02-2-3:超常の男

本文-ヴェーラ編1

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 航空力学の試験。問題が配信されたその直後に、多くの士官候補生が脱落した。講義室にずらりと座っていた候補生の半数以上が、開始十分で白旗を上げて、試験終了ボタンを押す決断をした。というのも、試験問題が全て、第一敵性言語であるアーシュオン語で書かれていたからだ。空軍候補生は必修科目としてアーシュオン語を習うし、航空機に乗ろうと思ったらネイティヴ並に扱えなければならない。しかし、上級高等部一年のカティたちにとっては、アーシュオン語は未だ難解だった。しかもそこに来て航空力学の専門用語テクニカルタームの乱舞である。そもそもヤーグベルテ語で書かれていても難解なのだ。

 カティは冷や汗をかきつつも、着実に問題を読み解いて回答していく。ヴェーラとレベッカ、そしてエレナのおかげで、問題が読めさえすれば回答には困らなかった。

 試験時間終了と同時に、カティたちの携帯端末モバイルに試験結果が送信されてくる。また、受験者が成績順に、講義室前面にあるモニターに表示された。

「いちばん?」

 カティは携帯端末モバイルと講義室モニターを見比べて呟いた。エレナは試験を免除されていたからというのはある。が、一番というのにはカティが誰よりも驚いた。

 カティは思わぬ結果に少しだけ興奮して、足早に講義室を出る。候補生たちからの視線が少し気に入らなかったというのもある。カティは一番近くの休憩スペースに移動すると、カバンから携帯端末モバイルを取り出した。その瞬間に、着信が入る。ヴェーラだった。立体映像にすると騒ぎになりかねないので、音声通話を選択して耳に当て、椅子に腰を下ろす。

『やっほう、カティ! ヴェーラだよ!』
「相変わらず元気いいな」
『お高いアイス食べたからね! でさ、試験終わった? どうだった?』
「試験は、うん、悪くはなかった」
『そっか。合格したんだね!』
「ああ」

 カティは足を組んで窓の外を見る。先日降り始めたと思ったら、もうすっかり雪景色だ。統合首都の冬にも、もう慣れつつある。寒いのは相変わらず苦手ではあったが。

『おっけぃ、さすがカティ! お祝いにお茶しよう!』
「そうだな。いつ?」
『いま! もうロビーにいるよ!』

 相変わらずびっくりするほど行動が速い。カティは苦笑する。

『あ! ベッキーもいるよ! なぜか!』
『ちょっ、ヴェーラ。なぜかはないでしょ、なぜかは!』

 こちらもいつもどおり素早いツッコミである。

「わかった。今行くよ」

 カティはそう言うと通話を終えようとする。が、携帯端末モバイルの向こうにいるヴェーラは嬉々とした声で言う。

『おけー。ベッキーいじって待ってるね!』
『ヴェーラ、あのね、私はおもちゃじゃないわよ』
『じゃぁ、髪の毛を玉結びにする!』
『やめっ、何するのよ! ていうか、じゃぁってなにが!』
『大丈夫、簡単だからね』
『そうじゃないっ! もう、あなたの下着全部隠すわよ』
『うわー陰湿ゥ! ベッキーの眼鏡のレンズ外すよ?』
『どっちが陰湿よ!』
「はいはい、喧嘩するなよ。今行くから、良い子で待ってろ」

 カティはそう言って、通話を終了した。

 そこで気が付く。周囲が不自然に暗いことに。天井灯は普段どおりに点いている。しかし、黒い霧でもかかっているかのように暗い。

 視線を戻すと、テーブルを挟んだ向かい側に、黒尽くめの人物が座っていた。黒いスーツ、黒いワイシャツ、黒いネクタイ――。豪奢な金髪、整いすぎたほどの美貌。その居住まいでは、男女いずれかが判然としない。年齢はカティよりも少し上だろうか、程度の印象だ。

「……誰?」

 気配すら放たないこの人物に、カティは露骨に警戒する。何故か立てなかったし、足を組み替えることもできなかった。

「あたしは、ハルベルト・クライバー。こんにちは」
「……何の用?」

 声は男のものだった。カティは剣呑な視線を向ける。ハルベルトはその碧眼を細める。

「男とか女とかどうでもいいでしょ。些末な問題でしょ」

 黒い霧の向こう側で、ハルベルトは口角を上げる。

「今日はね、あなたにひとつ忠告をしにきたの」
「忠告?」
「あなたは、じゃないのよ。だから、じゃない連中に、あなたは注目されている」
「どういう意味だ」

 カティは反射的に故郷の村を襲った事件を思い出す。あの男――ヴァシリーは確かにではなかった。だが、その存在に、自分がカウントされていることは正直、しゃくに障った。それではまるで、自分がいたせいで家族も友人も知り合いも皆、殺される羽目になったみたいじゃないかと。

「あなたが認めたくない気持ちは理解できなくもないわ。でもね、これは事実なのよ」
「何もかも知ってるような口ぶりだが、あんたは何者だって言うんだ」
「ふふふ」

 ハルベルトは小さく笑う。

「あたしは、じゃない存在ね、いわば。そしてあたしもまた、あなたのに注目しているの」
「アタシの未来? 何を言ってるんだ」

 カティは背もたれに体重を預け、眉根を寄せる。ハルベルトは頬杖をつきつつ、上目遣いにカティを見た。

「この空間を見ても、まだ納得していない?」
「それは――」

 不自然なほど暗い。候補生の一人も通りかからない。まるで時間が止まってしまっているかのようだ。

「たぶん疲れてるだけだ。こんなこと起きるはずがない」
「まぁ、いいけど。信じるか否かは、さして重要なことじゃないわ。重要なのは、あなたに近付いたエレナ・ジュバイル。彼女よ」
「エレナがどうしたって言うんだ」

 カティは不快感を示しながら尋ねる。

「彼女とは距離を取るのがあなたのためよ。彼女はあなたの――」

 そこまで言って、ハルベルトは鋭い視線で宙を見上げた。先程までの余裕のようなものが、すべて攻撃性に転化したかのような表情の豹変ぶりだった。それを見てカティは息を呑む。悪寒、いや、怖気おぞけを覚えたのだ。

「そう、ね」

 ハルベルトは険しい表情のまま目を閉じ、頷く。カティには事情がさっぱり飲み込めない。ハルベルトはゆっくりと目を開け、カティを直視した。

「断言するけれど、あたしは、あなたの、じゃない」
「敵って……」

 ということは、アタシにはがいるっていうことか?

 敵――カティにとってのは、カティの故郷を滅ぼしたあの男、ヴァシリーだ。

 ――君の代わりに殺してあげたよ。

 ――苦しみから救ってあげたんだ。誇っていい。

 あの時聞いた言葉が、不意に鮮明に頭蓋骨の内側を跳ね回った。カティはこれ以上無いくらいに表情を鋭くし、奥歯を噛みしめる。

「あたしは……あなたを救いたいのよ。これから重ねる罪から」
「罪だって。アタシが?」
「あなたの望む望まざるとに関わらず、あなたの手は血に染まる。あたしはそのを変える力を持っているわ」
「冗談じゃない。おまえが何なのか知らないが、あたしのを他人の手にゆだねたりはしない」

 カティは見えない拘束を解いて立ち上がる。ハルベルトは興味深げに見上げている。

「……わかったわ。その意志の力こそが、あなたを万象の母エキドナすのでしょうね」
「わけのわからないことを」

 カティはハルベルトを睨み。

 ハルベルトはカティに微笑んだ。

 その瞬間――。

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