私たちは参謀部第六課の保有する会議室に放置された。私たち、というのは、レオンと私のことだ。なぜこんなところに連れてこられたのか、今一つ釈然としないままに、私とレオンは隅の方にある椅子に並んで座っていた。
「やっぱり、あの戦闘のことかな」
「マリーを責める奴なんていないさ」
私の背中をさすってくれる手が心強い。
「マリーは頑張った。二隻ちゃんと沈めたじゃないか」
「私が頑張ったら何千人も死ぬんだ。私みたいな親のいない子が生まれたりもするんだ。そして、改造されたりしちゃうんだ……」
「マリー。世界中に神様はたくさんいるよね」
「う、うん?」
何の話だろう?
「どんな神様も、世界を平和にはできなかった。古き神様――核兵器。それにとって代わる神様。それが私たち。だけど、私たちは兵器なんだ。この戦いで私もはっきり理解した。歌姫は、兵器以上でも、兵器以下でもないことをね」
――私たちは大量破壊兵器です。誰が何と言おうと。全ての苦しみを引き受け、代わりに命を奪う。そういう兵器。
レベッカの言葉が頭の中で響く。レオンは私の頭を撫でながら言う。
「私たちがヤーグベルテで出来ることと言えば、徹底的に守り抜くことだけなんだって。改めて私はそう思ったよ。誰もが敵対することを諦めるまで、ひたすら守って守って守り抜くこと」
「そうすれば戦争は終わる?」
「わからない。終わっても敵はすぐ現れる。でも十年、二十年くらいは平和がくるかもしれない――政治方面の人が頑張ればね」
私は項垂れる。首に力が入らない。疲れていた。
「マリー、ちょっと目を閉じたら?」
「寝ちゃうよ……」
「寝てないんだろ、ほとんど」
「うん」
一週間、眠っては飛び起きる、その繰り返しだった。今ではもう、眠るのが怖い。
「誰か来たら起こすから、寝てたらいいよ」
「でも、レオンだって」
「お姫様が眠れてないのに、私がうっかり眠れるわけがないよね」
「そういうところ、ずるい」
私が眠れるようになるまで、レオンは寝ない――そう言っている。レオンは私の右手を緩く握ってくれている。染みわたる温かさだった。
「目を閉じるだけだからね……」
……不意に耐えきれなくなり、私は机に突っ伏した。
はたと気が付いて目を開けると、私と同じように机に頬をつけている人がいた。灰色の髪に深緑の瞳。すぐそこに眼鏡が置かれている――眼鏡!
私は飛び起きて立ち上がった。後ろでレオンが「あはは!」と声を上げて笑っている。私と同じような体勢をとっていたレベッカは、身体を起こすと眼鏡を掛けた。
レベッカは眼鏡をはずしても恐ろしく美人——って今はそんなことを言っていられる場面じゃなくて! 私はレオンをちらりと振り返るが、レオンは「いたずら成功!」みたいな表情をしていた。してやられたのか。
そんな私に、レベッカは「座って」とゆっくりした声で言った。レベッカの声に張りがない。疲労が滲んでいた。私は元の椅子に腰を下ろし、レベッカと向き合った。
「それでは、私は席を外します」
レオンは私の頭を軽く撫でて、颯爽と部屋を出て行った。これで会議室には私とレベッカの二人だ。
「ねぇ、マリー」
「は、はい」
「私に言いたいことがあるのではない?」
レベッカはまっすぐに私を見つめている。レンズが天井灯を柔らかく反射している。
「確かに、味方を見殺しにしたとか、私には荷が重い課題だったとか、いろいろ思いました。でも、それって言っても仕方ないじゃないですか」
「恨まないの?」
「私たち、戦争、してるんですよね」
「納得してないわね?」
「できませんよ」
私は首を振る。レベッカの前では、何を取り繕っても無駄なことは分かっている。レベッカはきっと、言葉すら必要としていないんだ。だから私は言葉ではっきり言わなきゃならないと思った。
「そう、言葉は必要よ、マリー」
レベッカは微笑む。
「言葉を棄てちゃだめなのよね。そう、だめなのよ。言葉を使わずに誰かと分かり合えたとしても、誰かに分からせることが出来たとしても、それはただの思い込みに過ぎないのよね」
「でも、言葉でもすれ違うことがあります」
「だからこそ、私たちは言葉で理解しないとならないの」
哀しげに眉尻を下げるレベッカだ。その口調は自分に言い聞かせているようで、そして今にも泣きそうな表情にも見える。
「マリー、今、つらい?」
「……はい。でも——」
「なんでつらいって言わないの? レオナには言った?」
「私だけがつらいわけじゃない……ですよね」
「それはね、欺瞞っていうの」
「欺瞞……ですか」
私はレベッカの胸あたりに視線を泳がせる。レベッカは不意に前のめりになり、私の両手を握る。
「不器用だから、私、そんなに上手に話せない。だけど、あなたは次の司令官。司令官になってしまったら、つらいだなんて言えなくなる。今はまだ、あなたは私に不満や不安をぶつける権利がある。あなたは、つらいんでしょう? なら、つらいって。そう言って。誰のことも考えなくていいの。去年、レニーは言っていたそうよ。あなたたちに気持ちを吐き出せて、すごく楽になったって」
「それはアルマが……」
「なら、あなたにはレオナがいる」
「じゃぁ、レオンは? レオンのつらさはどうしたらいいんです?」
「あなたが受け止めればいい」
レベッカは迷いなく言った。
「私とヴェーラがかつてそうしたように。今、私とイズーがそうしているように」
「でも」
「そう。私はヴェーラを支えきれなかった。私はヴェーラの心を守り切れなかった」
私は何も言えなくなる。レベッカは泣きそうな顔で私を見つめている。
「マリー」
「は、はい」
「あなたには、守りたいものがありますか?」
「はい」
「レオナ?」
「肯定です」
「ふふ……」
私の即答に、小さく笑うレベッカ。
「私もずーっとそうだった。ヴェーラを守りたくて、ただその一心で戦って、泣いて、笑って、苦しんでいた。そのつもりだった。だけど――」
レベッカの頬を涙が伝う。
「私はヴェーラの顔を見たい。あの美しい顔を、もう一度見たいの」
「しかし、火傷は……」
「そう。あの子は、全身を再建したけど、顔だけは触らせなかった。別人として生きる覚悟だったのかもしれないわ。でも、私はヴェーラとまた生きたい。歌姫としての役割から解放されて、何でもない普通の人として、二人で生きたいの――それが、夢」
レベッカは唇を噛んで、沈黙する。眼鏡越しにもその目が潤んでいるのが分かる。
「儚い夢、でしょう?」
「それは……」
やはり私には何も言えない。
ひりつくような沈黙が落ちかけるのとほぼ同時に、ドアがノックされた。入ってきたのはイザベラだった。
「ベッキー、話はできたかい?」
「あなたほど上手には喋れないわ」
レベッカは椅子を一つ引っ張ってきてそこにイザベラを座らせた。仮面の彼女は、悠然と腕と脚を組んだ。
「あの、イザベラ」
私は勇気を出して話しかける。
「私たちは、歌姫は、いつまで戦えば良いのでしょう」
「輪舞曲って知ってる?」
イザベラの問いに、私は記憶の中を必死に検索する。
「テーマを繰り返しながら、間に別の旋律を挟む楽曲の形式……?」
「正解。私たち歌姫は、歌姫計画の続く限り、この輪舞曲を奏で続け、歌い続け、舞い続けるのさ」
「それじゃぁ……あまりにも救いがないじゃないですか」
「あまりにも、ないね」
明確に断定するイザベラ。そこで携帯端末を取り出して、誰かを呼び出した。すぐにその人物は息を切らせて部屋に入ってくる。
「アルマ?」
「きみたち二人に聞いてほしい話だからね」
と、イザベラはアルマをまた別の椅子に座らせた。
「わたし――ヴェーラ・グリエールとしてのわたしも。結局のところ何一つ変えられなかった」
仮面越しには表情が見えない。
「自分の願いも祈りも、そのすべてが虚しい。ヴェーラはそう思ってしまった。自分の持つ圧倒的な力が、決して良い方向に使われないことにも気付いてしまった。ただのすごい兵器。無敵の兵器。言えば何でもやってくれる兵器。躊躇なく百万人を殺してくれる兵器。
軍も政府も、そして国民も。ヴェーラに求めたのは陶酔と殺戮の力だけだった。もちろん、ヴェーラはそれを何度も否定した。そんなはずはない。分かってくれる人も大勢いる。平和にも使える。戦争を終わらせられる。そう祈り。そう叫び。そう訴えた。だけど、それは叶わなかった」
「でも、レベッカがいたじゃないですか」
「カティも、エディットも、マリアもいたよ。ああ、そうだよ、いたんだ。いてくれたんだ」
私の言葉に、イザベラは首を振る。
「だけど、ヴェーラは欲張りだったんだね。もっともっと。もっと多くの人に言葉を届けたい。伝えたい。理解されたい。そう思ってしまっていたんだ。だから、すぐそばでヴェーラを支えてくれていた人たちを、あって当然のものだと思ってしまっていた。なんて傲慢だったんだって、今となっては思っていると思うよ」
胸の奥がチリチリする。これは、怒りかもしれない。イザベラの胸の奥にある怒り、そして痛み。それが私に伝わってきているのかもしれない。
「ヴェーラはね、初めて好きになった人すら、守れなかった。国家を揺るがす力を持っていながら、本当に守りたいと心から思った人の一人すら、守れなかった。何もできなかった。だから……。何のための力なんだ。何のための献身だったんだ。何のために虐殺者の汚名を甘んじて受けているのか。ヴェーラは……わからなくなった」
レベッカは下を向いていた。前髪に隠れて表情が全く見えない。イザベラは一つ息を吸う。
「わたしたちの存在はね、ヤーグベルテを軍事強国に仕立て上げる役割を果たした。私たち歌姫という存在は、崇め奉るために作られた分かり易い偶像。芥子の実で満たされた美しい人形なのさ。国家国民にとってみれば、私たちの歌はね、ただの兵器と麻薬に過ぎないんだ。
安寧と娯楽をよこせ!
……彼らはそれしか言わない。
ヴェーラもね、その事実に、その現実に、怒り、悲しみ、絶望した。殺戮の手段にしか過ぎない自分に気が付いてしまったから。自分が良かれと戦うほどに戦線は拡大し、守るためだけに使われていた力は、やがて報復攻撃の方向へと舵を切った。アーシュオンにICBMの雨を降らせるなんて馬鹿げたことに使われすらした。
殺さなければならない敵は、雪だるま式に増えていく。ヴェーラは何百もの歌を歌い、何百万と殺戮した。人々はその歌を勝利の歌、凱旋の歌と賛美した。しかし、ヴェーラの、一人の女の思いは……誰も聞かなかった。誰も理解しなかった。あまつさえ、自分にとって都合の悪い言葉には、堂々と耳を塞いだ」
そして――と、イザベラは続けた。
「この数年で発見されてしまった、価値ある断末魔。それによって人々はまた、わたしたちに別の役割を発見する」
イザベラは完全に凍てついていた。思わず震えが来るほどの冷たさを私は感じている。その仮面の奥の視線が見えていたら、私は本当に呼吸を止めざるを得なかっただろう。
「マリー、その役割って、なんだと思う?」
「継続的に供給される、断末魔……」
「正解」
イザベラは「なぁ、吐き気がするだろう?」と追い打ちを駆けてくる。私はアルマと顔を見合わせる。
「人々は求めている。強い陶酔を。最高の神経毒を。ありえない幸福感を。そして彼らはそれを得る手段を知ってしまった。だから、彼らは歌姫たちの輪舞曲を終わらせることはないだろう。彼らは希求するんだ。わたしたちの断末魔――最期の慟哭をね。人々に向ける呪怨の叫びをね」
「そんなことが赦されるはずがない」
私は思わず立ち上がる。が、アルマによって椅子に戻される。
「ヴェーラが死に、トリーネも死に、多くのC級歌姫たちも死に、にも関わらず、誰も戦争をやめようとは言わないんだ。これはね、最高に良くできた国策なんだ。圧倒的少数の犠牲で国防ができる。その少数の犠牲は断末魔を提供できて国民はより強い満足感を得られる。そしてわたしたちは絶対無敵。こんな美味しい無限ループをみすみす断ち切る政治屋がいると思うかい? わたしたちがしているのは、戦争のための戦争なんだ。戦争を続けるための戦争。そしてこれが――」
「歌姫計画の正体」
レベッカが続けた。私はアルマと顔を見合わせる。
「確か、その……カワセ大佐は」
「その親玉の一人だね」
あっけらかんとイザベラは言う。私はまたアルマを見、イザベラに向き直る。
「だとしたら、どうしてこんな!」
「マリアもまた、演者なんだ。彼女も自らの役割から抜け出せない。悶え苦しんでいるのは知っているんだ、わたしたちだってね」
「でも、だったら、カワセ大佐に」
「演者だからこそ、本番でのアドリブも効く」
肩を竦めるイザベラに、アルマが静かに問いかける。
「敵とは考えないのですか?」
「考えないねぇ」
「それは、なぜですか」
「あの子は、わたしたちのためなら迷いなく命を賭ける」
「それすら――」
「アルマ」
イザベラは諭すように言った。
「マリアは、絶対にきみたちの敵じゃない。それだけは言っておくよ」
有無を言わせぬ口調に、私たちは押し黙らざるを得ない。イザベラの口元がふと緩む。
「一つ、訊いてもいいかな」
「は、はい」
私は頷く。アルマもだ。
「きみたちは、ヴェーラ・グリエールを好きかい?」
「もちろんです」
私は即答していた。アルマも同時だったかもしれない。
「それはよかった」
イザベラは口角を上げる。
「ヴェーラもね、八年前だっけ。あのライヴの日。きみたちに出会えて救われたんだ。きみたちには申し訳ないけれどね」
「で、でも!」
「ん?」
「再会の約束が、果たせていません」
私が言う。再会の日を待っているよ――あの時ヴェーラはそう言った。
「あははは!」
イザベラは笑う。
「そうだった。きみたちには悪いことをしたね」
「でも今……」
「私はイザベラ・ネーミアだよ。でも、そうだね。きっと会える。そう遠くないうちに」
その言葉の意味を理解できたのは――。