグベルテ政府との接触も図ろうとしなかった。これはつまり、交渉の余地はないというアーシュオン側の意思表示に他ならなかった。
カティはいつものメンバーとテーブルを囲み、それぞれの携帯端末と食堂備え付きのテレビの間で視線を何度も往復させていた。周囲には大勢の士官候補生たちがいたが、彼らもまた、同じように携帯端末やテレビを見ては、友人たちと絶望的な顔を見合わせていた。
「反則だ」
涙声を発したのはヴェーラだった。食堂は喧騒に包まれていたが、そのよく通る声はすぐ左に座っていたカティの耳にもハッキリと届いた。カティは無意識にその白金髪に手を伸ばし、撫でた。ヴェーラは両目から涙をポロポロとこぼしながら、椅子を鳴らしてカティに近づき、黙って腰に抱きついた。
「ヴェーラ……」
カティは呼びかけつつ、レベッカを見る。レベッカは眼鏡を外し、目を瞑っていた。唇が震えているのが見て取れた。ヨーンとエレナは重苦しい表情でテーブルの上に置かれたヨーンの携帯端末が垂れ流すニュースを睨んでいた。
ヴェーラが叫ぶ。
「あんなのって、ありなの? ねぇ、カティ。あんなの、ただの虐殺じゃない! 戦争ですらない、あんんなの、ただの虐殺だ!」
「是非の話じゃないわ、ヴェーラ」
震えを孕んだ静かな口調で、レベッカが言う。
「あれは現実。たくさん死んだ。いえ、違う。たくさん殺された。無差別に、意図的に」
「ベッキーはそれで納得できるっていうの!? 戦争だからしょうがないよとか、そんなこと言わないよね!?」
「納得ですって?」
レベッカは眼鏡をかけ直し、いつになく尖った視線でヴェーラを見た。
「できるわけない。納得なんて。でも、これは起きてしまったこと。一方的な殺戮がこうして起きてしまった。それはもう起きてしまったことなのよ」
「だから仕方ないとか言うの!?」
「死んだ人は蘇らない!」
レベッカが言い返す。
「想いを馳せるのは良いと思う。哀しくてそうして泣いてしまうのも良いと思う。でも、私たちは、幸いにして安全な場所にいる私たちがすべきことは、今すべきことは、起きてしまったことを認める認めないの議論じゃないわ。これからどうすべきかってことよ」
静謐なレベッカの声によって、ざわついていた食堂の空気が凪いだ。
「かわいそう、かなしい、つらい、くるしい。多くの人はそれでいいかもしれない。同情、憐憫、共感、共苦――どれも尊いものだと思う。けど。けどね、ヴェーラ。私たちはそこで止まっていちゃダメなのよ」
レベッカは声のトーンを務めて落とす。
「私たちだって同じ。アレと同じ。報復兵器なのよ、私たち」
「ベッキー……」
カティとヴェーラの声が重なる。ふたりとも胸の奥から絞り出すようにして、その名を呼んでいた。レベッカは二人をまっすぐに見据えながら、噛みしめるようにして言った。
「全て私たちのための伏線なのよ、ヴェーラ。わかるでしょう、あなたなら。今回のこの大空襲も、私たちが迎える未来のその日のための伏線なの」
「そんなことわかんないじゃん!」
「わかるわよ。あなたのその賢い頭ならとっくにわかってる。だから今、こんなに怒ってるんでしょう?」
「勝手にわたしの考えを決めつけるな! わたしはそんなに賢くなんてない!」
ヴェーラはイヤイヤをするように頭を振った。そんなヴェーラの頭にカティは掌を乗せた。レベッカは光のない瞳でヴェーラを見ていた。カティはその視線に薄ら寒いものを覚える。レベッカは一つ息を吐いて、よく通る声で言い放つ。
「ならハッキリ言ってあげるわ、ヴェーラ。私たちは、報復兵器なのよ」
「わたしたちの報復――復讐劇をよりドラマティックに見せるための仕掛け? そのためにこんなに何十万人も死ななきゃならなかったの!?」
「そのシナリオがすでにあったかどうかの問題じゃない。これから、確実にその路線でシナリオは書かれるのよ」
「くそったれ!」
ヴェーラは低い声で吐き捨てる。美少女の口から出たその暴言に、周囲の候補生たちもざわめいた。
「わたしたちなんて……!」
「だからこそ、私たちが必要なのよ、ヴェーラ」
「何百万も殺すために?」
「そうよ」
レベッカは平坦なトーンで即答する。
「セイレネス・システムは人を殺す兵器。私たちはそれを使うためにここにいる。でも、でもね、ヴェーラ。本当はそんなことなんかどうだっていい。私は、私には、あなたが必要なのよ」
「きみのバックアップとして? それともフェイルセイフとして?」
「意地悪なことを訊くな、ヴェーラ」
カティが仲裁に入る。ヴェーラは俯いて押し黙る。レベッカは視線をテーブルの上に落とし、口を引き結んでいる。エレナがレベッカの肩に触れ、ヨーンは困ったような表情をカティに向ける。カティはヨーンの視線を受けて一瞬天井を仰いだ。
「ヴェーラ、アタシにもね、どうだっていい。兵器とか報復とか必要性とかそんなのどうだっていい。お前は兵器じゃない。人間だろ。どんな背景があろうがなんだろうが、お前はさ、アタシにとって大事な友だち。大切な人なんだよ、ヴェーラ。代わりなんていない。お前の代わりになれる人間なんて、世界中のどこを探したって見つかりゃしないよ」
カティは少し早口になりながらも、そう告げた。そしてヴェーラの濡れた頬に触れる。ヴェーラの透き通るような空色の瞳が、カティの顔を映していた。カティは眉尻を下げて、ヴェーラの両頬を挟み込む。
「ヴェーラ。自棄になるのはいい。癇癪だって構わない。だけどな、それでお前を心から大切に思っている人間を傷付けようとするのなら、アタシはお前をぶん殴る。どんな事情があったってな」
「……顔は、やめてくれる?」
「目の周りに青痣を作ってやる」
カティはそう言って、少し躊躇してからヴェーラを抱きしめた。
「もしな、気持ちがどうしようもなくなるっていうなら、ベッキーを傷つけそうになるって思ったら、その時はアタシのところで泣き喚けばいいよ。アタシはお前くらいのやつに簡単に傷付けられたりはしないからさ」
「カティ……」
「はいはい、私の胸も使っていいわよ、ヴェーラ。ベッキーもね」
それまで黙っていたエレナが大袈裟に自分の胸を叩いた。ヨーンは携帯端末をポケットに仕舞いながら言う。
「僕の出番はなさそうだけど、ピザくらいならいつでも奢るからさ」
「ありがとう、エレナ、ヨーン」
ヴェーラは絞り出すようにしてそう言った。カティはヴェーラを一度強く抱きしめてから、解放する。
「ごめんね、ベッキー。わたし、恵まれすぎてるんだ」
「ヴェーラ……」
「だから、嬉しいし、悔しい。わたしがここでこうしてのうのうとしている間にも、多くの人が傷付いてる。多くの人が死んでいく。何も出来ないから、何かしたくても何ができるかわからないんだ、まだ。だから――」
「罪悪感なんて要らないよ」
ヨーンがヴェーラの言葉に割り込んだ。
「君が幸せで喜ぶ人はたくさんいる。だけど、君が不幸で喜ぶ人なんていたとしたってその何十分の一だ。だから君は、いま感じられる分の幸せを感じるべきだ。誰かが不幸だからって自分も不幸じゃなきゃいけない。誰かが泣いているからって笑ってはいけない。そんな考え、僕は嫌いだ。それ、誰が幸せになるんだい?」
「自己満足って言いたい?」
ヴェーラが恐る恐る尋ねる。ヨーンは「そうだよ」とあっさり肯定した。
「感情に理屈をつけるようになったら、それは欺瞞なんだ。不幸な人がいるから、悲しんでいる人がいるから、自分はどうこうするべきだ。理由付けもべき論も、感情からでてくるものじゃない。論理だ」
「でも、だったらどうしたらいいの、ヨーン。わたしは、こんな状況で笑ってなきゃならないの?」
「それが欺瞞だって言うんだよ。泣いたって怒ったっていい。もちろん笑いたいなら笑えばいい」
ヨーンの静かな口調に、ヴェーラの感情は段々と落ち着いていく。
「ヨーンの話はわたしにはとても難しいみたい。だけど、気持ちはわかった。わたしのこと、大事にしてくれてありがとう。わたし、そうだね、ちょっと感傷的になりすぎてた。理屈を積み上げすぎて制御ができなくなってた。絡まった糸みたいになってた」
「それでいいんじゃない?」
エレナはヨーンの脇を肘でつついてからそう言った。
「私たち、あなたの感情を見たいのよ。理屈で武装したあなたじゃなくて、裸のあなたを見たいの。でも、あなたには私、感謝してるよ。ね、カティ」
「あ、ああ。ヴェーラがそうしてくれたから、アタシたちはまだこうして落ち着いていられるんだ。……表面上は、ね」
「取り繕う余裕をくれたってこと」
エレナはそう言って目を細めた。ヴェーラは小さく頭を下げて、「あのね」と指を組み合わせる。
「セイレネス・システムは多分、そう、悪魔のシステムだと思う。わたしの知る限りの情報ではね。あの変形爆弾とか、クラゲ以上の、とんでもない兵器なの。だからね、もし、わたしが……そんな化け物を使って暴走するなんてことがあったら」
「ヴェーラ、それは」
「ううん、言わせて、ベッキー」
ヴェーラは静謐な声で言う。レベッカは黙らざるを得なかった。
「わたしが化け物になってしまう未来が来たら、あのね、カティ。あなたがわたしを殺すの。おねがい」
「ヴェーラ……?」
「……ごめんね、カティ」
ヴェーラの凪いだ声に、カティの胸の奥が冷えた。なにか感覚的に、極めて不吉な何かを感じたのだ。何を言おうとしても言葉が出ないカティを見て、ヴェーラは寂しげに微笑む。その微笑みに、レベッカもまた言葉を失う。慌てて天井を見上げ、眼鏡を外すのに乗じて、滲んだ涙を拭き取った。
その時、何人かの教官が食堂へ入ってきて、候補生たちに解散を告げた。明日の教練は休みになるとのことだった。
「さて、帰ろうか」
ヨーンは立ち上がりかけたが、先に立ち上がったエレナがヨーンの肩を上から押さえつけた。
「ん?」
「あのね、あんたは今からカティとデートしなさい」
「へ?」
カティとヨーンの声が見事にシンクロした。ヴェーラとレベッカは「わぁ」と声を上げて、手を繋いだ。その表情は先程までの悲壮なものではなく、好奇心に満ちていた。その表情を見て、エレナは内心「してやったり」と思ったが、口には出さなかった。
「外出禁止は出ていないもの、ここは。門限も今夜はないようなものだし、明日は休みだし。一晩中イチャついても大丈夫な日ってそうそうないじゃない?」
「イチャつく……」
カティは乾いた声でそう繰り返した。その白いはずの顔面が、今はごまかしようがないほどに紅潮している。
「ヴェーラ、ベッキー。あなたたちは私の部屋に遊びに来て。深夜の背徳的なピザパーティしましょ」
「わぁ!」
ヴェーラは密かに歓声を上げると、すぐにエレナと腕を組んだ。レベッカは反対の腕を取った。何故か勝ち誇った表情のエレナは、ヨーンとカティを見回して頷いた。
「そんじゃお二人さん。ごゆっくり! 避妊はするのよ」
「ばっ……」
顔を髪と同じくらいに赤く染めて、カティは言い返そうとした。が、言葉が続かなかった。そんなカティを見て、エレナは意地の悪い表情を見せてから「そんじゃね」と二人の歌姫を従えて立ち去ってしまった。
他の候補生たちも潮が引くようにいなくなり、食堂にはカティとヨーンだけが残される。カティはゆるゆると立ち上がって腕を組む。
「……こんなことがあったのにデート?」
「誘ったら来てくれる?」
ヨーンはカティと並んで歩きながら尋ねた。
「それとも不謹慎だからって帰る?」
「……意地悪だぞ、それ」
カティは首を振った。ヨーンは困ったような表情で微笑みながら、頭を掻いた。
「ハッキリ言うとさ。一般的なデートスポットなんて知らないんだ、僕は」
「一般的じゃないのは?」
「一つだけ知ってる」
「じゃぁ、それで」
カティはやたらと自己主張する心臓の音を煩わしく感じながら、早口でそう告げた。