二〇八八年六月十二日、現地時間・午前五時――。
四隻の駆逐艦を随伴しているのは、二隻の超巨大戦艦——その全長は航空母艦の二倍にも達する。白銀に輝く流線型の艦体は、未だこの世に現れたことのないフォルムだった。補給と戦艦のシステムチェックを済ませた駆逐艦たちは、一隻、また一隻と戦艦の元を離れ、未だ暗い西の海へとそっと消えていく。曙光に向かって進む二隻の戦艦は、豪勢な沈黙を纏いながらその時を待っていた。
『レベッカよりヴェーラ。敵艦隊視認。真東に二百二十キロ。総数三個、航空母艦六隻。推定航空戦力百五十以上。状況進行、シーケンス、1・1・2、バトコンレベル最大』
『さすがだね、ベッキー。今、わたしも視認した。敵、全個体への識別子付与を開始。最優先攻撃目標、航空母艦六隻。ベッキーには手筈通りにAA戦闘を任せる。衛星隠蔽解除、敵艦隊にこちらの位置を伝えよう』
『レベッカ了解。敵艦隊にこちらの座標を打電。ヴェーラ、敵通信回線奪える? 生中継よ?』
『わたしたちのデビュー戦、だからね。せいぜい華々しく飾ろうじゃないか……』
二隻の戦艦が海原を断ち割りながら東へと進む。
ほどなくしてヴェーラが「よし」と声を発する。
『ヴェーラよりレベッカ。通信回線を奪った。ついでに翻訳も噛ませて本国に送信しよう』
『敵航空戦力の発艦を確認したわ、警戒』
『AA戦闘はきみの仕事だろ、ベッキー』
『戦艦、傷つけたらいろんな人から怒られるわよ』
『……ちぇっ、それもそうだね。こういう時は、まずは敵航空戦力を殲滅。然る後に艦隊を撃滅。でいいんだっけ、ベッキー』
『もう、まったく! それを今になって確認する? そうよ、それでいいわ』
程なくして、東の空から百を超える攻撃機が飛来してきた。航空戦力が主力の時代に、いくら超々弩級とはいえ戦艦が二隻だけというのは――ヴェーラたち以外の目には――自殺行為以外のなにものにも見えなかった。
『何だ、本当にこの二隻だけか?』
敵の飛行士の通信が聞こえてくる。
『こいつ、戦艦……なのか?』
『何にしてもヤーグベルテの新兵器様だ。全機、油断するな』
その言葉を聞いて、ヴェーラが言った。
『艦長、全FCSこっちに』
『アイ・マム。全武装、トリガー、ユー・ハヴ』
『サンキュー、アイ・ハヴ! ベッキー、準備はいい?』
『もちろん。始めましょう、ヴェーラ』
『オーケー……! 幕を上げよう……!』
ヴェーラは一呼吸置いた。その間にも攻撃機たちは急速に接近してきている。対艦ミサイルも放たれていた。数秒の猶予もない。
その時――。
『セイレネス発動!』
ヴェーラとレベッカが同時にそう叫んだ。水晶のような音が、白く毛羽立った海面に波紋を作る。
同時に、白銀の艦の装甲が次々と展開し、中からオーロラグリーンの輝きが火焔のように吹き出した。それは瞬く間に戦艦を中心にして半球状に広がり、それに触れた対艦ミサイルを音もなく消滅させた。
『なんだ、ミサイルが消えたぞ!?』
『何か攻撃を受けたのか?』
『いや、変な光があるだけ――』
先陣を切って雷撃態勢に入っていた三機だったが、その三機はその次の瞬間には粉砕されていた。戦艦の火器は未だ一つも火を吹いていないのにも関わらずだ。
『全機、散開! 全方向から仕掛けろ!』
『しかし隊長、解析を待ってからのほうが……』
『新兵器を見たからと言って、はいそうですかと逃げ帰れるものか! 俺の亜音速魚雷で片付ける!』
『それは司令部の使用許可がまだ……!』
『そんなことを言っていられる場合か! お前の隊は艦橋を潰せ!』
その会話を聞いて、ヴェーラは溜息混じりに提案する。
『……ベッキー、手筈なんてまるっと無視してさ、二人でダンスしようよ』
『勝手なことしたら怒られるわよ』
『どうせエディットも聞いてるんでしょ、わたしたちのこの会話。んで、まだ怒られてないんだから大丈夫、大丈夫。一緒に踊ろう!』
そんな会話の間にも、敵航空戦力からの熾烈な攻撃は続いている。しかし、戦艦には一発の機銃弾も届かない。全てがオーロラのような光に当たった瞬間にふわりと消えてしまうのだ。
『レベッカよりヴェーラ。AA戦闘・第二段階へ移行。主目的、全機撃墜』
『第二幕、敵航空戦力の掃滅、了解。逃げる奴らは?』
『例外なし』
『撃墜でいいんだよね』
『肯定』
航空戦力を粉砕しながら、二隻の戦艦は東へ東へと進んでいく。実際に、航空戦力は――それまでの戦場の花形だった彼らは――戦艦に対して全く歯が立たなかった。百六十を超える航空機はそのことごとくを戦闘不能にされて、深い海へと消えていった。
『運が良ければ、第七艦隊に助けてもらえる』
ヴェーラはそう呟いた。この舞台はもう終わった。次なる戦場はさらに東――。
敵艦隊は早くも逃走の態勢に入っていた。それはそうだ。虎の子の航空部隊が十五分と経たずに殲滅されてしまったのだから。だが、ヴェーラとレベッカには、彼らを逃がすつもりなどは毛頭ない。
『アーシュオンの艦隊に告ぐ。逃走は無意味だ。わたしたちの方が速い。正面からわたしたちにぶつかるというのならば、ある程度は取りこぼしも出るだろう! だけど、それでも逃げると言うのなら、わたしたちはきみたちを、ひとり残らず、殺す!』
ヴェーラの鋭い警告を受けても、アーシュオンの艦隊は動きを止めない。ひたすら東へと逃げていく。
『ちっ!』
ヴェーラの舌打ちが響く。
『こんな中途半端な戦果じゃ、戦争は止められない!』
『ヴェーラ、落ち着いて。今は落ち着いて。私たちは任務を遂行するだけ。落ち着いて』
『きみが落ち着けって連呼する時ってさ、きみ自身が落ち着いてない時だよね』
『……かもね』
数時間と経たずに、東の水平線上に敵の艦隊が見えてくる。彼我の距離は数十キロ。もはや目視照準ですら当てられる距離だった。
『アーシュオンのきみたちに、わたしはもう一度警告する。このまま逃げるって言い張るのなら……わたしたちは、きみたちを皆殺しにしなくちゃならないんだ。だから、どうか、お願いだよ。死物狂いでかかってきて!』
ヴェーラの声に、敵の艦隊は背中を向けたまま何も応えない。通信にもノイズが乗っていてよく聞き取れない。ヴェーラはまた舌打ちした。
『逃げられないんだよ! わたしたちからは! わたしたちの歌からは! 決して!』
『ヴェーラ、警告はもう十分したわ……』
レベッカの平坦な声がヴェーラの叫びを止める。
『今は彼らだけでも叩きましょう。彼らはアーシュオンの最精鋭。彼らが壊滅したら、それだけでしばらくは戦えないはずよ』
『……了解。そうだね。なら、そろそろ始めよう……殲滅戦をね』
『手筈通りに』
冷えきったレベッカの言葉を合図にでもしたかのように、敵の駆逐艦が数隻、反転して向かってくる。
『なんてことを! 時間稼ぎのつもりか!』
ヴェーラは苛立ちを隠さない。駆逐艦たちを捨て駒にして、空母だけでも逃がそうという算段なのは見え見えだった。だが、駆逐艦数隻程度では、ヴェーラたちの前では全くの無力だった。レベッカの戦艦が前に出る。
『モジュール・グングニル発動!』
その清麗たる一声。レベッカから放たれた美しい音の波と共に、オーロラグリーンの粒子が槍と化して、駆逐艦を次々と貫いた。抵抗の一つも許されずに、駆逐艦たちは轟沈させられていく。進路上にいた大破した駆逐艦は、戦艦の巨体によってすり潰された。それにも関わらず、戦艦は全くの無傷だった。これでもかとその白銀の威容を見せつけながら、戦艦はついに敵の航空母艦を直接照準で補足する。水平射でも当たる距離だ。
『ねぇ、ベッキー。こんなに近づく必要ってあるの?』
『ないけど、近づかないと一枚の絵に収まらないでしょ』
『戦争って、いつから娯楽になったんだっけ?』
『……今から、なるのよ』
レベッカは嘆息する。幾十年と負け続けてきたヤーグベルテという国家に反撃の狼煙が上がる時が、戦争のパラダイムシフトが発生する瞬間が、今まさに訪れる。この歴史的大事件を人々の記憶に焼き付けるために用意されたのが、この大艦隊を撃滅するという舞台演出だ。そしてそこで、完全なる圧倒性、すなわち無敵であることを証明することが必要だった。それは軍の権威のため、政府の支持率のため——つまり、そういうことだ。
『ベッキー……覚悟はできてる?』
『あなたこそ、今度こそ私の手を汚させる覚悟はできた?』
『言うねぇ、きみも』
ヴェーラは乾いた声で笑い、そして急に声の温度を下げた。
『シーケンス、8・8・8、突入確認。ヴェーラより参謀部、論理回線スタンバイ、同期でき次第、全システムログを転送する。これより、本艦セイレーンEM-AZおよびウラニアにて、状況を第三段階に移行させる。使用可能なありとあらゆる手段の選択許可を』
『参謀部第六課ハーディより、ヴェーラおよびレベッカ。ルフェーブル大佐より、全システム解放の許可は下りている。速やかに状況を遷移されたし』
『了解。これよりセイレネス・ロンドを開始する』
音が広がる。静かなはずの海原を、得体の知れない、しかし子守唄のように柔らかな音が、覆い尽くす。空海域を覆い尽くしていたオーロラグリーンの粒子が、一息に二隻の戦艦へと引き戻されていく。敵の艦隊はなおも逃げようとする。しかし戦艦たちは、信じ難いスピードで距離を詰めていく。ミサイルや砲撃が襲いかかってくるものの、二隻の戦艦は鎧袖一触と言わんばかりに打ち払い、消していく。
『セイレーンEM-AZ、セイレネス再起動! 安全装置解除! 全戦闘メソッド解放! メソッド初期化、成功確認! 万事上々、さぁ、剣を抜こう! 天使環、および、装甲翼展開!』
『ウラニア、セイレネス再起動! 制御装置全解放用意。全戦闘メソッド解放! メソッド発動準備完了。全システム異常なし。いきます! 天使環展開、装甲翼、開け!』
二隻の戦艦がめまぐるしく形を変えていく。装甲がさらに大きく開き、そこからキラキラと輝く蒸気が音を立てて溢れ出す。海面が燦然と色を変える。後部装甲が次々と分離し、複雑に結び合わされ、やがて海から突き上がる半円形の――天使環へと姿を変えた。その環から焔のように噴き出したオーロラグリーンの粒子によって、七枚の光の翼が生み出された。
『ベッキー、良い?』
『……覚悟は、できてる』
『わたしも一緒。心配ないよ』
ヴェーラの囁き声。レベッカの声には少し緊張がある。
そして戦艦は更に変形する。前部の装甲が音もなく幾つもに分離して広がった。展開した装甲が滑るように伸長していく。そのたびにあの光の粒子がふわりふわりと舞い踊る。やがて原型がなくなるほどに姿を変えた二隻の戦艦は、今や艦の半分にも渡る長さの三連装誘導砲身を敵艦隊に向けていた。今なお逃げるのをやめない敵艦隊を、戦艦たちはもう追わない。
『雷霆、充填完了。ベッキーは?』
『アダマスの鎌、準備……できてる』
そうか、なら、行くよ――ヴェーラは呟いた。
わかったわ――レベッカが応えた。
『わたしたちの歌で、一隻残らず沈むがいい!』
ヴェーラの声と共に、二隻の戦艦の艦首から強烈な光が放たれた。それはまっすぐに敵総旗艦である航空母艦に突き刺さり、そして、海域を覆い尽くすほどに峻烈に爆ぜた。光の暴風が海上を荒し回り、それに触れた艦船は尽く炎を上げて、輝く海の中にどす黒く沈んでいった。
百五十隻もの大艦隊は、数分と持たずに潰滅した。
――これが二人の歌姫の、兵器としての凄烈なデビューだった。
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