03-2-2:ポップ・レクイエム

本文-ヴェーラ編1

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 突如鳴り響いたそのアラームに、カティとエレナは顔を見合わせる。そして一も二もなく携帯端末モバイルを取り出して、情報を確認する。戦闘開始や終了時に通知が来るのだが、このアラームが鳴る時は、ヤーグベルテ側に甚大な被害が出た場合と決まっていた。士官候補生全員の携帯端末モバイルが年始の微睡みを粉砕したに違いない。

「島嶼作戦のか」

 カティは急いで車に乗り込んで、エレナが助手席に落ち着くのを待った。エレナの顔は蒼白ではあったが、表情はしっかりしているように見えた。

「来るべきものが来たって感じ」

 いつもよりも五割増しのスピードでエレナは言った。カティは無言でエンジンを始動させたが、ハンドルに手は置かなかった。発進させる気分になれなかったからだ。

「エレナから聞いてた通りだな。潜水艦とガンシップ。おまけになんだ、本当に島の半分が消えてなくなってる。こんなの見たことがない」

 カティは自分の携帯端末モバイルに表示されている情報を確認しながら、厳しい表情を見せる。

「核兵器でもこうはならないと思う」
「じゃぁ、なんだ?」
「超高高度からの重質量弾とか」
「それはまだ実用化されてないし」

 ミリタリーマガジンの中で「超高高度戦略攻撃機」というものが取り上げられていたが、それも「架空兵器」のカテゴリで、記事でもフィクション、あるいは映画のガジェットのようなものとして取り上げられていたと思う。カティは眉間に縦皺を寄せたまま、エレナの横顔を見る。

「こんなの、殺戮よ。戦争なんかじゃない」
「……だな」

 カティは息を吐く。そして車のフロントガラスに映像を投影する。

「核じゃないな。周辺領域にそれらしい反応が見られない」
「ほんとだ」

 エレナは目を皿のようにして次々と映し出される映像や数値を睨んでいる。それらの情報は、士官学校が提供しているライブラリを利用して、カティが組んだプログラムが自動的に収集している。

「こんなプログラム、いつ組んだの?」
「ブルクハルト教官の実習で組んだモジュールを流用した。教官にアドバイスを貰って改良したんだ」
「すごいね」
「プログラムは素直だからね、お前と違ってさ」
「なんで私が出てくるわけ、そこで」
「放置は寂しいだろ」
「……そうね」

 エレナは泣きそうな顔を見せる。カティはそのエレナの肩を軽く叩き、またフロントガラスを見る。

「エレナ、気にならない?」
「え?」
「これほどの破壊力を持った兵器が存在するとして。これはどこから飛んできた?」
「どこ、から?」

 エレナはそう言うと、フロントガラスをなぞるように動かして、いくつか追加で情報を呼び出す。周辺空域のタイムラインを生成して何度も行ったり来たりさせてみる。

「おかしいね。何もない」
「飛んでいたのはガンシップだけ。しかもそれも、地上をあらかた粉砕したら退避してる。潜水艦発射型の兵器でもない。海域からはとっくにいなくなってる」
「重爆撃機のたぐいもいない」

 エレナはそう言うと腕を組んだ。

「あ? この曲」

 車載オーディオから流れてきた軽快な音楽に、エレナは不思議そうな顔をする。カティは「しまった」という表情を見せて音楽を止めようとしたが、エレナは首を振った。

「このままで。これ、小さかった頃に聴いたことがある曲だ。懐かしいな」
「でもこれ」
「レクイエムなのよね、歌は。でもとても明るい曲なのよね。初めて聞いた時はちょっと驚いたけどね」
「お前がこんな古いポップカルチャーを知ってるのが驚きだよ」
「そうね」

 エレナは苦笑する。

「私のライブラリは、古典音楽ばっかりね、確かに。でも記憶力には自信あるのよ。ちょっとでも関心を持ったものは絶対忘れないっていう自信があるわ」
「すごいな、エレナは。アタシには無理」
「私、あなたと一緒なら何でもできる気がするわ」
「悔しいけど、アタシもそう思う」
「なんで悔しいのよ」
「なんとなく?」
「もう!」

 頬を膨らませるエレナに、さっき購入した缶コーヒーを突き出した。エレナは乱暴にそれを受け取ると、蓋を明けて喉に流し込んだ。

「はぁ。なんか変な気分」
「変?」

 カティもコーヒーを一口飲んだ。

「兄さんが死んだ。それは間違いなく事実なんだ。戦場がこのアリサマだから、何がどうあったって生存確率はない。わかってる。だからなのかな、全然、こう、嘘であって欲しいとかそういう感情が湧いてこないの。薄情な妹かな」
「身近な人が死ぬって、そういうものかもしれない」

 カティは兄のことを思った。首を切断されてあっさり殺された兄。父も母も他の兄弟もみんなカティの目の前で惨殺された。村の人たちも一人残らず肉片になった。カティより幼い子どもたちは遊び半分で殺された。カティはその一部始終を見せられていた。見せられていたのだが、今のカティにはほとんど思い出せない記憶だ。

「そっか、あなたは、そうだものね。ごめん」
「今泣いていいのはエレナ。アタシじゃないさ」
「強いね」

 エレナは唇を噛む。

「私は兄一人。あなたは家族も友達も全部だもんね」
「数の話じゃないし。それに、それぞれの不幸に重さはないだろ。不幸の度合いを他人のそれと比べるのなんて、まるで意味はないよ、エレナ」

 カティは諭すように言う。エレナは目尻から涙を一粒こぼす。

「泣かせないでよ、カティ。あなたの胸で泣きたくなるじゃない」
「いいよ」

 カティはエレナの頭を撫でる。エレナはそのまま、カティの太ももに頭を乗せた。

「悔しいくらい優しいのね、カティは」
「アタシでも役に立つ?」
「何言ってるのよ」
「アタシ、あの事件の時にね、軍の人に助けられたんだ。金髪のね、綺麗な人。アタシさ、その時のことはほとんど覚えてないんだけどさ。ただ、その人が泣きながらアタシを抱きしめてくれたのは覚えてる。あの時、アタシの代わりに泣いてくれたことと、アタシをずっと抱きしめてくれてたこと。それがアタシにとってどれだけ救いになったか、今でも説明できない。あの記憶があったから、今アタシは、ここにこうしていられるんだ」

 カティはエレナの頬を軽くなぞった。エレナは目を閉じて静かに呼吸を繰り返す。

「あの人ほどうまくできなくてもさ、今、何かでエレナの役に立ってるなら嬉しいなって、ふと思った」

 カティはゆっくりと言葉を選びながらそう言った。エレナは小さく何度も頷いた。

「あなたのルーツが、その記憶なのかもしれないね。私もその人に感謝したいわ。誰か覚えてないの?」
「あの時の情報はほとんど閲覧不可になっていて、わからないんだ。どの部隊なのかさえわからない。ネットの隅々まで探してみたけど、欺瞞情報フェイクが多すぎて本物が見つけられなかった」
「そうなんだ」

 エレナはカティの太ももを人差し指でなぞった。カティは「くすぐったいな」と文句を言いながらも、止めることはなかった。

「すごい筋肉。びっくりするくらいね」
「今、そこに感心する?」
「好き」
「は?」
「あなたの全部が好き。あなたの……ベタな表現ですまないけど、あなたの優しいところが好き」

 優しくなんてないとカティは言い募ろうとしたがやめた。不毛なやり取りが発生するだけだと知っていたからだ。

「あぁ、もう! こんな時に私、何言ってるのよ。今はそれどころじゃないのに」
「なぁ、エレナ。きっとそれは薄情でもなんでもないんだよ。現実が重すぎるんだよ、今のエレナにはまだ。だから他の方向に意識が向いちまうんだ。今だけなら恋人になってやる……と言ってやりたいところだが、たぶんそれは色々不都合が生じる」

 カティは真面目くさった顔でそう言った。エレナは「不都合?」と首を傾げている。

「アタシが本気になったら困る」
「なってよ」
「やだ」

 カティは首を振って、エレナの額をぺしっと叩いた。

「痛いなぁ、もう」
「頭を空っぽにできることやらないか?」
「え、なになに? セックス?」
「ばーか」

 カティはまたエレナの額を手のひらで叩いて、短く言った。

CQC近接格闘戦闘
「あー! それか。今?」
「腰が立たなくなるまでやろう」
「その表現はどうなの、カティ。あなた意外と――」
「あー、はいはい。そうかもね」

 カティはエレナの額を三度連続で指で弾いた。

「痛い痛い痛い」

 エレナはたまらず起き上がって、助手席に座り直す。カティはハンドルに手をおいて、音楽のプレイリストを変更する。

「わお」

 突如響き始めた重低音に、エレナが変な声を出す。

「交響曲第九番・新世界より、第四楽章。チョイスとしてはベタね」
「ドヴォルザークはアタシでも知ってる数少ないクラシックの人だからね」

 カティは車を発進させる。雪は止んでいた。

「あのさ、カティ。くれぐれも容赦しないでよ?」
「する余裕があるとは思ってないぞ」
「よろしい、正しい状況認識ね!」

 エレナは満足げに腕を組み、口角を上げた。

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