あの後すぐに私たちはカワセ大佐と合流した。マサリク大統領は「改めて、頼む」と私たちと握手を交わして大統領府へと帰っていった。
「あの演説の台本はどうだったかしら?」
カワセ大佐はそう言いながら私たちにスポーツドリンクを買ってくれた。ちょうどよかった。本当に喉がからからで、身体も心もヘトヘトだったから。
「やはり大佐の……」
「そうよ、マリー。大統領、なかなかの演技派でしょう?」
「演技……ですか」
「イエス」
明確な肯定に、思わず溜息が漏れる。カワセ大佐は歩きながら言った。
「演技も必要なのよ、政治の世界ではね。わかりやすい言葉しか、国民は聞こうとしない。都合のいい言葉しか、理解しようとしない。単純な設定でなければ、想像することもできないのよ」
辛辣なその言葉に、私とアルマは無言になってしまう。
カワセ大佐はそのまま歩き続け、やがてなんとかという会議室の扉を開けた。
「マリー!」
「レオン!?」
そこで待っていたのはレオンだった。下船からすぐに査問会に連行されたから、レオンの顔を見るのは一週間以上ぶりということになる。
レオンは私に駆け寄るなり、思いっきり抱きしめてきた。痛くて、苦しかったけど、それ以上に嬉しかった。私も力いっぱい抱きしめ返す。
そして、ぽつんとしているアルマに思い至り、慌てて身体を離した。
「アルマ、ごめん……」
「あやまるなよなぁ、マリー」
アルマは不貞腐れたように言った。私の肩をレオンが叩き、アルマに向けて言った。
「アルマもおいで」
「へ?」
「ほら」
レオンが両手を広げていた。カワセ大佐は少し目を細めた。微笑んだのかもしれない。アルマは躊躇していたが、一瞬私を見て、そしてレオンの胸に飛び込んだ。レオンは躊躇いもなくアルマを抱きしめて、その三色頭を撫でた。
「さて、そろそろいいかしら?」
カワセ大佐は自分の携帯端末をデスクの上に置いた。そこに映し出されたのは、先程の私たちの様子だ。
「……え?」
思わず変な声が出た。私の隣にやって来たアルマも、目を丸くしていた。
「これが政治。情報部と保安部を出し抜くのには苦労したけど、結局は参謀部が勝った。そして、大統領を巻き込むことにも成功したわ」
「それで、この、映像は?」
アルマがカサカサの声で訊いた。カワセ大佐は無表情に応える。
「隠しカメラ。保安部の一人を味方にして、一部始終を撮らせていたのよ。そして、それをほぼリアルタイムにネットに流す。情報部や保安部の管理AIの動きよりも速く拡散されて、私たちは彼らの情報消去よりも速く情報を複製しているのよ。結果、人々はこの現実を知る――」
その時、カワセ大佐の携帯端末が着信を知らせてきた。カワセ大佐は「つないで」と一声発する。すると、眼鏡の中年男性の上半身が浮かび上がった。
『よう、マリア。手筈通りだな』
「まだあなたには、私をファーストネームで呼ぶ許可は与えていませんが」
『まぁ、いいじゃねぇの。お、そこにいる三人が噂の四期生だな。俺はサミュエル・ディケンズ。ヴェーラやレベッカとは親しくさせてもらっていた』
サミュエル・ディケンズ――私たちはすぐにその名前を思い出す。アルマが真っ先に身を乗り出した。
「あの、セルフィッシュ・スタンドを書かれた?」
『肯定だ。あっという間に発禁になったり情報部に利用されたりと忙しかったアレを書いたのはいかにも俺さ。あ、サムって呼んでくれ』
「手短に」
カワセ大佐が少し苛ついた声を発した。珍しい。
『一度挨拶しておきたくてさ。実は先般の戦いも、第七艦隊の旗艦に乗せてもらっていてさ』
「あんな危険な戦場に……!?」
私の心の声が言葉になっていた。立体映像のサムは頭を掻いている。
『状況証拠だけでワイワイ言ってていいのは、そこらのバカと法律屋だけさ。俺はこの目で見て、この耳で聞いたものしか信じられねぇアナクロニズムな人間でね』
歯に衣着せぬ物言いのサムに、私は好感すら覚えた。サムは不意に肩を竦めた。ボディランゲージが激しい人物らしい。
『まぁ、おかげさまでイザベラ――っつか、ヴェーラだけどよ、あいつからも色々聞いてた。今回の事件についてまでは……教えてもらえなかったけどな』
「サム、本題を。私たちには時間がないのです」
『ああ、そうだな。で、だ。嬢ちゃんたち。エディタたちにはもう直接連絡してあるんだけどさ、お嬢ちゃんたちとはまだ直接会ってないしなってんで、マリアを通じてコンタクトしてるんだけどさ。ええとつまりな、この戦いが終わったら、直接取材させて欲しいっていう話。参謀部第六課っつーか、マリアかハーディ中佐が良いって言えば良いんだけどさ、そりゃ俺の流儀に反するっつか、まぁそういうわけだから、お願いできるかね?』
ものすごい早口でまくしたてられて、私たちは圧倒される。大統領とはまた違う種類のプレッシャーをかけてくる人だな、と思った。でもこれなら、あのヴェーラやレベッカが思わず信頼してしまったというのも頷ける。それでなんだか可笑しくなって、私はちょっとだけ笑ってしまう。
「だったら、私たち、みんなで生きて帰らなきゃなりませんね」
『俺のためにもそうしてもらえるとありがたい』
「わかりました」
私は頷く。レオンとアルマが私の両隣に立っている。私はカワセ大佐を振り返る。
「もう少し、いいですか?」
「少しならね」
カワセ大佐は小さく肩を竦めた。私はサムの映像を振り返る。
「あの、サムさん」
『サムでいい』
「えっと、サム。あなたはヴェーラをどう思っていたのですか? イザベラと同じ人だってことはご存知だったみたいですけど」
『マリアの前であんまり言うと怒られるけどな、残酷なくらいに優しくて純粋だった。全部背負っちまうような子だった。あいつは自分以外の人間を愛しすぎたんだ。名前も顔も知らないヤーグベルテの国民のことも、セイレネスの力で殺してしまったアーシュオンの人間のことも、全部だ』
サムは渋面だ。
『でもな、あいつが心を開いたのは、レベッカと、カティと、ルフェーブル大佐、そしてそこにいるマリアくらいかな。不器用な子だったよ』
「サム、私たちはそろそろ行かなくては――」
『阿片みたいなものさ、お嬢ちゃんたちは』
カワセ大佐の制止を突き破るサム。私たちは顔を見合わせる。
『存在してるだけで、人と社会が壊れる』
「ひどい!」
私とアルマが同時に言った。サムは両手を上げて「落ち着けよ」と言った。そこで声を出したのはレオンだ。
「正しいと思う、私は」
「え?」
「私たちは麻薬の類だ。この上なく万能で、この上なく依存性のある、なにかだ」
「レオン、でも、そんなの」
「事実だよ」
レオンは椅子を引っ張り出してきて腰を下ろした。カワセ大佐も諦めたのか、その隣に座った。私とアルマは立ったままだ。座っていられる空気ではない。
「だから、イザベラは……ヴェーラは、その副作用を見せつけようとした。このままだと大変なことになるぞっていう警告のために」
『そういうこった』
サムが頷く。
『だけど、ヴェーラの考えた程度のことじゃ、ただの歌姫の内輪もめにしかならないところだった。マリアが暗躍しなかったら、ただの生命の浪費になるところだった』
「そんな!」
『マリー、あのな、他人事なんだよ、国民の皆々様におかれましては、何が起きても、どこまで行ってもな。もっともあの大統領演説はそこそこな劇薬にはなったと思うがね。それでもまだまださ。あのインスマウスを打ち込まれて八つも町を蒸発させられてもね、なお平和を訴えるようなバカが多すぎるんだよ』
「平和を訴えるのは悪いことなんですか?」
思わず私は反論してしまう。平和を望むのは本心だ。私だってあんな、故郷を根こそぎ消し飛ばされるようなことがなかったなら、今だってサムの言う「バカな国民」の一人に過ぎなかったかもしれない。それに、私だって彼らのように「無力さ」を言い訳にできるような立場にいたかったと思っている――もうそれは叶わないけれど。
『悪くはねぇよ。ただ、そういう連中もまた、歌を、ともすればあれよ、断末魔を求めてるんだ。歌はあまりにも社会に深く浸透しちまった。なぁ、マリア。歌姫計画ってのは良く出来てるよなぁ』
「ノーコメント。時間切れです」
『りょーかい。じゃぁな、お嬢ちゃんたち』
サムは陸軍式の敬礼をして、画面から消えた。
「阿片……か」
私は溜息をつく。レオンが立ち上がって、私の頭を撫でた。私たちを追い越して、カワセ大佐はドアを開ける。
「まずは港に戻りましょう。補給も終わっていますから、即刻再出撃です」
カワセ大佐はどこからともなくサングラスを取り出した。午後五時をまわっているのに、サングラス? と、私たちは首を傾げ合う。
その理由はすぐに分かった。作戦司令部の出口は、無数のマスコミ関係者によって取り囲まれていた。向けられるカメラのフラッシュや照明が、無遠慮に私たちを照らす。眩しくて目も開けられないほどだった。
「不安になっている国民になにかメッセージを!」
「先の戦いでマリオンさんは下級の歌姫を集中的に狙われていましたね! その時のお気持ちは!?」
「国民の間では今回の作戦に批判の声が高まっています。反論があれば是非!」
「歌姫を殺した時には、ご自身では相手の断末魔を確認できるのでしょうか!」
「どうして反乱艦隊旗艦を捉えておきながら逃したのでしょうか!」
「すぐに再出撃と聞いていますが、何人生き残れるとお考えでしょうか!」
聞きたくない! 質問という名の暴言が襲いかかってくる。カワセ大佐の先導がなければ身動き一つ取れなくなっていたところだった。カワセ大佐は迷いなく司令部の階段を下りていく。車ではジョンソンさんとタガートさんが待っていてくれた。
「乗って、みんな」
「大佐……」
私は涙をこらえて、思いを吐き出した。
「私、悔しい……!」
「私もよ、マリー。ちょっと乗って待っていて」
私たちはノロノロとその頑丈な車に乗った。
カワセ大佐は外からドアを締めると、追いかけてきたマスコミ関係者たちに向き直った。
「私は歌姫艦隊作戦参謀長、カワセです。まず第一に。あなた方には是非、恥というものについて、よくよくご理解いただきたい」
よく通るメゾソプラノ。外の喧騒が嘘のように凪いだ。
「あなた方は今、この子たちに何を言いましたか。何を尋ねましたか。いったいどんな罵詈雑言を浴びせましたか。あなた方自身の内に、狂気を孕んだ物言いをした自覚はありますか。
この子たちは無力で怠惰で享楽的なあなた方に代わって、その生命を賭けて戦っています。そしてこれからまさに、またも死地へと赴くのです。その子たちに向けて、あなたたちは、こんな安全地帯から唾を吐きかけたのです。この子たちは決して無敵ではありません。心が傷つくことだってあります。悔しさに血の涙を流すことだってある。身体が傷つけば簡単に死んでしまいます」
しんと静まり返ったこの場所を、カワセ大佐の言葉が引き裂いていく。
「選挙権をようやく手に入れたような年齢の、そう、いわば年端も行かぬこの子たちが、政治の都合で消費されているのです。そうと理解していながら、自分たちが政治のための道具でしかないのだと知りながら、この子たちは粛々と従うのです。善悪の彼岸でもがきながら。国防は軍人の責務です、確かに、間違いなく。しかしながら、今の状況でその建前は芥子粒ほども成り立たないのです。
なぜなら、歌姫にしか、いわば個人の力でしか、この国の防衛を担えないからです。この子たちが、歌姫たちが、自らが相応の力を持つと知っていながら、脅威にさらされる国家国民を見て、あるいは死に瀕する人を見て、何もせずにいられましょうか。まして歌姫であることを放棄できましょうか。誰かを助けられるかもしれないその力を呵責も後悔もなく棄てられましょうか。
答えは、否です。人としての善、人としての正義――私たちは無自覚にこの子たちの純粋な想いに甘え、そして大義名分とおためごかしを駆使して、この子たちの力を利用してきたのです。
いいですか、私たちはこの子たちに、今まさに死ねと言っているのです。そのことをあなたたち、マスメディアの関係者たるあなたたちが、まず、理解しているのですか」
車中の私たちは誰も喋らない。カワセ大佐の言葉を邪魔するものは一切が悪――私はそう感じていた。私の右手をレオンが握ってくれている。それが私の精神を安定させてくれている。私の正面のアルマは、じっと窓の外を睨んでいる。
「負ければ責められる。何事も無ければ税金の無駄だと揶揄される。そしてたとえ勝ったところで喜びなど一欠片もない。わかりますか。勝つということは、すなわち、殺すということだからです。
この子たちの戦争は、私たちの知っている相手の顔の見えない戦争などではありません。この子たち歌姫には、殺す人間の顔が全て見えている。全ての人の断末魔が聞こえているのです。あなたたちがそんな場に放り込まれたら、否応なしに戦場へ引きずり出されたら。あなたたちは正気でいられますか?」
「しかし、それが歌姫の義務と役割――」
「義務と役割?」
カワセ大佐の声が急激に低くなる。
「今回のこのイザベラ・ネーミアによる反乱は、あなたのような無責任な意図的弱者によって引き起こされた。あるいは、傲慢な扇動者によって。イザベラ・ネーミアは、恥を知るべき者が恥を知るための機会を与えたに過ぎません。私も、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも! そう、私たちは誰一人として例外なく、決して第三者などではありません。当事者なのです、間違いなく。ですから、その想像力の乏しさから生み出された言葉にはくれぐれもお気をつけなさい。その哀れで暴虐な言葉は、いずれ頭上の剣となって、あなた自身に向かって落ちかかってくるのですから」
いつの間にかフラッシュも照明も消えていた。
「さ、行きましょう」
カワセ大佐は車に乗り込むと私たちを見回した。私たちは正直言って唖然としていた。軍の偉い人として、あの発言は大丈夫なのかな、という心配が先に立つ。
アルマが恐る恐る口にする。
「カワセ大佐は、歌姫計画の……」
「そう。誰よりも戦争継続を願う立場の人間よ」
「なら、どうしてあんな……」
「立場と思いは別。私はヴェーラ姉さまも、レベッカ姉さまも大好きだった。だからよ」
車が動き始める。景色が流れ始める。港に、出撃に近付いていく。
「大佐、あの」
「どうしたの、マリー」
「大佐は、歌姫計画から逃げたいとは……?」
「……どうかしらね」
カワセ大佐はゆっくりと腕を組み、微笑した。