殺戮だった。文字通りの大虐殺だった。セイレーンEM-AZを守る艦艇は、その尽くが粉砕された。エディタが率いるV級歌姫たちは――もちろんレオンも――本当に容赦がなかった。
「もういい!」
私は叫ぶ。イザベラについた二人のV級歌姫の巡洋艦が――沈む。一瞬とて苦しませてはならない――エディタはそう叫んだ。胸が張り裂けそうな絶叫だった。エディタは同期のクララとテレサをその手で殺した。
『レオナより、レスコ中佐。敵性勢力の壊滅を確認――』
『……全て、沈めろ』
『そこまでしなくても! もう、戦闘能力がある艦はありません!』
『沈めろと言っている!』
『イヤです!』
レオンの叫び。そうだ。私もイヤだ。レオンの重巡ケフェウスが、エディタの重巡アルデバランの前に出る。あわや衝突するくらいのギリギリの距離だ。私は息を吐くのも躊躇った。
『私たちの両手は、もうすでに救いようもないくらいに真っ赤じゃないですか、レスコ中佐! なのに、なぜ!』
『マリオンとアルマに対する、全ての脅威を取り除く。それが私たちの仕事だ』
『もう誰も戦えない! もはや誰もマリーたちの脅威にはなりえません!』
『推測で物を語るな、レオナ!』
エディタの一喝。私の中心が、どんどん冷えていく。
「やめましょう。レスコ中佐も、レオンも、もういい」
『マリー……?』
レオンの掠れた声が聞こえてくる。
「ヴェーラ……もう、いいでしょう?」
『……そうだね』
ヴェーラの囁き声が、夜明けの静寂を染めていく。
『哀しみは、もう、十分だろうか』
「もう、十分! もう、要らない!」
そう叫ぶ私に寄り添う気配は、アルマのものだ。ヴェーラはゆっくりと息を吐いたようだ。
『そう、か。うん、そうだね』
セイレーンEM-AZが払暁の輝きを受けて、刃のようにギラリと輝いた。巨大な戦艦がオーロラの輝きを、波紋のように放った。
『各艦、および旗艦。総員退艦!』
終わった……と、私は胸を撫で下ろす。
「レスコ中佐――」
『エディタより、全艦へ告ぐ。今から下す指示は、全て私の独断だ。参謀部からの正規の命令ではない!』
その強い口調に、私は緊張する。エディタは全ての感情を殺していた。深すぎる傷に、痛みに、耐えているのだろうか。
『敵性勢力は戦闘を放棄したとみなし、我々はただちに敵艦乗員の救助を行う。命令上は殲滅とあるが、私は……これ以上の流血を良しとしない。これは指示であり、命令に非ず。私に続くも続かぬも、各艦責任者の意志に任せる。私に続く者は、ただちにイザベラ艦隊の生存者の捕縛を開始せよ。一人でも多く、捕らえよ』
「レスコ中佐……」
『マリー、アルマ、これはお前たちのためじゃない。あくまで、私の独断専行だ。いや、専恣になるかもしれない。それに――』
『ありがとう、エディタ』
礼を言ったのはヴェーラだった。退艦するんじゃ……!?
『残念ながら、マリー、アルマ。きみたちを相手にするくらいなら、わたし一人で十分なんだ。さぁ、エディタ、みんなを連れてさっさと離れてくれないか』
『提督……私たちが残れば、提督は戦いをやめてくださいますか』
『やめないよ、エディタ。そんな事をしたら、きみときみの部下たちは、文字通りに犬死にするだろう。……だから、一刻も早く去ってくれ』
それは威圧だった。その冷たい圧力に、私もアルマもすっかり怯んでしまっていた。
『……わかりました。提督は、アルマとマリオンとの対話をお望みなのですね』
『理解が早くて助かるよ』
沈みつつあった駆逐艦の乗員を救出するなり、エディタの重巡アルデバランが冷たい波を蹴立てて旋回する。レオンの重巡ケフェウスもその後に続く。C級歌姫たちの小型艦もそれに続いて戦場を後にする。私とアルマは、超巨大戦艦・セイレーンEM-AZの前に取り残される。
それはヴェーラが望んだこと。だから、私たちは逃げなかった。ただ、みんなが舞台から離れるのを、三人でじっと待った。
「ヴェーラ……あなたはどうして歌うのをやめたんですか」
『やめたんじゃない。誰も、聴かなくなっただけさ』
「そんなことは……! だって、セルフィッシュ・スタンドだって……!」
『売れたねぇ、あれは。本当によく売れたよ。わたしの中でも傑作だからね、そうだねぇ、それは嬉しかったよ。でもね、それだけだった。血に染まりきったこの手。断末魔に彩られたこの身体。心が裂けてしまうほどの叫び。わたしがあの歌に乗せて届けたかったのは、この苦痛だった。けど、ね』
届いてる。聞こえている。私たちには――!
『はは、そう。きみたちには届くだろうと思っていた! あの日、君たちがまだ幼かったあの日のライヴ――あの時にすぐにわかった。だって、きみたちはD級歌姫なんだから』
「わ、私たちはS級です」
『違うね。マリアだって知っている。ベッキーだって知っていた。きみたちはS級なんかじゃぁないってことをね』
ならなぜ、私たちをS級だなんて……?
――でもこのペースでチューニングが続いたら、あたしたちが三年になる頃にはセイレーンEM-AZを超えるとんでもないものができちゃう。
突然、三年前のアルマの言葉を思い出した。
「最初から……!?」
『あたしはそうじゃないかって思っていました、ヴェーラ』
『さすがだね、アルマ。うん、チューニング設定を見ればわかるとは思ったけどね、政治の都合できみたちにはS級歌姫であることを貫いてもらったんだ』
「D級がいない状況でこの戦いを迎えるため……?」
『正解! だって、そうじゃなかったら、誰も危機感を覚えちゃくれないだろ?』
あっけらかんとヴェーラは言う。つまり、私とアルマが士官学校に入った時に、今日この日をこうして迎えることが決定事項になった――というわけだ。
その私の心の声を聞き取って、ヴェーラは「そうさ」と言う。
『そういうことだよ、マリオン。隠し続けるのも大変だったなぁ』
「ヴェーラ、もう、何もかも十分じゃないですか」
『わたしはね、願っていたんだ』
『願う……?』
『そう、アルマ。願いだよ』
ヴェーラはそっと語りかける。戦艦の主砲を、私たちに向けながら。
『笑える話かもしれないけど、わたしはね、本気で万人の幸福を、戦争のない世界を願ったんだ。この永遠のような冬の果てには、必ず常春が来ると思っていた。冬来たりなば、春遠からじ――西風に寄せてそう思いながら、わたしは、いや、わたしたちは耐えた。耐え続けた。ペル・アスペラ・アド・アストラ――艱難の果ての希望を求めて、ただ耐えた。わたしはね、ひとりひとり、みんなを愛した。みんなを信じた。だけど、結局は、こうして悪を為さざるを得なくなった』
悪なんかじゃ――とは、言えなかった。私にはそれだけの力がなかった。
『わたしは、そう、イザベラはね、ヴェーラとは何一つ違わないんだ。ただ、美しい顔で、彼らの望む歌を囀るのをやめただけ。彼らにとって耳あたりの良い、都合の良い言葉を連ねるのをやめただけ。優しく聞こえるだけの言葉を棄て、そして、ありとあらゆる情けを棄てた。見てみるといい。振り返るといい。わたしはただ、イザベラの仮面を被っただけだったのに、彼らはヴェーラ・グリエールの死を悼み、わたしの登壇に恐怖した。違うかい?』
「それはあなたが……そうしたからです」
『そう、その通り。わたしがそうした。わたしと、ベッキーと、マリアで、この舞台を作ったからだ。永遠に終わらない輪舞の舞台をね。わたしは内心願っていた。みんなと賭けをしていた』
ヴェーラの声は、まるで友人と何かの企みをしているような、少しばかりの緊張感と、少しばかりの自信で密やかに彩られていた。
『彼らがわたしたちの企みに気付いて、そして止めてきたら――全てをなかったことにしようって。わたしはイザベラのまま消えて、世界は何事もなく続いていく――そうしようって。だけど、誰もわたしたちを止めようとはしなかった』
「私たちではダメなんですか、ヴェーラ・グリエール!」
『あたしは、今からでもあなたを止めたい!』
私とアルマの声は、ヴェーラの溜息でかき消されてしまう。
『きみたちがあと十年早く生まれてきてくれていればなぁ』
「今から取り返すから! だから……」
私の言葉を笑うヴェーラ。
『わたしはもう、戻れない。帰る場所もない。そしてそれは、きみたちにもそんな場所は作れない。マリアにしても然り。それに、わたしはそんな生半可な覚悟で、ベッキーを……殺したわけじゃない』
「だとしても! 私はあなたを殺したくない!」
私たちがD級だというなら、ヴェーラには勝ち目はない。私たちの制海掃討駆逐艦は戦艦すらをも超える性能を持っている。
「私は、大好きなあなたと戦いたくなんてない。ヴェーラ・グリエール。私は――」
『それ以上何を言っても無駄なんだ、マリー。今、彼らはきみたちを見ている。きみたちがわたしに勝てるかどうか、息を潜めて見ている。自らの上に落ちかかりつつある、わたしの手にするこの剣に、彼らはようやく気がついた。だから、きみたちに縋って祈っている。まったく、わたしとベッキーが味わってきた十数年はさ、いったいぜんたい何だったんだろうね』
その憤然たる言葉に、私は何をも言えなくなる。
『これは希望や願望にすぎないかもしれない。でも、今回のこのわたしの反乱で、彼らは知っただろう。理解しただろう。わたしたち歌姫もまた、その本質はただの人間に過ぎないんだってことを。そして一部の智慧ある者は、ようやく自分たちが何も理解してこようとしてこなかったことに気が付いただろう。不都合な現実から――もはや無意識の内に――目を背けていたという現実に!』
「でも、気付く人はいるはずです。それは確かに何百人、何千人かもしれない。でも――!」
『遅すぎたんだ』
冷然たる声音だった。
『彼らは自分たちを観客だと信じていた。遅すぎたんだ、自分たちもまた演者だと気付くのが。そしてわたしたちもまた、遅すぎた。次の世代にこの苦しみを遺してはいけない――そう信じていたのに、わたしたちはきみたちと出会ってしまった。あの時、わたしたちはきみたちによる未来に少なからずの希望を見出して、迷ってしまった。だから、こんなに遅くなってしまった。
きみたちには本当に……すまないと思っている。わたしをどんなに恨んでも憎んでもいい。きみたちには、わたしを責める権利がある。だって、わたしは……きみたちに、こんなに酷く惨めな時代しか遺してあげられない、から』
戦艦から凄まじい音の波が押し寄せてくる。ヴェーラの歌だった。ただの音の津波が過ぎ去った後にやってきたのは、あの歌だった。ヴェーラ・グリエールの優しい声で歌われるあの歌――セルフィッシュ・スタンド。
言葉に詰まる私の手を、アルマが握った――気がした。アルマの声がふわりと響く。
『あなたの理想も、言いたいことも、したかったことも、わかります。あたしはわかってるんだよって、言います。でも、あなたが言葉を棄てて、剣を抜いたことを、あたしは認めることはできません。だって、剣の力では、誰もがただただ怖がって、言うことを聞くだけだから……! それじゃ、何も良くならない! 違いますか!』
『では、アルマ。きみは、なぜ泣くんだい?』
ヴェーラの声。その後ろでは歌が静かに啼いていた。ヴェーラの気配が私たちに触れた。胸が痛くなる。
『理解しているからだろう? きみの言葉がただの幻想の中のものに過ぎないということをね。そうだ、そうなんだよ、言葉なんかじゃね、平和というものは実現できないんだ。それはね、残念ながらこの世界がすでに証明してしまっているんだ。言葉では、戦争は終わらない。どんなに深い愛をもってしても、人は理解しあえないんだ。なぜなら、そこにはまた、それぞれの愛があるから』
巨大な一枚岩のような言葉を前に、私たちはただ手をつなぐことしかできない。ヴェーラの、そして戦艦の存在が極めて巨大で、強く、圧倒的に感じられる。
『犠牲が必要だった。いついかなる時代にも、ほんの一時の平和を得るために、平和というやつは、いつだって犠牲を必要とした。誰かが犠牲になるか、誰かを犠牲にするか……という具合にね。いいかい、この世の平和なんていう戯言はね、そんな風にしてようやく実現されてきたんだ。
考えてみて。
世界中の人々は今もなお、憎しみや差別、あるいは利権、時には政治、そんなものに突き動かされて殺し合っている。今だけじゃない、過去も、未来も。世界が本当の意味で平和になったなんてことがあったと思う? 誰かにあらぬ罪を着せることなく、誰にも理不尽な哀しみを背負わせることもなく、別離の涙を流させることもなく、苦しみを共にし、喜びを共にする――そんな時代があったなんて、思えるかい?』
「でも、そんな、そんなのっ……!」
私の口は戯言しか吐き出せない。私たちの空間――セイレネスで作られたこの不思議な感触は、ただひたすらに渺漠な沈黙を垂れ流す。
その濡れた砂のような静寂を打ち払ったのはアルマだった。
『だからって、あなたみたいに力を振るっていたんじゃ、あたしたちの歌は、いつまでたっても、ただの暴力装置じゃないか!』
「う、歌は……!」
私はやっとの思いで声を出した。
「祈りのためにあると信じたいんです。戦争のためじゃない。戦争を抑止するためのものでもない。ただの、歌だと思いたい。傷ついた人を癒やし、怖気づいた人を勇気づけ、思いや祈りを多くの人に届けるための手段だって、信じたい」
『きれいごと』
ヴェーラはゆっくりとそう言った。たったのそれだけで、私の勇気は粉砕されてしまった。
『わたしたちはね、圧倒的にクリーンで、しかも依存性という政治的にはとっても都合の良い付加価値まで備えた戦略兵器だよ。アーシュオンは生首歌姫の量産に乗り出したし、その技術は数ヶ月とかそんな程度のスピードで他国に渡るだろう。
ヤーグベルテが君たちの首を切り落とし、あのゲテモノにしないとも限らない。そのあたりにいる女の子の首を切り落とし、捨て駒として配備する日が絶対に来ないと思っているだなんて、わたしは言わせない。
戦争が、決してなくなるものではないのだとわたしは知ってしまった。歌姫計画があろうがなかろうが、わたしたちの輪舞曲は終わらない。むしろこれから、伴奏はより激しくなるだろう。
だから!
考えろ!
その切っ先を誰に向けるのか。その歌声で何を歌うのか。きみたちは兵器なのか、はたまた人なのか。このままで良いのか、それとも、良いとは思わないのか』
『諦めない』
アルマが無感情に言った。
『諦めない、絶対』
「アルマ……」
『あたしたちは、諦めない。決して、諦めない。言葉は棄てない。あたしたちはD級歌姫。あなたたちにできなかったことを、あたしたちは実現する』
『あははははははは!』
ヴェーラが笑う。
『明日、そしてその明日、さらに続く明日へと、時はゆらりと日々を歩み、ついには最期の一言に辿り着いた、というわけか』
「違います」
私が何か言っていた。ヴェーラが興味深げな声を上げる。
『ほう?』
私は呼吸を整える。そう、これは、マクベスだ。私はそのフレーズを思い出し、そして否定する。
「彼らがたとえ愚かな人たちであったとしても、私は、守りたい。私たちは彼らの死の道を照らしたいわけじゃないんです、ヴェーラ」
『そうだね。だからそれをするのは、わたしの役目だ』
静かな声が、青い空に消えた。
その時、上空を漂っていた私たちは、見てしまった。
アキレウスとパトロクロスの艦首PPCが、セイレーンEM-AZを撃ち貫いていた。その景色を。
――なんで、こんなことに?
ぶつんと音を立てて、意識が、落ちた。