それからというもの、レオンと私は、空いている時間はいつも一緒に過ごすようになっていた。私はどこにいても常にレオンを探していたし、レオンはいつでもすぐ傍にいてくれた。アルマには悪いと思う。けど、アルマはアルマで、やっぱり朝になると私のベッドに潜り込んできていたし、チャンスがあるとみるやキスをせがんできたり――つまりあんまり変化はなかった。アルマは、レオンの前でも遠慮はしなかった。もっとも、レオンも全く遠慮なんてしなかったけど。レオンの左手は、だいたい私の腰に置かれていた。
「モテるのも大変ね」
レオンが部屋に来ていた時に、レニーが珍しくそんな事を言っていた。ここのところ、アーシュオンからの攻撃は嘘のようになくなっていて、レニーも通常の訓練とちょっとした――っていう分量でもないけど――軍の手伝いに専念できるようになっていた。実はレニーは朝に弱いということも最近知った。ということは、この数ヶ月は相当無理をしていたのだろう。それを全く悟らせなかったレニーは、それだけで称賛されるべきだと思った。
「レオナにマリーを取られた」
アルマはぶすっとしながらカフェオレを飲んでいる。そのジト目の先にあるのは、私の隣に座るレオンの涼しい顔だ。私はアルマとレオン、そしてレニーに視線を送り、誰も助けてくれないのを知って肩を落とす。
「私のほうが口説き上手だっただけさ」
レオンはそう言って笑う。レオンはちゃっかり自分用のマグカップを部屋に持ち込んで、優雅にコーヒーなんて飲んでいる。レオンのマグカップは、私やアルマのものとデザインは同じだが、白かった。
「レオナに口説かれたら、大抵の子はコロッといっちゃうんじゃない?」
レニーが柔和な微笑を見せる。レニーから見てもレオンは魅力的に見えるのか。レオンはフッと思い出したように言う。
「しのぶれど、色に出でにけりわが恋は、か」
「いやいや、しのんでないし」
アルマが速攻で突っ込んでいる。
「これは誠意だよ、アルマ。私なりの誠意」
「誠意っつったって、マリー取られたし」
唇を尖らせる三色頭。レオンは右手をひらひらっと振った。
「取ってないって。私は一生懸命マリーを口説いて、マリーがそれに応えてくれただけ。だろ、マリー」
「う、うん」
「ねぇねぇ、マリー。これは純粋な興味なんだけど」
レニーが少し身を乗り出してくる。
「マリーにとって、レオナのどこが決め手だったの?」
「ううっ、レニーまで訊くの」
正直困ってしまう。どこか、とか、ないのだ。私はレオンの目に見える所全部が好きで。見えない所も多分全部好きで。
困っている私の肩に、レオンの腕が回されてくる。
「好きなものは好き。それでいいんじゃないかなぁ」
レオンはそう言ってちょっとだけ笑った。そして自分の携帯端末をちらっと見て、「さて、そろそろ時間だ」と立ち上がる。私たちもそれに倣った。向かう先は士官学校大講堂だ。全学年の全員が入ることのできる巨大な空間だ。
大講堂は寮からは十分もあれば余裕で着ける場所にある。私たちは未だ桜も咲かぬ三月の空気の中、少し凍えながら歩いた。士官学校と寮は違う建物なのだ――隣だけど。
「ところで何の発表だろう」
私が訊くと、三人は揃って肩を竦めた。レニーは少し目を泳がせていた気もするが、レニーが言わないということは何か考えがあるのだろうと思って、気付かなかったフリをした。ちなみに私たちの前後にも同期の子や先輩たちがぞろぞろ歩いているのだが、レオンはやっぱり目立った。長身にして美形なのだ。レオンは同期はもちろん、先輩からも人気がある。そんなレオンの気持ちを独占できていると思うと、私はちょっとだけ優越感を覚えたりもする。
「相変わらずラブラブだね」
同期の子たちが「うわ、ここだけ春だ!」とか「あちちっ」とか、まぁそんなわざとらしい声を出して、私たちを茶化していく。それにももう慣れっこだ。レオンは「まぁね」なんて余裕の笑顔で応えたりもしている。というか、本当に私と同じ年なんだろうか、この人。ちんちくりんな私とは何もかも違っている。
「いいなぁ、あたしも彼女が欲しい!」
アルマがそう言ってレニーの腕を掴む。レニーはそんなアルマの頭を「よしよし」と撫でたりしている――どうやら二人は恋人にはなれないようだ。
そして講堂に入ると、アルマとレニーは無情にも引き剥がされた。学年が違うから席が違うのだ。ちなみに私とレオンはここでも席は隣だ。アルマとレオンに挟まれる形となる――いつもの並び順だった。
全員揃ったのを確認して、司会の教官が「重大な発表」をした。私たちは顔を見合わせる。その発表とは、「空席となった第一艦隊司令官に新たなるディーヴァが着任する」というものだった。
「こんなタイミングでディーヴァ……?」
アルマが眉根を寄せている。ヴェーラが死去してからまだ三ヶ月。そこに来て、D級歌姫が都合よく現れた……?
アルマが私に顔を向ける。
「……都合良すぎないか?」
「うん」
私とレオンは同時に頷く。D級歌姫だとすれば、史上三人目ということになる。それがこのタイミングというのは、どう考えても不自然だった。
「ヴェーラの……は誤報だったとか?」
「まさか」
私の言葉はさっくりと両サイドから否定される。正面のスクリーンが点灯する。そこにふわりと文字が浮き上がる。
「第一艦隊、新司令官、イザベラ・ネーミア少将――?」
私はそれを読み上げて思わずレオンを見た。
「少将で艦隊司令官?」
「普通は中将だね」
レオンは姿勢を正したまま、顔だけ私に向ける。私はその意味を察して前を向いた。ステージに人影が現れた。
長い栗色の髪。長身。そして、顔の上半分は濃い色のついたバイザーで隠されている――まるで仮面のようだった。見えているのは赤い唇だけだ。彼女はマントを翻して演壇に立つ。
『わたしはイザベラ』
ヴェーラじゃない――私は大きな失望を覚える。ヴェーラとは似ても似つかない声だった。しかもヴェーラのメゾソプラノの音域でもない。その最下部を悠々と突き抜ける、圧倒的なアルト、いわばレオンの音域だった。
『わたしはイザベラ・ネーミアである』
強烈な圧力だった。まるで演壇から突風が吹き付けたかのように、私はよろめいた。アルマとレオンが両方から支えてくれて、なんとか踏みとどまる。
『前第一艦隊司令官、ヴェーラ・グリエール中将の後任として、本日付けで第一艦隊司令官に着任した。わたしはD級歌姫である。第二艦隊司令官、レベッカ・アーメリング中将とともに、このヤーグベルテの国防を引き受ける。諸君らのうち、半数はわたしの指揮下に入ることとなる。覚悟せよ。わたしは甘くない』
それは鋼鉄の剣のような言葉だった。その音素たちが、私たちを容赦なく丁寧に突き刺していく。
『わたしには諸君の考えがすべて見える。例外なく、そのすべてをわたしは見ている。不信感、疑念、嫌悪――ありとあらゆる否定的なものも感じている』
そう言って私たちをぐるりと見回した。
『良い、それは良い。わたしは諸君らに死ねと命ずる立場。諸君らのその目で、その耳で、その心で、心置きなく見極めるがいい』
兜で隠されていたから、私はイザベラの目を見ることはできなかった。だけど、間違いなく目があった。そう確信する。
『戦艦・セイレーンEM-AZもまた、わたしと共に在る。わたしは、味方の犠牲を躊躇しない。これより永きに渡りこの国を守るために、私は諸君に、躊躇いなく死ねと命ずるだろう』
その言葉に、講堂がざわめいた。
『国のために命を捧げろなどとは言わない。そのような戯れ言には吐き気がする。わたしはディーヴァ登場以前の、無策ゆえの無残な敗戦の歴史を繰り返すつもりはない。わたしは過去に学ばぬ世界などをして、到底良しとはできない! たとえ軍が、あるいは政治が! 彼らがわたしに何と言おうと! わたしは愚かしい過去を繰り返すことはしない。されど!』
皆が息を飲んだのが分かる。
『諸君の命はわたしが握る。死にたくないのであれば、今すぐにここを去れ。レベッカ・アーメリング提督が先の戦いで示した、戦争の真の姿を受け容れられぬと言うのならば、今すぐ! 今すぐに! ここを去れ!』
その言葉の力はあまりにも強烈で。横面を張り倒されたんじゃないかというくらいに強烈で。
『我々歌姫は、国防の要である。D級歌姫は単独で戦場を支配することができる。周知の通りにな。そして、諸君の子どもの頃から、たった二人のD級歌姫によってこの国は守られてきた!
しかし、わたしは! それを! よしとしない! これより先は、S級、V級、C級。それぞれに役割を全うしてもらわなければならない。安全な傘の下にはもはやいられぬ。何故なら、諸君は歌姫だからである!
これからの戦いでは、諸君の中に少なくない損害が出るだろう。
もはや時代は変わったのだ! 否、本来あるべき形に戻ったのだ! 繰り返すが、死ぬ者も多く出るだろう。諸君や、諸君の後に続く者たちの幾十幾百が海に没することになろう!
だがわたしはそれをして、国家国民の礎だ――などと、欺瞞めいた事を言うつもりはない! わたしは諸君に、国家ごときのために死ねなどとは言わない! 諸君は、わたしのために、死ぬのだ!』
唖然とする他にない。多分、レオンもアルマも、私と同じ表情をしているだろう。確認はできないけど。それにしたって――。
イザベラは、声のボリュームを一段上げた。
『自らの死を覚悟せよ! 友との死別を覚悟せよ! 死を前提に生きろ! 誰にも彼にも例外はない。我々は、誰よりも死に近いのだ! その自覚を持て! 死にたくなければ戦え! 死物狂いで戦え! 敵を見極め、迷いなく殺せ!』
イザベラの深すぎる闇を見た気がする。彼女の言葉には、光の欠片すら抜け出せない、強烈な重力があった。私たちはそれに吸い寄せられる――落ちていく。
『――わたしからは、以上だ。何か質問はあるか』
質問なんてできる空気じゃない。イザベラはまた私の方に顔を向けた。やっぱり、見られている。向こうからこっち側なんてほとんど見えないはずなのに、イザベラは明らかに私やアルマを意識していた。
イザベラは少し口角を上げた。そして登場した時と同様に悠然と、マントを翻して演壇から降り、視界から消えていった。