#01-02: 二年後――二〇九〇年八月

本文-静心

 ええと……これは、つまり?
 
 完全に、迷子になっちゃったってこと……なのかな?

 ゲートの開場を待ちわびる人々の喧騒ノイズの中で、私は一人途方に暮れている。

 未だ蒸し暑いコンサート会場前広場。見たことがないくらいに広いその空間に、見たことがないくらいの大勢の人がいる。そんな中に私という迷子が、ひょいと登場したというわけだ。

 一時間前の戦争犠牲者の追悼セレモニーの終わりまでは、施設の職員さんや同じ施設の子たちと一緒にいたのだ。だけど、少しぼんやりしているうちに彼らの姿はふわりと消えてしまった。それ自体はまぁ、ほら、よくあることなんだけど。

 問題は、私は「戦災孤児施設枠」でこのコンサートに招待されてるっていうこと。つまり、職員さんの持つ認証チケットがないと会場には入れないわけだ。そして職員さんは、いちいち迷子を探したりしない。私の目覚まし時計を賭けてもいい。

「兵隊さんがたくさんだなぁ」

 見回して呟いてみたが、兵隊さんだらけなのは当然だ。この国ヤーグベルテにたったの二人しかいない歌姫セイレーンが、今にいる。そして私は、その二人のコンサートを観るために、はるばるやって来たんだ。

 今までで一番楽しみにしてたのに――思うほど悔しさが増してくる。

 四歳の時に大空襲を受けて故郷の町を地図から消された私は、それからずっと施設にいる。もう六年目だけど、一刻も早く施設から出たいと毎日思っている。けれど、この国ヤーグベルテの法律で、あと六年くらいは出られないそうだ。やれやれだ。

 そんなふうに会場前の広場に座り込んで、下草をぶちぶちと千切っているうちに、開場のアナウンスが聞こえてきた。ここまで来ておきながら、歌姫セイレーンの顔を見ることもできないなんて。千切られた草がぬるい風に散らかされていく。

「よっ!」

 そんな私の隣に、見たことのない女の子が座った。私と同じように肩口まで伸びた髪は、ピンク……いや、ストロベリーブロンドとかいう色だ。デニム地のショートパンツから覗く素足は白くて長い。着ているパリっとした白いTシャツには、翼ある美女の線画がプリントされていた。

 前面にいるのはヴェーラ・グリエールだった。背中側にはレベッカ・アーメリングの顔がプリントされているに違いなかった。何度も何度も何度も何度も、ファンクラブ専用の通販サイトで見たTシャツだから間違いない。

 そしてこのヴェーラとレベッカこそ、今まさにこの会場の中にいる歌姫セイレーンだった。ヴェーラとレベッカは、最強の軍人にして、アイドルだ。それこそ全国民が恋い焦がれるほどの――もちろん私もその一人だ。

「あの、そっ、そのシャツってファンクラブの、だよね……?」

 私はその子のTシャツを凝視しながらそういていた。その子は「そうだよ!」と笑いながら答えてくれた。

「いいなぁ」

 職員さんにお願いしようとはしたけど、結局あきらめた。私のためにお金を使ってくれるとはひとつも思えなかったからだ。でも——。

「あははっ! みーんな会場に吸い込まれて行っちゃったねぇ!」

 私のモヤモヤなんてなんのその、その子は褐色の瞳でコンサート会場の入口を見ながら笑う。この状況でどうして笑っていられるのかが不思議だ。というか、この子はコンサートに行かないのだろうか?

「あたし、アルマっていうんだ。黒髪ちゃん、あんたは?」
「あ、えっと、私、マリオン」

 なしくずし的に個人情報を教えてしまう私。アルマはピンクの髪を揺らしながらニカッと笑った。

「マリオン……あー、うん。それなら、マリーって呼ぶよ!」
「う、うん」

 勢いに飲まれて頷いてしまう。アルマは間髪入れずに身を乗り出してくる。

「多分、あたしもマリーと同じ。戦災孤児支援活動云々なんちゃらキャンペーンとかいうのでさ! で、あんたも施設の職員とはぐれたんでしょ!」
「う、うん」
「わかるよ、マリーの気持ちわかるよぉ」

 アルマはそう言って、なぜか私に密着してきて肩を抱いてきた。思わず硬直する私だ。そもそも、スキンシップに慣れてない。誰かの体温をこんなにも感じたのなんて、いったいいつぶりだろう。

 アルマは会場の上空を飛んでいる警備ドローンを見ながら囁く。

「あたしさ、とかいうやつの空襲で、家族も友達もみーんな死んじゃってさ。レピア市っていう町だったらしいけど」
「え、わ、私も! そいつに町ごと……。四歳の時。アレミアっていう町だって――」
「あ! そうなんだ! じゃぁ、あたしたち、あの八都市空襲の被害者同士だ。それで、年も同じ。あたしも十歳!」

 アルマは私の肩をぽんぽんと叩く。見知らぬ私を相手にして、これっぽっちも警戒してない様子のアルマに、私はペースを乱されている。まるで親友と再会したかのような――そんな経験ないけど――そんな気持ちになっていた。

「うーん、やっぱ鉄板の迷子センターかな!」
「でも、職員さん来ないと思う……」

 逆に迷子センターにいるとわかったら、職員さんは絶対に助けになんて来ない。来るはずがない。

「まーまー、気持ちはわかるよ、マリー。でもさ! だからこそ、今はぶちぶち草刈りしてるだけじゃダメなんじゃない?」
「でも、それでダメだったら……」
「その方法じゃダメだってことがわかるだけじゃん!」

 ……そうかもしれない。その力強い思考回路を少し分けてほしいなと思った。

 ため息ひとつ。その時――。

「おっ? おおっ?」

 アルマが額に手を当てて声をあげて、ぴょんと立ち上がった。

「もしかしてあたしたち、ラッキーかもしれないよ、マリー」
「えっ?」
「見て。あそこにいる黒い服の女の人」
「あ、一人だけ服が違うね。兵隊さんじゃない、よね?」
「他の兵隊さんは海軍陸戦隊。あの黒い服の人は参謀部の人」
「さんぼーぶ?」
歌姫セイレーンのことは参謀部第六課が仕切ってるの。知らないの?」

 あ、そうか。言われて思い出した。でもあまり関心がないから、参謀部って何なのか……とか、よくわからない。

「しかもあの階級章! 大佐だ! これはやっぱラッキーかも!」

 興奮するアルマ。私は階級章を見ても階級なんてわからない。大佐というのがどのくらい偉いのかもよくわからない。

「あれ? でも参謀部第六課の大佐って、ルフェーブル大佐しかいないはずだけど、違う課なのかな?」
「ルフェーブル大佐って、よくニュースに出てくるって人?」
「あ、うん。だけど、あの人は違うよ、絶対」

 アルマはそう言いながら、さっさとその大佐さんという人のところへ向かってしまう。私は慌てて追いかける。

「あのぅ!」

 アルマの呼びかけに、その女性の大佐さんが気付く。私はアルマの隣に立って、アルマと大佐さんを見比べた。

「あらあら」

 大佐さんはセミロングの黒髪をなびかせて、目を細めた。笑ったような気がする。

「どうしたの? 小さな歌姫さんたち」
「あたしたち、戦災孤児支援活動キャンペーンに当選した施設から来たんですけど、職員たちとはぐれてしまって。あの、これ連絡先なんですけど、出てくれなくて」

 アルマはポケットから紙切れを出して、ハキハキと説明した。私も預かっていた走り書きを肩掛けカバンから取り出した。少し手が震えていたことに、自分でびっくりした。

 大佐さんはメモを確認して頷いた。

「この混雑具合じゃぁ着信には気付かれないわね、きっと」
「会場、やっぱり無理、ですよね?」

 私が訊くと、大佐さんは首を振った。

「とんでもない」

 え?

「あなたたちの席はちゃんとあるわよ」

 ええ?

「心配しないでいいわ。マリオン・シン・ブラック。それに、アルマ・アントネスク」
「へっ?」

 私たちは同時に声を出して、顔を見合わせた。

 私たちでさえ、今初めてお互いのフルネームを知った。

「ど、どうして私たちの名前を?」
「さぁ、どうしてでしょうね?」

 大佐さんはまた微笑んだ。アルマが首を傾げる。

って、どういうことですか?」
「そうね。そう。あなたたちの席は、いつだって最前列中央センターよ」
「えええ!?」

 私たちはまた同時に変な声を出してしまう。聞き間違えたかと思ったが、大佐さんはすぐに言葉を繋げる。

「あなたたちが嫌だと言っても、あなたたちは常に最前列中央センターにあるべきなのよ」
「え、でも、最高の席センターなんて、私には……」

 ――もったいない。そう言おうとしたが、それは大佐さんの微笑ではばまれた。

「いいえ。そここそ、場所なのよ」

 大佐さんは少し寂しそうに、そう言った。

 そういえば、私の大佐さんについての記憶は、ここで終わっている。

 ――顔も、声も、思い出せない。

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