08-04-01:私たちは誰一人として例外なく、当事者なのです

静心 :chapter 08 コメンタリー-静心
第八章ヘッダー

これは「#08-04: 烈火の如く」に対応したコメンタリーです。

さて、大統領の演説の後、マリオンたちはカワセ大佐と合流します。今回はマリアが主役の回ですよ。

「あの演説の台本はどうだったかしら?」

と、さらりとネタバラシをするカワセ大佐。シナリオ通り、というわけです。カワセ大佐は言うわけです。

「演技も必要なのよ、政治の世界ではね。わかりやすい言葉しか、国民は聞こうとしない。都合のいい言葉しか、理解しようとしない。単純な設定でなければ、想像することもできないのよ」

辛辣ですね~、辛辣ですね~。でも私はこの言葉は真実だと思っていますよ。

そんな事を言いながら、マリアはマリオンとアルマを会議室に。そこにはレオンが待っていたというわけです。超ヒマしてたと思う。で、その超ヒマだった鬱憤を晴らすためにマリオンをギリギリと抱きしめたりします。取り残されたアルマも「おいで」と抱きしめます。実はこれ、後に出てくる(というか最後の最後の)シーンでヴェーラが同じことやるんですよね。レオンもヴェーラも、そういうかたちで愛情を示すわけです。そして愛されてるのはマリオンとアルマで同じ構図。この辺で「継承」を表していたりしますね。

そんな百合百合しい光景をマリアは優しく眺めています。マリアもヴェーラとレベッカを愛しているものだから、そこに自分を重ねたりしたのかもしれませんね。

そんな光景をひとしきり目で楽しんだマリアはおもむろに携帯端末モバイルにある動画を表示させます。そこには先程の査問会の様子が! もちろん普通の手段ではこんな動画は撮れませんが、マリアが各種工作をした結果、getできたものです。しかもマリアはこれが処分されることも考えていて、ゆえに、リアルタイムにネットに放流したわけです。その途中で、情報部と保安部もそれに気づく――はずだったんですが、そこは参謀部のプログラムが勝ったわけです。凄まじい情報戦がここで繰り広げられていて、それだけで一つの小説になりそうなものがあったりするんですな。AIを出し抜く人たちがそこにいたと。で、そんなことができそうな人物はヤーグベルテ広しといえど(マリアを除けば)一人しかいない気もしますね。いや、うん、ブルクハルトのことですが。

で、情報部と保安部はAIに頼り切っていたために、「情報が今正に漏洩していた」ことに気付けなかった。参謀部は、情報部と保安部のAIに「情報が今正に漏洩している」事実を隠蔽するように工作した。或いはプログラム本体に何らかの介入があったかもしれません。参謀部も情報部も保安部も、その技術部隊は変態レベルの天才が揃っていたりするので、それはそれはすさまじい攻防が常日頃繰り広げられているのですが、今回はその中でも圧倒的にずば抜けた天才、ブルクハルトがぽっと加勢したのだと思うんですよね、あえて断定しませんけど。ブルクハルトは名だたるAIすら従えるくらいの技術を有する規格外の男なので、情報部も保安部も完全に裏をかかれたのだということです。ブルクハルトは「参謀部」ではなく「技術本部」に所属していることから、情報部と保安部もまさかこのタイミングで「参謀部」に加勢してくるとは予想してなかったのかと思いますな。

話を戻して、あれですが、今度は丸メガネのおっさんが立体映像として登場します。サム――サミュエル・ディケンズです。この人、#03-06ではっちゃけた質問をした記者ですね。そして「セルフィッシュ・スタンド」を発売して速攻で発禁処分食らった人ですね。

この人、元は陸軍の軍人で、退役後に記者に転向してるんです。人脈が広くて口もうまいため、ありとあらゆる所に味方がいる人なんですね。このマリア・カワセ大佐すら味方につけているあたりで「ただものではない」人なんですな。何がすごいって、どんな戦場にも出向くし、必要なら共闘すらするんですよね。実際に先の総力戦でも、クロフォード提督率いる第七艦隊の旗艦・ヘスティアに同乗しています。軍事機密の塊である最新鋭空母に同乗を許されているところからも、サムのとんでもない人脈が明らかになっていますね。そのぶん「敵」も多いのですが。

で、その「危険な戦場」にホイホイついていったというサムにマリオンたちは驚くわけですが、それに対してサムはこう言うわけです。

『状況証拠だけでワイワイ言ってていいのは、そこらのバカと法律屋だけさ。俺はこの目で見て、この耳で聞いたものしか信じられねぇアナクロニズムな人間でね』

と。これにはマリオンさんの好感度も爆上がりです。ヴェーラやレベッカも、サムのこういう所に好感を覚えていたわけですね。仁義の男ですしね。

そんなサムは「この戦いが終わったら、直接取材させてくれ」とわざわざ言うわけです。それに対して、マリオンはこういうわけです。

「だったら、私たち、みんなで生きて帰らなきゃなりませんね」
『俺のためにもそうしてもらえるとありがたい』
「わかりました」

ここ、ガンダム好きならピンと来ると思うんですが、1stガンダムの終盤で、ガンダムがモスク・ハン博士によってマグネットコーティングを施されるんですが、そのアタリの会話をパk……オマージュしました。本音と建前をジョークで混ぜる感じのトークに、(私が大人になってからですが)やたらと感銘を受けたのを覚えています。

そんな感じに更に好感度を上げてしまうサムです。

「えっと、サム。あなたはヴェーラをどう思っていたのですか? イザベラと同じ人だってことはご存知だったみたいですけど」
『マリアの前であんまり言うと怒られるけどな、残酷なくらいに優しくて純粋だった。全部背負っちまうような子だった。あいつは自分以外の人間を愛しすぎたんだ。名前も顔も知らないヤーグベルテの国民のことも、セイレネスの力で殺してしまったアーシュオンの人間のことも、全部だ』

マリオンに対するこの答えが、後のエピタイになります。#08-06の「Love all, trust a few, do wrong to none.」ですね。「すべてを愛し、少なきを信じ、悪をなすなかれ」という意味ですが。とにかくヴェーラは全部背負ってしまう、明るい笑顔に、前向きな言葉にすべてを隠してしまう――隠してしまえる――そんな性格だったと。ヴェーラはレベッカと二人のときに冷徹な顔を見せたり辛辣な言葉を口にしたりするのですが、それは一種のガス抜きだったわけです。レベッカのことを心から愛していたからこその、一種の「あまえ」とも言えるのかもしれませんね。ヴェーラが心から甘えられたのは、レベッカだけだったのかもしれません。カティエディットだけでは多分足りなかった……というより、ヴェーラとは背負うものが違いすぎたから、ヴェーラはその自分の苦痛とか苦悩とかを分け合う事を良しとしなかったのです。本当は甘えたかったんだろうなぁ。優しすぎたんですよ、ヴェーラは。イザベラにしてもヴェーラなわけですから、その優しさを持ったまま、同胞を犠牲にする道を選ばざるを得なかったわけですから、その心中たるや如何ばかりか。

サムは最後に言います。

阿片アヘンみたいなものさ、お嬢ちゃんたちは』
『存在してるだけで、人と社会が壊れる』

ひどい暴言に聞こえますね。マリオンもアルマも目尻を吊り上げたことでしょう――が、レオンだけは冷静です。

「私たちは麻薬の類だ。この上なく万能で、この上なく依存性のある、なにかだ」

と。それは残念ながら真実なんですね。で、その結果どうなったか。たとえば「阿片アヘン戦争」で清国がどうなったか。という。レオンは言います。

「だから、イザベラは……ヴェーラは、その副作用を見せつけようとした。このままだと大変なことになるぞっていう警告のために」

レオンさん、冷静です。ここまで無言だったのも、ずっと状況を俯瞰していたからですね。しかし、サムはそれじゃ足りないと。

『だけど、ヴェーラの考えた程度のことじゃ、ただの歌姫セイレーンにしかならないところだった。マリアが暗躍しなかったら、ただの生命いのちの浪費になるところだった』

この事実、この事件の裏にはマリアがいるということを明示しつつ、そのマリアを肯定するわけです。コレには多分マリアもちょっと救われたはずです。マリアも常に自分の良心との戦いですからね。その暗躍に肯定的な意味を与えてくれたサムには、ちょっとだけ感謝したんじゃないかな。サムめっちゃ良いやつだから。

『マリー、あのな、他人事ひとごとなんだよ、国民の皆々様におかれましては、何が起きても、どこまで行ってもな。もっともあの大統領演説はそこそこな劇薬にはなったと思うがね。それでもまだまださ。あのインスマウスを打ち込まれて八つも町を蒸発させられてもね、なお平和を訴えるようなバカが多すぎるんだよ』

サムのこの言葉に、マリオンはちょっとカチンときます。

「平和を訴えるのは悪いことなんですか?」

という具合に。マリオンは自分が「八都市空襲の被害者」でなかったら、自分もまた多くの人と同じだったかもしれないと、極めて冷静に考えているんですね。自分は特別な存在なんかじゃない――という自己肯定感の低さが、ここでは良い方向にバランスをとったと。サムも「それ自体は悪くはねぇよ」的な事をいいますけど、歌姫計画セイレネス・シーケンスに言及しようとしたところで、マリアから時間切れを告げられちゃいますね。で、通信終わり。

そして、マリア御一行様は港に戻るために建物から出て――待ち構えていたマスコミとのバトルに突入します。戦うのはマリアなんですが。ここでマスメディアのかけてくる言葉がひどい。

「不安になっている国民になにかメッセージを!」
「先の戦いでマリオンさんは下級の歌姫を集中的に狙われていましたね! その時のお気持ちは!?」
「国民の間では今回の作戦に批判の声が高まっています。反論があれば是非!」
「歌姫を殺した時には、ご自身では相手の断末魔を確認できるのでしょうか!」
「どうして反乱艦隊旗艦を捉えておきながら逃したのでしょうか!」
「すぐに再出撃と聞いていますが、何人生き残れるとお考えでしょうか!」

これは「リアルに聞いたことのあるイラッとしたフレーズ」をちょっともじって使っています。お気持ちは? じゃねぇよ! っていう。それをまだ傷も言えてない少女たちにそんな暴言を投げかけるわけですから、マリアじゃなくてもブチ切れますよ。この世界(でも)、マスメディアは「自分たちに誰も逆らえない」と信じていますし「誰も逆らわない」と思っていますし、「自分たちは正義、正しい、大衆の味方にして国民の代弁者」だと信じて疑っていません。救いようがない。

悔し涙を流しそうになるマリオンを見て、マリアは行動に出ます。マリアにしてみれば、イザベラ(ヴェーラ)やレベッカをも侮蔑されたように思えたんですね。だからこそ、自分のをかなぐり捨てて啖呵を切るのです。

「私は歌姫艦隊ディーヴァ・アルマダ作戦参謀長、カワセです。まず第一に。あなた方には是非、というものについて、よくよくご理解いただきたい」

もう一発目から喧嘩売ってますね。

そしてこれ↓

 よく通るメゾソプラノ。外の喧騒が嘘のようにいだ。

いだ」はもちろん「海」の様子を表す表現ですが、ここでコレを入れることで「では戦わないカワセ大佐にを重ねる」ということをちょっとだけ考えました。

そして始まるカワセ大佐の演説。ここはですね、太平洋戦争で死んでいった若い兵士、特攻で十死零生を余儀なくされた少年と言ってもいい年齢の兵士たちについて思いを馳せながら読んでもらえると嬉しい所です。また、まだ年端も行かぬ若い青年たちが赤紙一枚万歳三唱で送り出され、数日後には新聞の中で「尊い犠牲」の数値として、あるいは「軍神」という空虚な称号に彩られ、しかも嘘にまみれた情報の中に利用され、その生命の犠牲を欺瞞で塗り固められてさらなる戦争継続の糧にされる――本人たちは望んでなどいないのに……マスメディアが煽り、人々が踊り、兵士は死ぬ。その不幸なワルツを思いながら、書いた演説ですな。

内容をぺたりと。

「あなた方は今、この子たちに何を言いましたか。何を尋ねましたか。いったいどんな罵詈雑言ばりぞうごんを浴びせましたか。あなた方自身の内に、狂気をはらんだ物言いをした自覚はありますか。
 この子たちは無力で怠惰で享楽的なあなた方に代わって、その生命いのちを賭けて戦っています。そしてこれからまさに、またも死地へとおもむくのです。その子たちに向けて、あなたたちは、こんな安全地帯から唾を吐きかけたのです。この子たちは決して無敵ではありません。心が傷つくことだってあります。悔しさに血の涙を流すことだってある。身体が傷つけば簡単に死んでしまいます」

「安全地帯から」と言うところにはマリアの自虐も含まれています。マリア自身、前線には出向きませんから。そして――。

「選挙権をようやく手に入れたような年齢の、そう、いわば年端も行かぬこの子たちが、政治の都合で消費されているのです。そうと理解していながら、自分たちが政治のための道具でしかないのだと知りながら、この子たちは粛々と従うのです。でもがきながら。国防は軍人の責務です、確かに、間違いなく。しかしながら、今の状況でその建前は芥子粒けしつぶほども成り立たないのです。
 なぜなら、歌姫セイレーンにしか、いわば個人の力でしか、この国の防衛をになえないからです。この子たちが、歌姫セイレーンたちが、自らが相応の力を持つと知っていながら、脅威にさらされる国家国民を見て、あるいは死にひんする人を見て、何もせずにいられましょうか。まして歌姫セイレーンであることを放棄できましょうか。誰かを助けられるかもしれないその力を呵責も後悔もなくてられましょうか。
 答えは、否です。人としての善、人としての正義――私たちは無自覚にこの子たちの純粋な想いに甘え、そしてを駆使して、この子たちの力を利用してきたのです。
 いいですか、私たちはこの子たちに、今まさにのです。そのことをあなたたち、マスメディアの関係者たるあなたたちが、まず、理解しているのですか」

前半は先に語ったとおり、若い兵士たちが大勢死んでいくのを是とする、あるいは、致し方ないとする人たちへの憎しみと、それであると知りながらも義務感と正義感で戦おうとする若者(歌姫)たちの健気な虚しさに言及しています。

後半はポイントが二つあって、「人としての善、人としての正義――私たちは無自覚にこの子たちの純粋な想いに甘え、そしてを駆使して、この子たちの力を利用してきたのです」というところは、まぁみたまんまですね。「自分たちが犠牲になるのは致し方ない。それで大切な人が守れるならそれにまさることはない」とところまで追い込んだんだぞと。

そして「私たちはこの子たちに、今まさにのです」の部分。これはですね、#03-03、イザベラの演説を受けています。これですね。

「わたしは諸君に、のために死ねなどとは言わない! 諸君は、、死ぬのだ!」

「お前たちマスコミは歌姫たちに国家のオーダーとして死ねと言っているのだ」とマリアは言います。そして一方で、イザベラは「国家ごときのために死ねとは言わない」と言い切っています。マリアはもちろんその事を意識してこう言ったわけです。

マリアの烈火の如き言葉は止まりません。多分ですが、「静心」で最も長い演説が、これです。

「負ければ責められる。何事も無ければ税金の無駄だと揶揄やゆされる。そしてたとえ勝ったところで喜びなど一欠片ひとかけらもない。わかりますか。勝つということは、すなわち、殺すということだからです。
 この子たちの戦争は、私たちの知っているなどではありません。この子たち歌姫セイレーンには、殺す人間の顔が全て見えている。全ての人の断末魔が聞こえているのです。あなたたちがそんな場に放り込まれたら、否応なしに戦場へ引きずり出されたら。あなたたちは正気でいられますか?」

最初の一文は、#04-02でエリオット中佐が言ったことを受けてますね。マリア、理路整然と怒りをぶつけているあたりに、怒りの本気度が伺えます。

しかし、記者も(やめればいいのに)反論を試みます。

「しかし、それが歌姫セイレーンの義務と役割――」

はいきた、義務と役割。言い換えれば「それがあなたたちの仕事でしょう?」です。人を助けるために警官が殺されたとしても「それが警官の仕事なんだからあたりまえ」で片付けられたようなものです。「家族だって覚悟してるっしょ」と見知らぬバカに言われたようなものです。そりゃマリアじゃなくてもイラっとする。

「今回のこのイザベラ・ネーミアによる反乱は、あなたのようなによって引き起こされた。あるいは、傲慢な扇動者によって。イザベラ・ネーミアは、恥を知るべき者が恥を知るための機会を与えたに過ぎません。私も、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも! そう、私たちは誰一人として例外なく、決してなどではありません。なのです、間違いなく。ですから、その想像力の乏しさから生み出された言葉にはくれぐれもお気をつけなさい。その哀れで暴虐な言葉は、いずれ頭上の剣となって、あなた自身に向かって落ちかかってくるのですから」

ためにためたあとで出てくる「私も、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも、あなたも!」。ここ、私の中ではクリティカルヒットな感じなんですがどうですかね。「私も」が一発目に来るのがポイントです。私たちは常に第三者であろうとする。口は出すけど最後まで傍観者であろうとする。その事を厳しく激しく糾弾していますね。誰ひとりとして例外なく、当事者なのだと。これは戦争とかそういうものだけじゃなくて、あらゆるものに適用できる言葉じゃないかなぁ。

そしてここですが。

「ですから、その想像力の乏しさから生み出された言葉にはくれぐれもお気をつけなさい。その哀れで暴虐な言葉は、いずれ頭上の剣となって、あなた自身に向かって落ちかかってくるのですから」

ここは#07-04のイザベラのセリフを受けてます。セリフというのはこれ。

「彼らはね、知るべきなんだ。自分たちの頭の上に、やいばきらめく鋭い剣があることを。そしてそれがいつでもいつだって自らの身に落ちかかってくる可能性があるということを」

マリアのほうが直接的で毒がありますね。マリアはイザベラのこの言葉に自分の言葉を重ねることで、イザベラの思いを増幅ブーストできないかと考えたわけです。その効果は少しはあったと思います。思いたい所。

で、マリアは言いたいことを言い切って、車に乗り込んできます。アルマが恐る恐る訊きます。

「カワセ大佐は、歌姫計画セイレネス・シーケンスの……」
「そう。誰よりもの人間よ」

「願う立場」というのがポイント。「願う人間」ではなくて「願う立場の人間」と言っている所に、マリアの自分自身の運命への抵抗が表されています。

は別。私はヴェーラ姉さまも、レベッカ姉さまも大好きだった。だからよ」

これはマリアにしては珍しく、マリオン、アルマ、レオンといった次世代の歌姫たちへの本音の吐露です。それがマリアなりの誠意だったんでしょうね。「姉さま」と言っているのは、三人の中でも、マリア(ARMIA)は最後に覚醒させられたからです。また、ジョルジュ・ベルリオーズによって、そういう性格付けがされているわけです。マリアはそれはそうだと知っているんですが、それでも自分の中にあるヴェーラとレベッカ(とりわけレベッカの方)への思慕というか愛というかが本物であると信じたがっているんですね。自分のパーソナリティがコントロールされているとというのは、本人には耐え難い辛さがあると思うんですよね。だって、自分の感情や想い、願いがそういう「コントローラ」によって支配されているんじゃないかって常に疑うわけです。うつ病の薬とか飲むと思いますが、「今自分が元気なのは薬のせい?」とか。自分本位のものじゃないような、そんな気がするんです、常に。マリアはそれを強く認識しながらも、ずっと自我を維持しているわけで。つらいだろうなぁと思うんですよ。マリアつらい。

そしてマリオンが出撃を前に意を決して訊くわけです。

「大佐は、歌姫計画セイレネス・シーケンスから逃げたいとは……?」

それに対し、マリアは微笑みながら答えます。

「……どうかしらね」

と。

微笑みながら、というのが悲しいじゃないですか。間髪入れずに微笑んじゃうんですよ、マリアは。誰とも痛みを共有できないマリアの悲哀だと思います。

セルフィッシュ・スタンドにもあるように「微笑わらうだけなら、お気に召すまま」――なんとも悲しいですね。

→次号

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