03-1-4:歌姫戦艦

本文-ヴェーラ編1

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 シミュレータの筐体から出た時には、カティは汗だく状態になっていた。空戦の緊張感による影響……はそれほどではない。最後の最後、戦艦たちがオーロラを放って一気に戦闘を終結させた時に、カティは得体の知れない感覚を覚えた。この汗は、おそらくその時のものだ。説明できないもの、知識の埒外にあるもの、そういったものに触れた時、人は等しく畏怖を覚える。

「ご苦労だった、カティ・メラルティン」

 額の汗を拭うカティを真っ先に出迎えたのは、フェーンだった。フェーンはハンカチをカティに差し出している。カティは素直にそれを受け取り、やや躊躇いながらも顔に浮かんだ汗を拭いた。

「あ、洗って返します」
「そうか。適当に頼む」

 フェーンは頷いて、後ろにいたパウエルを振り返る。

「経歴詐称を疑うレベルの飛行技術だな、確かに」
「うむ。未だに俺にも信じがたいからな。戦艦の助力はあったにしても、アレだけの機動を見せられると時代は変わったと思わざるを得んよ」

 パウエルは義足の駆動音を響かせながらそう言った。フェーンは軽く腕を組む。

「二番機と三番機のデータも彼女の同期で間違いないのか」
「ああ。エレナ・ジュバイルとヨーン・ラーセン。メラルティンが規格外なだけで、この二人も十分に怪物だ」
「ジュバイル?」

 フェーンはその名前に反応する。その声があまりにも固くて、カティたちは一様に緊張した。ヴェーラがカティを見上げて言う。

「どうしたんだろ?」
「知り合いなのかもな」

 カティの返答に、ヴェーラは満足しなかったようだ。難しい顔をして黙り込んでしまう。その微妙な空気を破ったのは、カティの乗っていたシミュレータを覗き込んでいたクロフォードだ。

「ま、今ので分かっただろ。我が軍の切り札、次世代の戦闘のセオリーとなるべく送り出される予定の新兵器。通称、歌姫戦艦バトルシップ・ディーヴァと、その威力。まだまだシミュレータの中だけの話だが、俺がアーシュオンの提督なら、あんな物を見せつけられたらすっ飛んで逃げるね。フェーン少佐、今日の実験は?」
「オールクリア。この結果なら参謀部も文句なく納得するでしょう」
「ルフェーブル中佐の顔も立つ、か?」

 からかうように言ったクロフォードの言葉を無表情に受け流し、フェーンはカティたちに再び向き直った。

「グリエール、アーメリング。初回でこの結果は十分過ぎる成果だ。あのブルクハルト技官の予測値をここまで超えてくるとは思わなかった」
「カティのおかげだよ」

 ヴェーラは明快にそう言った。レベッカも頷いている。ヴェーラはカティを見て微笑み、続けた。

「多分、カティがいなかったら、その予測値に行けたかすら分からない」
「人一人でそこまで変わるとは信じられないが」
「ありえますよ」

 そこにやってきたのがブルクハルトだ。いつの間にかモニタルームから出てきていたらしい。

「セイレネス・システムは、発動者アトラクタの精神の影響を極めて強く受けることが分かっています。というより、先日そこまで解析できたばかりですが」
「中尉、しかし我々は」
「ホメロス社様のお言いつけ通り、ブラックボックスの中身は見てませんよ。入出力を解析して、そこからだけです」

 飄々ひょうひょうと言うブルクハルトに、フェーンはやや呆れたような表情を見せる。フェーンもプログラムの類に暗いわけではなかったので、ブルクハルトが何を言っているのかは理解できている。

「中尉の正鵠を射ていたとして、となるとこのカティ・メラルティンにも何かしら力があるのでは」
「それはどうでしょうね」

 ブルクハルトはやや懐疑的な表情でカティを見る。柔和なその視線に晒されて、カティは思わず息を飲む。ブルクハルトは時々何を考えているのか読めない表情をする――今がまさにその時だ。

「ま、そのうちわかるんじゃないですか。今はデータが足りなすぎて、仮説も立てられませんし」

 そう言うなり興味を失ったのか、ブルクハルトはモニタルームへと引き返してしまった。そのマイペースな技術士官を呆れ顔で見送ってから、フェーンはヴェーラとレベッカを順に見た。

「今は空軍主導の時代だが、歌姫計画セイレネス・シーケンスの風向き如何で、潮流は変わるかもしれんな」
「四風飛行隊は機動戦力の要だぞ、フェーン少佐」

 聞き捨てならぬとばかりにパウエルが近付いてくる。フェーンは「可能性の話をしている」とその威勢を一蹴する。

「今は空軍が確かに国家防衛の要となっている。だが、ここに海軍もまともに関与できるようになれば、お互いに願ったり叶ったりだろう、パウエル少佐」
「ま、まぁ……」
「俺もフェーン少佐には賛成だ。というより、クッソ不甲斐ない海軍をどうにかできるチャンスだと思っている。もっとも、そこの二人に負荷が集中するのではないかという懸念はあるが」

 クロフォードはそう言ってから、「おつかれ!」と手を振ってさっさと部屋から出ていってしまう。その後、パウエルも「後は任せた」と言って出ていってしまう。

「グリエール、アーメリング、メラルティン。休日にご苦労だった。しかし、空母でも収まらないサイズのセイレネス・システムというのはな、いまいち私にも信じられん」
「結果として戦艦になった、ということですか」

 カティは好奇心に駆られて尋ねた。フェーンは「うむ」と肯定する。

「戦艦というのは便宜上の名前だがな。色々候補があったらしいが、結果、『一世紀ぶりの戦艦の復活』というキャッチコピーを使いたくて戦艦に決定された……という噂もある」

 噂、ではないが。と、フェーンは無表情の内側で苦笑する。

「さ、いい時間だ。後は適当にやってくれ。何かあれば連絡を」
「わかりました」

 一同を代表してレベッカが言った。フェーンは右手を軽く上げると部屋から出ていった。その時、ヴェーラのお腹が派手な音を立てた。

「わちゃ! わたしのお腹が、お腹すいたって!」
「他人かよ」

 カティは笑ってポケットからカードを一つ取り出した。レベッカが眼鏡の位置を調整しつつ、顔を少しだけ近づける。

「それは?」
「車。年末に納車されたんだ」
「免許……ええと、手動運転マニュアルできるんですか?」
「もちろん」

 カティは幾分胸を張る。免許を持っていなくても車を所有することはできる。自動運転オートマ限定にはなるが。だから今となっては、免許を持っているのは、軍人、医療関係者、マスコミ、この三種類の人間だけだとさえ言われている。

「わー。ドライブ? ねぇ、ドライブ?」

 さっそくカティにまとわりつき始めるヴェーラの頭をカティは撫で回す。猫か何かのようだと思いながら、カティは夕食候補をリストアップし始める。

「ピザ食べに行こうよ、ピザ!」
「今、ピザ?」

 ヴェーラの提案に目を丸くするカティだが、その横ではレベッカが「あー、また」と呆れた声を出していた。

「ヴェーラはピザを思い浮かべたら、絶対譲らないんです」
「ピザね」

 カティは一瞬思案して、ひとつ頷いた。

「アタシはいいけど、うん」
「やたー! ベッキーのおごりだぁ」
「ちょっ! なんで私のおごりなのよ!」
「わたしがおごられたいと思った時、ベッキーもまたおごりたいと思っているのだ」
「なにそれっぽく言ってるのよ! 思ってないわよ!」
「アタシが出すよ、大丈夫」

 喧嘩になりそうな二人を見て、カティは「やれやれ」と表情に雄弁に描いてから仲裁に入る。が、二人は頑固だ。

「ベッキーがおごるんですぅ」
「おごらないわよ。カティにはおごってもいいけど」
「あ、それずるい。カティをピザで釣ろうって言うんだな?」

 いや釣られないし……。カティは右頬を引っ掻きながら困り果てる。

「子守も大変だねぇ」
「わっ」

 いつの間にか隣にやってきていたブルクハルトに、カティは驚いた。二歩ばかりよろめいたりもする。

「君は良い研究対象になる可能性があるね。実に興味深い。君の出自といい、ね」
「それは……」
「僕が興味を持っているのはセイレネスについてだけさ。君のアレコレを詮索するなんて無粋な真似はしないさ。君があの子たち、そしてセイレネス・システムにどんな影響を及ぼすのか。あるいは影響を受けるのか。その結果何が起きるのか。もしかして何も起きないかも知れないけど、何かが発生する可能性ももちろんある。実に興味深い」

 顎に手をやってカティを眺めているブルクハルトは、やはりその奥で何を考えているのかが読み取れない。カティは背中に冷たい汗を意識する。

「ピザ屋だけどさ」

 ブルクハルトが指を鳴らす。条件反射的にヴェーラが振り向いた。

「今日は年始だからほとんどやってないと思うよ」
「だいじょうぶ!」

 ヴェーラが胸を張った。

「車で十五分の範囲内に、今日も三件開いてるお店がある!」
「まさか、頭に入っているのか?」

 カティがレベッカに囁くと、レベッカは「営業日時はもちろん、メニューも全部覚えている」とやや呆れた表情で反応した。

「ま、いいか……」

 カティはカードキーをポケットに戻し、ブルクハルトに促されるままにヴェーラとレベッカを連れてシミュレータルームを後にした。

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