それから私はコア連結室に移動して、セイレネスを発動した。みんなより一足先に意識を空高く飛ばす。
「見えた」
セイレーンEM-AZの白銀の巨体が、百五十キロほどのところに見えている。この距離は、とっくにイザベラの射程内だ。だけど、セイレネスが発動している様子はない。だけど、気配を感じる。イザベラの気配を。
それからすぐに、私の隣にレベッカの気配が上がってくる。姿は見えないが、わかるのだ。
「提督、なにか変な感じがします」
『感じます、私も。何でしょう、これは』
指数関数的に、不快感が膨れ上がってくる。ナイアーラトテップI型のものよりもっと強い。歪んで纏わり付いてくるなにか粘液質なもの――単純に言うととても気持ちの悪い物だ。
その気配は、アーシュオンの艦艇から感じられた。駆逐艦だろうか。それが……五隻もいる。
『凄まじい歪み。不協和音。なんなのかしら? 頭がおかしくなりそう』
レベッカが苦しそうに言ったその直後、私たちの前に別の意識が現れた。
『来たね、ベッキー、マリー』
『イ、イズー……!』
イザベラの気配の出現と同時に、聞こえていた金切り声のような不協和音が消えた。イザベラは「まったく」と呟いている。
『きみたちにこの悪趣味なゲテモノを見せるためだけに、今の今までアーシュオンの有象無象たちを生かしておいてやったんだよ』
「悪趣味なゲテモノ?」
『アーシュオンが人体改造でセイレネスを起動できるようにしているのは知っているね?』
「はい」
『これはね、その際たる例さ』
イザベラの意識の手に、私とレベッカは引っ張られた。逆らいようもない。そのまま、私たちが不気味だと感じた駆逐艦に引き込まれていく。そこから響く金切り声が私たちの意識を侵食していく。
「この部屋、コア連結室みたい……」
私は扉をすり抜け、暗黒の空間に辿り着く。そこには一つ、マネキンの頭があった。
「マネキン?」
『生きてるよ、それ』
「!?」
私の意識がそれの前に近付いた――押されたみたいな感じだ。
それは、頭髪も胴体もない、首から上の人間だった。目を見開き血走らせ、笑っている。何の感情もなく劇薬のような笑い声を垂れ流している。首の断面から伸びた無数のケーブルが、彼女を生き永らえさせているのだろう。頭に突き刺さった何本もの細い何かが、彼女を狂わせているのだろう。これはいったいどんなフィクションなんだよ――私は意識の中で舌打ちした。
きゃははははは!
……と、それは笑い続けている。肺も横隔膜もないのに、笑っていた。胃が抉れそうだ。吐きそうだ。
『この子たちはね、薬物で常に限界ギリギリのところまでトランスしているんだ。自分が誰で、ここがどこで、どうしてこんなことになっちゃったのか。この子たちは何一つ知らないし、もはや理解することもできない。もちろん、元に戻ることもね』
『こんな外道な……!』
レベッカの声の温度が明らかに高い。対するイザベラは極めて低い。
『アーシュオンはこいつを開発するために、何千何万っていう自国民を犠牲にした。そして確立してしまったんだ。こんな歌姫もどきを量産する技術をね』
「量産……!?」
『そう。五隻いるだろう? しかも沈んだって構わないと言わんばかりの、どうでもいい旧型駆逐艦に乗せてさ。でも、この子たちはよくできてる。マニュアル通りに整備すれば壊れることはないし、わたしのように反乱することもない。しかもメンタル的には極めて高い水準を維持できる。ほんの僅かな休息時間で、ほぼエンドレスで戦い続けられる』
その冷たい声は、イザベラの怒りの裏返しだと直感する。
『ヤーグベルテの首脳陣が知ったらどうするだろうね、この技術。C級をV級にバージョンアップできるんだよ、これ』
『冗談じゃないわ! そんなこと、誰も許さない!』
『あははははははははは!』
イザベラの哄笑。
『敵が次々V級を送り出してきても、外道だ畜生道だと言っていられるものかな? 自らの安全が脅かされるとして、隣人を生贄に差し出さない人がそこまで多いとは、わたしには思えないなぁ!』
「でも、こんなの、おかしい!」
私が吐き捨てる。私の目前で、生首の歌姫はひたすら笑っている。
『おかしくてもね、許さない国民は少数派さ。自らの身が危険に晒されるとわかれば特にね。人道性なんて、危機感の前には、いずれは無視されるようにできているんだ。マスメディアが言論の自由の下に振りかざす報道しない自由がある限り、人々の過半数くらいなら簡単にころっと意見を変えるのさ――自覚なき罪人、無垢なる咎人ってやつだね。そしてこと民主国家においてはね、多数派こそが、すなわち正義なんだ』
私もレベッカも口を挟めない。イザベラは急き立てられるように言葉を紡ぐ。
『アーシュオンの記録によれば、この子たちは戦災孤児。身寄りのない子でできてるんだ。マリー、きみやアルマと同じようにね』
ゾッとした。この一瞬で、私の心の奥底がドライアイスのように冷え切った。
『わたしは世間知らずにも、我が国こそが世界で一番愚かで残酷な国だと思っていたんだ。ついさっきまで。だけどね、アーシュオンはレベルが違ったよ』
「あっ、そうだ!」
――これを持ち込めば、今なら言い訳は立つ。
そう言おうとした。が、それはイザベラの笑い声で掻き消される。
『わたしはもう、戻れないんだ。だってさ、ほら。きみたちの中では、わたしがレニーを殺したことになっているんだよね?』
「えっ?」
殺したことになっている――?
『レニーを殺すはずがないだろう、わたしが』
イザベラは怒っている。
『レニーはアルマの護衛として退避させるつもりだった。なのに、なぜか第七艦隊がすぐそこに現れてしまったんだ。だから、レニーを逃がすことができなかった。口実が立たなかった。レニーを体よく逃がすことができなかった……!』
「ではなぜ……」
『映像は事前に周到に準備されていたんだろうね。あの映像はよくできていたけど、事実じゃない。だって、レニーはさ。わたしのところへ再合流した直後に、戦死してるんだから』
戦死……!?
『そう、このゲテモノどもの先制攻撃を食らってね。予想外の不意打ちで、わたしの力でも守りきれなかった。それだけは本当に……すまないと思う』
その瞬間、私たちの意識は第二艦隊の先頭に戻っていた。イザベラの気配は遠い。だけど、強烈な怒りは届いてきた。
白銀の戦艦から発されたオーロラグリーンの輝きが、暗黒の海をまだらに染めた。
――女神が、怒りを歌っていた。