01-1-2:教室の片隅にて

本文-ヴェーラ編1

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 レベッカを先頭にして、六人の士官候補生(女子ばかり)が講義室の最前列に移動した。ヴェーラはのんびりと後をついてくる。レベッカはテキパキとタブレット端末と電子黒板を接続リンクさせて、試験範囲の講義をサマライズする。的確かつ正確にまとめられたそのサマリはそれだけで一つの教科書のごとしだった。

「ベッキー、そもそもさ」
「ヴェーラ、今質問しなくて良くない?」
「いや、だって」
「はいはい、後で後で」

 レベッカはそう言って説明を再開する。こういう時、ヴェーラは決まって回答に困るような超高難易度の質問をしてくるのだ。例えるなら「アリとキリギリス」の話をしている最中に、唯物論および唯心論にまつわるような質問をナチュラルに投げてくるようなものだ。

「ひまー」

 ヴェーラは立ち上がると伸びをしてぐるぐると周囲を見回し――。

「あれ?」

 講義室の最後列に一人、見事な赤毛の士官候補生が座っていた。彼女は黒いヘッドフォンをつけて、紙媒体ペーパーメディアの本を熱心に読んでいた。今どき紙の本は珍しい。もちろん手に入れることはそこまで難しくはないが、敢えて紙媒体を手に取る必然性はほとんどないのだ。

「きれいな人」

 ヴェーラは呟き、視線を上げようともしないその士官候補生を見つめる。彼女がまとっているのは緩やかな拒絶だ。誰も入ってくるなと、自分の領域を作っている。

「ヴェーラってば。何してんの?」
「見て、あの人」

 ヴェーラが言って、レベッカも初めて彼女に気が付いたようだった。そこで事情通の士官候補生が言う。

「ああ、あの子。昨日ユーメラから転校してきたんだって」
「なるほど」

 ヴェーラは得心する。それなら見たことがなくても納得だ。そもそもこんな美しい人を、見たら忘れるはずがない――ヴェーラは思う。

「でもさ、彼女挨拶もしないし無愛想だから。もう浮き始めてるよ」
「そういうのはどうでもいいよ」

 ヴェーラは首を振る。

「そんなことより、わたし、興味が湧いた」
「え、ちょっとヴェーラ。まだ終わってない」
「あとは今日のところだけじゃん。大丈夫でしょ」

 ヴェーラは荷物をまとめてまたあの赤毛の士官候補生を振り返った。

 視線が合う。

 紺色の光彩が天井灯を鋭く反射していた。ヴェーラはその夜の色の瞳に強くき込まれる。

「あのっ」

 ヴェーラが声をかけると同時に、赤毛の士官候補生は立ち上がる。手にした書籍を大事そうにカバンにしまい、足早に講義室から出ていこうとする。

「待って、赤毛さん」

 ヘッドフォン越しにも聞こえるように、ヴェーラは駆け寄りながら大きな声を出す。

「わぁ、背が高いんだね」
「何の用だ」

 赤毛の士官候補生はぶすっとした顔で言う。ヘッドフォンは着けたままだ。

「興味が湧いたの、わたし」
「興味? なぜ?」
「興味が湧くのに理由なんていらないと思うんだけど」

 ヴェーラはその空色の瞳で赤毛の少女を見つめる。赤毛の少女は首を振る。

「やめとけ。ロクなことがない」
「赤毛さん」
「カティだ。カティ・メラルティン」

 カティはぶっきらぼうに名を名乗る。その声に少しだけ緊張が混じっているのをヴェーラは聞き逃さなかった。

「おっけー。で、カティ、あのね」
「いきなり呼び捨てか」

 カティはあヘッドフォンを少しだけずらして唇を歪める。そこで気付く。表情を動かしたのなんていつぶりだろう、と。

「カティだからカティでいいじゃん? あ、そうそう。わたし、ヴェーラ・グリエール。特別にヴェーラって呼んでいいよ。よろしく」
「よろしくするとも、されるとも言ってない」
「どうして?」
「どうして?」

 思わず問い返すカティ。

「だって、ほら、アタシと付き合ってもロクなことには――」
「へぇ、カティって神様か何かなんだ?」
「は?」
「他人の運命に作用できるくらいの力があるの?」
「そんなことは」
「でしょ。運命は星が決めるものじゃない。私たちの思いが決める――ジュリアス・シーザーの一節だよ」
「知ってる。けどそれは、失敗フォールトは我々の運命のせいじゃなく、我々にるものだ――が原典だろ」
「うんうん。さすが。本好きなんだね」

 ニッコリ笑うヴェーラを見て、カティは髪の毛に手をやって、乱雑に掻き回す。ヴェーラはその白い右手をすっと差し出す。

「ということだから、よろしくね、カティ」
「……行っていいか?」

 カティはヴェーラの手を見つめながら、少しかすれた声で言い、返事を待たずに足早に講義室を出ていった。

 ヴェーラはカティを見送ってからレベッカたちを振り返る。レベッカたちは何か事件でも起きるのではないかとヒヤヒヤしていたのだろう。少し安堵の表情を浮かべていた。

「ふられちゃった」

 ヴェーラは肩をすくめてレベッカのところへと戻る。講義の方もちょうど片が付いていたようで、めいめいに帰り支度を始めていた。

 士官候補生たちが出ていったのを確認してから、ヴェーラはレベッカを見てニッと笑う。

「気になるよね?」
「べ、べつに?」

 レベッカはいつもより素早い動きで眼鏡のレンズを拭いている。

「気になってんじゃん」
「なってないわよ。それに明日の講義でもかぶるものがあるでしょ、きっと」
「やっぱり気になってるんでしょー?」
「なってないってば」
「それじゃ探しに行こう!」
「え、ちょっ!? 私の話聞いてた!?」

 レベッカは狼狽しながらメガネ拭きをケースに戻す。

 全くいつもこうだ――レベッカは首を振る。ヴェーラは暴走するのが仕事。私は止めるのが仕事。私がブレーキを踏むと知っているから、ヴェーラは遠慮なくアクセルを踏み抜こうとする。レベッカはまた首を振る。

「んじゃ、行くよ、ベッキー」
「探すって言ったって、どこを探すの? もう帰っちゃったかもしれないじゃない」
「帰ってないよ」
「何を根拠に?」
「紙の本持ってたからね」
「私物じゃ?」
「戯曲の本だったから、たぶん借りてきた本」

 理路整然と喋っているようで、実は何も論理的ではないヴェーラの言葉を聞いて、レベッカは頭痛を覚える。

「ううう」

 思わず唸るレベッカの肩をぽんと叩いて、ヴェーラは「わたしの名推理に感動するのもしかたないね」などと言っている。

「とにかく本を食堂か図書室のどっちかにいるって、わたしの灰色の小さな脳細胞が言っている」
「あなたの直感って異常に当たるのが怖いのよね」
「だってわたしだからね。すごいぞわたし」

 ヴェーラはそう言ってレベッカの手を引いて講義室を出、その足で図書室へと向かっていく。

 自動扉を通り、入り口の検索端末を無視し、そのままカウンターに向かう。そこでは女性司書が一人、忙しく端末を操作していた。

「すみませーん。赤毛の人来てません?」

 ヴェーラは躊躇ちゅうちょの一つもなしに声をかける。司書は目を丸くして、突然現れた美少女二人組みを観察する。

「もしかして、あなたがヴェーラ・グリエールさん?」
「そうですー」

 ヴェーラは微笑して、後ろのレベッカを引き寄せる。

「こっちはベッキーでいいよ」
「ちょっと、他人の紹介を適当にしないでよ、ヴェーラ」

 レベッカは唇を尖らせる。司書は「ええと」と一瞬天井を見やり、手を打った。

「レベッカ・アーメリングさんですね」
「はい。レベッカです」

 レベッカは会釈をして、「それであの」と続ける。

「ああ、赤毛の子のことね。今朝方一冊借りていって、まだ戻しに来てないですね。もう少ししたら来ると思います」
「そっかー」

 ヴェーラは髪に手をやってから、一つ頷いた。

「そのへんにいるってことだね。探しに行こう」
「え、ここで待っていれば良くない?」
「待ってるのヒマだし。ヒマは良くないよ」

 ヴェーラはそう言ってから司書に礼を言い、さっさと図書室を出ていってしまった。レベッカも慌てて後を追っていく。

「あの子たちが」

 司書も士官学校ではそれなりの地位にいる人物だったから、ヴェーラとレベッカについてはある程度聞かされている。異例づくしで編入してきた子で、年齢は十四歳と認識していた。十四歳にして士官学校の高等部に編入されること自体、何が起きているのかわからない。

「何もなければいいけど」

 司書はカウンターの所にやってきた常連に会釈しながら呟いた。

「ブルクハルト技術中尉、あの子たちのことはご存知です?」
「まぁね」

 黒灰色の髪と瞳の、ひょろりとした体格の技術将校は言葉を濁す。

「これから始まる計画シーケンスにとって、最も欠かせない二人さ」
「計画?」
「機密」

 ブルクハルトは人差し指を立ててみせる。司書はブルクハルトがカウンターに置いた書籍を見て首を傾げる。

「一世紀前の古典技術書ですよ、これ」
「こんなの紙媒体ペーパーメディアでは始めて見たよ。まさか現存しているとはね。この士官学校の品揃えは一体全体どうなっているんだい」
「前任者の趣味、ですかね」
「素晴らしい趣味だよ」

 ブルクハルトはうっかりその古典技術書の内容について語り始めそうになったが、危ういところで自重した。

「でも昨今、こんな技術書なんて役に立たないのではないですか?」
「そんなことないよ。現在は過去の積み重ねだからね。過去を知る分にはいくら知っても過多ってことはないよ。気分転換にもなれば、新しい視野を得ることもある」

 司書はなるほど、と頷く。ブルクハルトは誰もが認める天才技術者で、二十代半ばの現時点で技術書の著作は二十以上あった。博士号も十代の頃に何かのついでにとったという伝説もあった。ヤーグベルテの人々の間では「ジョルジュ・ベルリオーズに並ぶ天才」とさえ言われることがある人物だ。

「返却予定日はいつにします?」
「余裕見て明後日」
「短すぎません?」
「いつものことでしょ」

 ブルクハルトはそう言うと、慣れた手付きで登録を済ませて、「それじゃ」と左手を上げて去っていった。

「知ってても天才には見えないけど、あの人、すごい人なのよねぇ」

 司書はそんな――少々無礼な――ことを呟いたのだった。

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