目を覚ました私は、白い空間に倒れていた。どこを見ても白。上も下も距離感もない、白。なんとなくだけど、ここがセイレネスによって作られた空間だという感触はあった。景色が見えないだけで、体感的にはさっきまでとほとんど変わらない。違うと言えば、自分の身体がはっきりと見えるくらいだ。
夢じゃないよね、さすがに。
なんとかしてログを見られないものかと悪戦苦闘する私の隣に、アルマが現れた。アルマは周囲を見回してから、首を傾げた。三色の頭がふわっと揺れる。
「ここ、なに?」
「わからない。でも、セイレネスっぽい」
顔を見合わせる私たちのすぐそばに、白金の髪の女性が現れた。ヴェーラだった。ヴェーラ・グリエールだった。私の大好きだった、あのヴェーラが今目の前にいた。
そのヴェーラは、私たちの頭上、それも遠くに視線をやって、微笑んでいた。この上なく美しい顔に、私は思わず見惚れてしまう。ヴェーラは私たちではない誰かに手を振り、そして「やぁ」と私たちに向けてまた微笑んだ。
「そうか、LC空間のわたしはこっちの顔なのか。ふむ……」
白金の髪を弄び、自分の顔をペタペタと触ってからヴェーラは頷く。
「ヴェーラ! ヴェーラ、だよね?」
「やれやれ、マリー。きみはわたしの顔を忘れたのかい?」
「忘れるわけない!」
忘れるものかと、私はヴェーラに抱きついた。ヴェーラは「まったく、きみって子は」と言いながら、私を撫でてくれる。私はヴェーラを力いっぱい抱きしめて、声を絞り出した。
「やっと、あの日の約束が叶った」
「そうだね、おまたせ、だよ」
「待っててくれなかった!」
私はヴェーラの背中を、折れちゃうんじゃないかというくらいに力を入れて抱いた。離さない、絶対離さない。ヴェーラを逃してはならない。
「おいおい」
ヴェーラは私の背中をポンポンと叩く。
「きみにはレオナがいるじゃないか」
「多分、許してくれる」
「まぁ、そうかもね。ほら、アルマもおいでよ」
ヴェーラはそう言って、私とアルマを抱きしめてくれた。
「二人には……辛い事をさせてしまって、ごめんね」
「まったくです」
私とアルマの声が重なる。
「きみたちの時代を良くしようと、わたしはがんばったつもりでいるんだ、これでも。だけど、わたしは……何もできなかった。ただ哀しみを増やしただけだったね」
「ヴェーラ、あなたは……まさか」
「マリー、わたしはもう痛みを感じてはいない。だけど、死は眠りにすぎないんだ」
そう言って、ヴェーラは微笑む。その身体のどこにも傷はない。
「この期に及んでも、きみたちはわたしの生を望むの?」
「あたりまえです……」
私の視界が歪んだ。膝から力が抜ける。白い地面に崩れ落ちる。アルマが私の背中に触れる。初めて会った時と同じだった。失われていく体温が、アルマの手によって繋ぎ止められている。
「幕切れというのは、こんなにもあっさりしたものなんだね」
ヴェーラも膝をついて、なおも私たちを抱きしめてくれる。でも、もう力は感じなかった。体温も感じられなかった。
「私という、ヴェーラ・グリエールという一人の人間の生き様を、覚えていて欲しいんだ。頼める?」
「はい……」
私の声だったのか。アルマの声だったのか。耳に入ってきた音は、聞き取れないくらいに掠れていて――。
「きみたちの中に、少しだけ居場所をもらうよ。ありがとう」
「ヴェーラ……」
声にならない。言葉が出ない。震えるばかり。名前を呼ぶのが精一杯。
「ああ、時間がないなぁ。ここにきて、もう少し時間があったらって思う」
ヴェーラは私とアルマの頬に、その冷たい手で触れて、目を細めた。ヴェーラの右の頬を涙が伝い落ちた。
「カティにね、伝えて欲しい」
――ほんとにごめん。いままでありがとう。
ヴェーラは私たちの心の中に、そんな無邪気な言葉を残して、消えた。
世界の照明が、落ちた。