二〇九八年十二月二十二日――第二艦隊撤退より一週間後。
マリオンとアルマは航空機によって統合首都へと帰還させられ、査問会を受けていた。本来、非公開であるはずの査問会の様子が、なぜかいろいろなネットのチャネルを経由してヤーグベルテ全土に中継されてしまっていた。
「ふむ」
セイレーンEM-AZの艦橋にて、イザベラはすっかりリラックスした様子でメインモニタを眺めていた。腕と脚を組み、傍らにはコーヒーがあった。
モニタの中にはご丁寧にライトアップされたマリオンとアルマが立っていた。その周囲を幾重にも将校たちが取り巻いているのだが、誰もが影絵となっていて判然としない。イザベラやレベッカが当事者として参加してきた頃の景色と、それは何も違わなかった。
影絵の中で誰かが言った。
『それでどうかね。君たちで反乱軍の殲滅はできるのかね』
愚問。
イザベラは口角を上げる。
同時に答えたのはマリオンだった。
『わかりません』
毅然とした声、そして表情だった。どこか頼りなかったあの子が、こうまで変わってしまったのかと思うと、イザベラは少しだけ良心の呵責を覚えてしまう。
『殲滅できてくれないと困るわけだが?』
『どなたが、ですか?』
マリオンの棘のある言葉に、イザベラは手を叩いた。痛快だった。影絵たちがざわついている。セイレーンEM-AZの艦橋要員たちの中には口笛を吹いている者もいる。
『シン・ブラック上級中尉、口をつつしみたまえ』
口をつつしめ、か。イザベラは「ばかめ」と呟いて鋭く目を細めた。この放送は全土に流れている。しかし彼らはまだそれを知らない。彼らのレベルの低さが、今、白日の下に晒される。しかし誰あろう、彼らがこの国の国防と、あるいは報復戦略を企画立案しているのだ。笑ってしまう。
マリアめ、実に策士だな。あのおこぼれ大統領を唆して、この盗撮劇を作り上げたのだろう。
『君は歌姫である以前に軍人なのだぞ、上級中尉。作戦には徹頭徹尾従う義務がある』
それは正しい。正論だ。だが、それは大人の正論であって、この十八歳の少女たちに通じるものではない。何一つ響いたりはしないだろう。そもそも「忠誠を誓う」ことと「盲従する」ことは根本からして意味が違うのに、この場の影絵たちはそれを都合よく混同している。それに比べて、マリオンとアルマはとても純粋だ。
『君たちは先の海戦で二十四名もの歌姫を戦死させた。戦列復帰の叶わない者も四名いる。こんな被害は前代未聞だ!』
『当然でしょう』
アルマが言い返した。
『今まで、イザベラ・ネーミアほどの強敵と相まみえたことがないのですから』
『そして、私たちはあの方ほどの実戦経験もない』
マリオンが次ぐ。
『しかし、国家のため、国民のため。あなた方は私たちに、そしてネーミア提督やアーメリング提督たちに、そう嘯いて戦地に向かわせた。歌姫たちがすり減っていくのも構わず、C級歌姫ならばいくらでも補充はきくぞと言わんばかりに。戦場とステージを往復する日々の中、誰が倒れても私たちは立ち止まることを許されなかった!』
『黙りたまえ、シン・ブラック上級中尉。発言の許可はしていない』
『私たちを止めますか』
『軍法会議にかけるぞ』
その興奮した声での恫喝に、マリオンは十八歳らしからぬ冷めた表情を見せた。
『ご自由に』
ご自由に、か! それはいい!
イザベラはパンと手を打って足を組み替えた。艦橋要員たちの何人かは拍手さえしていた。
『イザベラ・ネーミア提督も、レベッカ・アーメリング提督も、全力であなたたちを守りました。国家も国民も、少しの毀損も許すまいと戦い続けました。しかし、あなたたちはあの方たちに何をしましたか。都合よく使うだけ使い、ひたすら戦地に送り込み、幾人もの歌姫たちを葬送することを強要してきた。私はそう思います。ISMTによる八都市空襲の時から、私はずっとヴェーラとレベッカを見続けてきました。憧れでした。大好きでした。ヴェーラは自ら死を選び、レベッカもまた。この現実に、私は胸が張り裂けそうです。イザベラ・ネーミアを討たねばならないという事実にも!』
マリオンの言葉は決して早くなく、しかし淀むこともなかった。
『国家国民のためになど、私は死にません。私はネーミア提督のためにこの命を賭けます』
『貴様も反乱するということか!』
たちまちどよめく影絵たち。しかし、マリオンは冷静に首を振った。
『なぜそうなるのです』
その言葉は槍の穂先のように鋭い。
『私たちを信頼していないということですか。この状況にあっても』
マリオンがここまで意志の強い子だとは、正直思っていなかった。イザベラは今すぐにでも抱き締めてやりたいという衝動に駆られる。
同時に、もしかしたら最初からマリオンたちを巻き込んでおけば、あるいは違った未来があったかもしれないとも。
『アルマ・アントネスク上級中尉、君は何か言うことはあるかね』
『あたしの意見もシン・ブラックと同じです』
三色の髪を揺らして、アルマが応える。鋼鉄のような声音だった。アルマはなおも言う。
『大量破壊兵器の運用すらさせられたお二人が、その後どれほど苦しまれたか。その結果何が起きたか。この中のどなたか一人でもそれに関して心を痛めたりしましたか。愚かな行いだったと反省したりはしましたか』
『報復はヤーグベルテの悲願。必要な行為だったと我々は判断している』
『であるにしても』
アルマは言う。
『あなたたちの不義理が、ヴェーラの悲劇を生んでしまった。そしてそれは、間違いなくこのイザベラ・ネーミアの反乱という結果に結びついている。しかし、誰も責任を取ろうとせず、その趨勢は素人みたいなあたしたちに委ねられている。あなたたちは誰もがこの安全な場所で喚き立てているだけですが』
『私たちの艦に乗艦されたい方はおられますか』
マリオンが鋭く問う。影絵たちはたちまち沈黙した。
その時、査問会の巨大な会議室の扉が開いた。
カメラがその人影を捉える。
「大統領……」
エドヴァルド・マサリク大統領が、会場に悠然と入ってきた。
大統領は被告人として立っている二人の歌姫の元に歩み寄ると、その手をゆっくりと握った。
『ご苦労だった』
思わぬ人物の登場に、マリオンもアルマも毒気を抜かれた顔になっていた。
エンターティナーとしては半人前だな、まだ。
イザベラは苦笑する。
そんな感想を尻目に、大統領はマリオンとアルマを従えるような形で、堂々たる様で演説を始めた。
『私たちは今、誰のお陰でこんなところに立っていられるのか。諸君らは考え直すときが来ている。無論、我々は武力による恫喝には、断固として屈するわけにはいかない。しかし、それを実現するために必要なものは何か。考えなくてもわかるだろう。すなわち、この二人、そして歌姫たちの存在である。歌姫たちの艦隊なしには、我々はもはやこのテロリズムを食い止めることはできないのだ。誰が事態をここまで悪化させたのか。なぜこうなったのか。それを反省するのは事が全て終わってからになろう。そして今、我々が為すべきことは一つである』
大統領はマリオンたちに向き直り、微笑みかける。俳優然としたこの男の所作はいちいち様になる――イザベラは幾度か対談したことがあるから、そのカリスマ性については認めていた。
『我々にできるのは命じることではない。憧憬の人を殺せと叫ぶことではない。ただ願うことだ。国家存亡の危機を前にして、そのことに今、何を躊躇する必要があるだろうか』
この文言はマリアのものだろうなとイザベラは察する。大統領は朗々たるバリトンで演説を続ける。
『我々はこの十数年、歌姫たちに国家の安全を保障させてきた。この子たちが言ったように、そして我々の良心がしかと感じているように、使い捨てのような状況で、だ。しかしそれでも、歌姫たちは常に我々に応えてくれた。我々を守ってくれたのだ。違うかね』
これはもしかしたら世論も動くのでは。イザベラは一瞬期待した。しかし――。
『ヴェーラ・グリエールも、レベッカ・アーメリングも、そしてレネ・グリーグもこの子たちも! 最初から兵器としての人生しかなかったと言っても良い』
「えっ……!?」
思わず声が出た。出自の不明な自分たちはともかく、レネやマリオンたちも? どういうことだ? イザベラは無意識に唇を噛んだ。モニタの中では大統領が青い瞳を輝かせながら、演説を続けていた。
『我々は歌姫に依存してきたのだ。それなのに何だ。何年も共に過ごしてきた友人。あるいは憧れの人。いわば仲間殺しを強要させられ、あまつさえそれが国民の娯楽に供せられ。断末魔すら娯楽の一助とされる。しかしそうとわかっていながらも、この子たちはイザベラ・ネーミアに立ち向かおうと言うのだ。そう言ってくれているのだ。それなのに、諸君らのその物言いは、その尊大な態度は、いったいいかなるものによって生み出されているのか。私は理解に苦しむ!』
その言葉を受け容れるのは難しくはなかった。艦橋要員たちも歓声を上げながらそれを聞いていた。痛快ではあった。
しかし、イザベラの思考は空転していた。
最初から兵器――その言葉が、すなわちマリアからのメッセージが、イザベラの心に突き刺さったからだ。